自覚と脱落
チョコクロは諦めました。
もう上手く立回ることはやめた。
誰かの機嫌をとったり
気を遣うこともやめた。
生きたいように生き
やりたいように過ごした。
その結果
反感を買った。
もうどうしたらいいんだ…。
それでも取り繕うようなことはしなかった。
私は私。それでいいじゃないか。
専門時代、楽しかったことは
毎週のように仲間達と過ごす週末。
何もかも忘れてライブハウスに通いつめていた。
私の顔面には沢山のピアスホールが空いた。
楽しかった。
その間も鳴り止まない親からの連絡。
義務教育を終わったとはいえ
どこで誰と何をしているのか
人格を否定し続けるような言葉の数々に
私はもう疲れきっていた。
就職するつもりはなかった。
家を出て、フリーターとして生きていく。
そう心に決めたはずが
なぜか就職が決まっていた。
これが最大で最悪の転機となった。
無事に専門学校を卒業し
ほんの数人の大切な友人と
卒業旅行と称し、ディズニーランドへ行った。
この頃から心のバランスが崩れていく。
社会人となり
毎日仕事に行く日々。
最初は順調だった。
仕事を覚え、毎日の業務をこなし
職場の人達とも上手くやっていた。
一方家では
怒鳴り声の耐えない日々。
毎日ネチネチと嫌味を言われ
時には暴力を振るわれ。
奨学金も自力返済を余儀なくされた。
姉の学費が高額だったため
私は自力で全て返済をしなくてはならなくなった。
まあ、腑に落ちてはいない
が、逆らう余地も無い。
徐々にバランスを崩していった私は
ある日突然ベッドから起き上がることが出来なくなった。
前兆は確かにあった。
夜は眠れず食事はとれず
胃液を吐き続けていた。
鬱を患った友人から
今すぐ病院にいけと言われていたが
保険証諸々親に取り上げられていた私は
事情を話しても保険証を手にすることが出来なかった。
そんな矢先の出来事だった。
朝、降りてこない私
怒鳴り声と共にドアが開いた。
夜遅くまで起きているから起きられないんだ。
いやそうじゃない。
眠れないんだ。
誰にだって眠れない夜くらいある。
そりゃそうかもしれない。
でもそうじゃない。
涙がぼろぼろ零れてきた。
そして土下座をした。
「病院に行かせてください…」
精神科、心療内科は世間体的にアウト。
近所の内科への受診許可がおりた。
内科に行ったところで…と思った。
ところが。
内科の医者が言った。
「お母さん、これは内科じゃどうにもなりませんよ」
鶴の一声だった。
最寄り駅近くの総合病院精神科への紹介状を手に入れた。
タッタラー
精神科の扉を開ける。
医者が鬱と不安障害の診断を出した。
が
凄かった。
動画を撮っておきたいくらいだった。
医者にキレ散らかす母親。
うちの子は精神異常者なんかじゃない。
病気なんかじゃないんだ…と。
正直引いた。
この時私はすごく冷静だったと思う。
女医は深く溜息をつきながら
「ご自宅でよく話し合ってください」
と言った。
それが出来ていればここに来ることもなかっただろう。
そろそろお仕事戻らねば