七話
色あせた世界に私は一人。
三船と鏑城が到着したときには混乱は収まるどころか、益々激しさを増長させていた。凜音のけしかけた暴力の波は短絡的な男たちの波長に見事合致してしまい、自分でも抑えられない激情となって他者へと実害を伴って振るわれる。
「こいつは、酷いな」
三船の到着を待っていたとはいえ、悠長に構えていた自分の愚かさに鏑城は奥歯を噛み締める。しかし、今更後悔したところで傷ついた人は元に戻るわけではない。それならば、自分にできるのは一刻も早くこの騒動を鎮めることだと気持ちを切り替える。
「三船。俺が空に向かって発泡するから、それに合わせて適当に警察を大声で罵倒しろ。そしたら俺がお前に手錠をかける。容疑はそうだな、鳳会長殺害がいい。ここで騒いでいる阿呆でも、それがいかに間違っていることか分かるだろうし、余計に警察への不満が集中するだろ」
「しかし、いいのか? いくらこの場を収めるためとはいえ、お前らを悪者にするみたいで申し訳ない」
「構うものか。真の悪が誰かを忘れさえしなければ一時の謗りは気にするほどでもない。それに、建前でもこの悪徳の街の代表を捕まえるんだ。そこに不都合なんて何もあるわけがないさ」
愛想の悪い生真面目な刑事の軽口に三船は苦笑する。
下らない事件がきっかけで出会った仲だが、最初は反社会組織の構成員と事件を捜査する腕利きの刑事のまさに水と油の関係だった。それが今では互いに信頼し、一つの暴動を解決すべく力を合わせて並び立っている。その奇妙な縁にむず痒さを感じるが、今は目の前の下らない騒ぎに終止符を打つために集中する。
「お前の配下はこの後について準備はしているんだな」
「ああ、乾に任せてある。ひと芝居うったら、コイツらを一旦下がらせてから解散させる手はずになっている」
「そうか。まぁ、その辺は任せるとして、何人かはこちらでもしょっ引いていくからな――耳を塞いでいろ、撃つぞ」
鏑城が事を起こそうと懐から拳銃を取り出し、曇天に向けて銃口を向ける。
空砲だろうが、耳をつんざく音は人々に命の危機を知らせ動きを止めるきっかけとなる。その後の処置を間違えれば余計に混乱を招く可能性があるが、そこは間髪入れずに三船の馬鹿でかい声で牽制すれば問題ない。
そして、引き金に指をかけてゆっくりと力を込めた――その時だった。
「きゃああああああああああああああああああああああ!!!!」
拳銃の発砲音の他にも、人に根源的な恐怖を植え付けるものがある。
それは、女の絹を裂くような悲鳴だ。
「――!? どうした。まさか、鏑城の銃に反応したのか!?」
「違う! あそこを見ろ!」
鏑城の目線を追って見てみると、シャッターの降りた店の隣、騒動から僅かに離れた場所で三船に負けず劣らず大きな体の男が女の首を絞め上げているところだった。大男の目の焦点は定まらず、口からは涎が地面に線を作って垂れている。
「なッ、アレは大食らいのロッソじゃねぇか! どうしてアイツがこんなとこにいやがる。ネタにハマって儀同会の方で拘束中だったはずだ!」
「刑部の捜索に猫の手でも借りたいといったところか? にしては猫以下の頭のようだが」
「冗談じゃねぇぞ。あの野郎、ただでさえ力だけはバカみてぇにあるんだ。しかも、見ての通りオツムの方も逝かれてやがるときた! 俺たちの作戦が通用するかなんて、どう考えても無理に決まってんだろ!」
「そうか」
鏑城は短く言葉を発すると、空に向けて撃つはずだった拳銃を麻薬中毒の男に構えて、躊躇いなく引き金を引く。三船が静止の声をあげるより素早く放たれた銃弾は、中毒者の足元で甲高い音を立てて弾けた。
「おい! こんな人が入り乱れたところで発砲するな!」
「人命優先だ。それに威嚇目的で地面に向けての発砲だから早々当たることもない」
文句を言う三船を煩わしそうに眉根を寄せている鏑城だったが、見る見るうちに顔色を青くさせていく。滅多に動揺の表情を見せない鏑城の様子に三船も心配になるも、その理由がすぐに分かり彼もまた焦りを見せる。
