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子供はボールを追いかけ回す作業に戻った。活力を持て余し気味のようだ。飛んだり跳ねたり忙しい。
子供の母親と主は拳一つ分離れて座っている。主の方が心持ち遠慮しているようだった。
「地元戻ってきてたんですね」
「ああ、うん。前に会ったの成人式で戻った時か。あの子も大きくなったな」
主は眩しそうに目を細める。子供は離れた所から振り返り、母親に手を振っていた。
「なにひとごとみたいに言ってんすか、あの子の父親、先輩ですよ」
主は子供を二度見し、みっともなく汗を垂れ流した。汗だけではなく、涙もうっすら漏れている。
「嘘、だよな……?」
「はい、嘘に決まってるじゃないですか。先輩とは何にもなかったし」
主は女の肩に手をかけ真顔で唸った。
「そういう冗談はよしてくれよ。余裕ないから今」
「わかってますよ。顔見れば」
主は再び腰を下ろした。何とか動揺を抑えようと顔を手で拭っていた。
「私、離婚したんです。昼はアパレル、夜はキャバクラで働いてます」
女は主の一つ下の後輩で、十七で子どもを妊娠し、高校を中退。主とは部活が同じだった縁で知り合いのようだ。
「愛もいつかは冷めるってわけだ」
「いえ、元旦那には今でも気持ち残ってますよ。でも向こうの両親とソリが合わなくて」
後輩は未練がましい自分を恥じるように言葉を濁す。
「所詮赤の他人同士だもんな。血の繋がった家族すら冷たいっていうのに」
「やけに突っかかりますね。先輩そんなキャラでしたか?」
「お前もそのうちわかるさ、人生の荒波に揉まれたらな」
「そういうの間に合ってるんで、結構です」
宗教の勧誘を断るようにあっさり跳ね除けられる。吾輩の主には威厳が存在しないらしい。
「それにー、お兄さんと喧嘩して不貞腐れてる先輩に言われたくないなって」
「な、何故それを……、占い師か、お前」
「だから顔に出過ぎなんですって、先輩は。再会したのも何かの縁ですし、可愛い後輩ちゃんに全部話しちゃいなYO」
主は言われるがままここに至る経緯を話した。都合上、吾輩も駆り出される。
「これが、聖槍ロンギヌス……、エッグい形してますね。触ってみてもいいです?」
「構わんが、丁重にな。見た目に反して繊細
なんだ」
許可が下りた後輩は吾輩を掴んで振るう。なかなかの槍さばきではないか。吾輩も滾ってきたぞ。
「うわっ……、なんか剥けてきた。マジウケるんですけど」
後輩は吾輩の姿をひやかしつつも、顔つきは真剣そのものだった。
「先輩、一つ言っていいですか?」
「俺とお前の中だ。遠慮はいらないぞ」
「童心って、大事だと思うんです。あんまり目先の利益ばっか求めてるとシラけると言うか」
「そうだろう、そうだろう」
後輩はもどかしそうに主の横顔を盗み見ている。
「でもやはり現実に回帰せざるを得ないルサンチマンを内包する手元存在者と言いますか」
「みなまで言わずともよろしい」
主はぴしゃりと後輩の言葉を遮ると、吾輩をひったくり、光にかざした。吾輩の体は日輪の光によって充溢と輝いた。
「ああその通りだよ、俺はピー歳になっても特撮もののアイテムを引っさげて徘徊する不審者だ。笑いたくば笑え」
後輩のオブラートに包んだ言い方が気に障ったのか主は饒舌だった。
「そこまで言ってないじゃないですか」
「いいや、そうなんだよ。俺は不審者なんだよ。通報されるべき存在なんだよ」
主のバッグには今も凶器が眠ったままだ。本来とは違う目的に使われそうになった悲しい道具。主は後輩にそれを悟らせまいとバッグを抱え込んだ。
「俺はお前が羨ましい。妬ましい。自分の分身をこの世界に残すことができて」
「男は出すだけ出して後始末しないからそういうこと気軽に言えるんじゃないですかね」
「……、すまん」
「別に先輩に怒ったわけじゃありませんけど」
二人の間に急速にわだかまりができた。性差の壁は容易に乗り越えられるものではないらしい。
主は暗い気分を払拭するかのような明るい声を発しようとした。それでも声は掠れて叶わなかったけれど。
「俺の兄貴もロンギヌスが好きだった。今も昔と変わらないと思ってた。けど、それは幻想なんだよ。みんな大人になる。ロンギヌスは忘れられる。それでいいんだ」
吾輩は時の中に埋没した存在だ。人目に触れずにいる間は平穏無事。今こうして主の手元にあるのが非常時なのだ。吾輩はなんのためにここいる。主の暗闇を晴らすためではないのか。
「私は先輩のこと、覚えてましたよ。こうして今でもバ……、少年の心を持っていると知り、感極まってますよ、マジで」
「それはあの人は今! みたいな番組を観て安心する心理に似ているのでは……?」
「安心上等じゃないですか。女は安心を求める生き物なんです」
後輩の手が主の手の上に重ねられる。主の手が強張り、吾輩の神聖術を解放せしめた。
「ロンギヌスアルティメットモード!」
吾輩の掛け声がきっかけで、二人の手が離れる。子供の前だ。節度は守られねばならぬ。
子供の視線は吾輩に釘付けだ。主は子供を手招きして呼んだ。
「持ってみるか?」
子供は母親の表情を伺ってから頷いた。吾輩の体が子供に委ねられる。子供は大切そうに吾輩を胸に抱いた。
「裕也君って言ったね。それを君に託したい」
「え、でも先輩」
躊躇する後輩に主は首を振る。
「いいんだ。この子に対するお詫びなんだから。このくらいじゃ全然足りないだろうけど」
後輩は最後まで腑に落ちないようであった。穢れた罪は吾輩と主で持っていけばいい。
「先輩、また帰って来ますよね」
「どうだろう。邪宗亭は手強いし、兄貴とも仲違いしたままだ。せめてお前が再婚せずに待っててくれたら」
「それは保証できねえっす」
「わかってるよ。裕也、母ちゃんをしっかり守るんだぞ」
裕也は吾輩を口に咥えて頷く。こら、歯を立てるでない。こんな幼子が新たな主とはな。不安の種は尽きないが、致し方あるまい。
元主は親子の前から去っていった。今なら元主の気持ちも少しはわかる。
継承の不安は吾輩も持ち合わせている。いくら自分の価値を信じようとも、吾輩は本当に必要とされているのか疑わない日はない。
吾輩は希望を継承する。主もそうだったのだな。絶望から解き放たれたからこそ、元主は吾輩を手放したのだと思う。
子供の手首に真新しい痣があった。
今度はこの幼子が相手か。骨が折れそうだ。
吾輩は、ロンギヌス。希望が潰えぬ限り、新たな使い手を待ち続ける。