「あのっ――野郎!」
怨嗟のこもった声をあげて正義感に燃える刑事は、再度大食らいのロッソに向けて銃口を向ける。先程の威嚇射撃など気にする様子もなく、そもそも彼らの存在どころか広場に雑多にいる人間など視界に入っていない男は、警告を耳にすることなく目の前の女の首をへし折ってしまっていた。
力なく、糸の切れた人形のようにぶらりと垂れ下がる肢体。鏑城が次弾を男に当てる大義は十分にある。
「待て鏑城! 奴の近くにガキがいる!」
怒りに我を忘れて容赦なく男の体に風穴を開けようとしていた鏑城は三船の声にハッとする。
確かに男の目の前、首の骨を折られた女が守っていたかのように少女が逃げることも出来ずにその場で立ちすくんでいた。
「大丈夫だ、子供には当てない。俺を信じろ」
そう言って再び構える鏑城の腕を三船が掴む。
「ダメだ。そもそも、一発で仕留められなかったらロッソが暴れて大変なことになる。幸いにも奴は女の死体のお陰でガキに気づいていない。このまま俺がガキをどこかへ避難させるから、その後で奴を仕留めろ」
「……そういう訳にもいかなくなったらしいぞ」
「なに!?」
見れば男は既に女の死体を捨て、目の前にある小さな命に次の興味を示していた。
ふらふらと、しかし確実に少女に近づいていく男に、二人の心臓は悪魔に握られているかのような焦燥感に苛まれた。想像するは最悪の出来事。子供が犠牲になるという後味の悪い結末。
「ここからなら十分狙える。走って向こうに行くより確実に助けられる」
「ぐっ――しかし、」
それでも三船は躊躇う。別に鏑城の銃の腕を信用していない訳ではない。彼の腕前は特殊部隊でも通用するほどだというのは身を持って知っている。
だが、三船の脳裏には失敗する光景が鮮明に映し出されていた。それは直感からくるもの。数々の命のやり取りをしてきた三船だからこそ分かる予言にも似た動物的感覚。
「どうして周りの奴らはガキを助けようとしねぇんだ……!」
焦りはいつしか周囲の人間に対する憤りに変わっていた。これだけの人間がいるというのにも関わらず、先の悲鳴で誰もが少女の存在に気づいているというのに救いの手を差し伸べる者は一人もいない。
大食らいの異名を持つ儀同会の誇る鉄砲玉が怖い。それはあるだろう。しかし、目の前で散ろうとしている命を救うことに躊躇など必要だろうか。
こうして悩む自分の無力さにも三船は怒りが湧き起こる。鏑城を無視してでも走ってロッソの前に立ちふさがるべきなのだ。男の歩みが遅いおかげで今なら間に合うはず。そう決断した瞬間、聞き覚えのある声が三船の足を止めさせた。
「上を見ろ!」
思わず頭上を仰ぐ。
そこにはいつもと変わらない灰色の空が広がっているだけだ。無味乾燥の下らない日々の象徴。いや、誰かがこちらに向かって近づいてくる。誰かが滑空しながら、必殺の牙を携えて獲物を狙う肉食獣の狩りのように迫ってくる。
「は、はぁ!?」
その人物は女子高生だった。
しかも、自分が出会った口の悪い女子高生。
「うおおおおりゃあああああああああああああ!!!」
咆哮をあげながら凜音は、少女の命を摘み取ろうとする男に一撃必殺の蹴りをお見舞いする。
ビルの屋上の高さと重力が合わさった衝撃は容易く男の体を吹き飛ばし、彼女自身は猫を彷彿とさせる重さを感じさせない着地で事なきを得る。
突然の出来事に広場に静寂が支配する。誰もが言葉を忘れたかのようにただ放けているだけ。
その中で、凜音は少女と目が合った。
深く吸い込まれそうな暗い瞳は、かつて身近にあったもの。忘れたい過去の遺物。
「ああ、クソッ。お前もそういう目をすんのかよ」
忌々しそうにつぶやくが、それは嫌味というよりも自分のへの戒めのようにも聞こえる。
悪徳が蔓延る街の片隅で、凜音は世界を変える少女と出会った。それは誰かの意思の介在した作られた運命で、これからの凜音の生き様に大きな影響を与える始まりでもあった。




