六話
店に入った三船は何者かにすぐに呼び止められた。
「止まれ。今ここは儀同会が使わせてもらっている。飯が食いたいのなら他をあたるんだな」
「うるせぇ、俺を誰だと思っていやがる。ここに鏑城がいるだろ。さっさと出しやがれ」
三船は止めに入った男の相手をしないで勝手に奥に進んでいく。
中は数名の警官が眼光鋭く機会を伺っていた。そのいずれも不満そうな顔を隠そうともせずに、事態の進展をもたらしてくれた三船を見つめている。
「あ、三船さんじゃないですか。こんなところで会うなんて、どうかしたんですか?」
その重苦しい空気の中、呑気な様子で三船に近づいてきた若者は緊急の事態に似合わない明るい表情をしていた。
「笹倉か。鏑城はいないのか?」
「いるぞ。遅かったな」
現れたのは髪を実直そうに短く整えた目つきの鋭い刑事だ。スーツをビシッと着こなしている様は銀行員と言っても通用しそうだが、にじみ出る雰囲気が熟練の捜査官であることを嫌でも知らしめた。
常に苛立たしげに眉根を寄せて、笑っている姿を見たことがないと部下の笹倉は言う。気難しく、付き合うのは相当の覚悟が必要だが、刑事としての能力は随一で今までに検挙してきた犯罪者は両手では数えられないほどだ。
「遅かったなって……俺が来ることが分かっていたのか?」
「外の騒ぎを考えればな。お前が放置させておくわけがないだろうし、動くにも儀同会が相手とあっては自由に差配することも難しい。ともすれば、権力に泣きつくのは目に見えていたさ」
「ふん、そう言う割にはこんなところで大人しくしているなんて、捜査一課のエリート様の名が泣くぜ。どうせお前らも上からの命令が下りずにくすぶっていたんだろうがよ」
鏑城の言葉に三船はニヤリとして返し刀で彼らの痛いとこを突く。
公安を象徴する実力組織といえど、正式な令状がなくては表立って動くことは難しい。しかも、上層部にこの街の実力者たちと黒い結びつきがあるとなると、彼らの息のかかった犯罪者一人捕まえるだけでも一苦労だ。
「昨日の夜から刑部翔眞を巡って様々な情報が錯綜している。鳳の会長の殺害すら俺たちが手を出せないときた。街の利権がどうとか言われているが、正直俺からしてみればそんなものは正義の前では邪魔な存在でしかない。だから、こうして無理に出張ってきたというのに……情けない、儀同会の下っ端すら押さえることのできないザマだ」
鏑城は忌々しそうに、出入り口にいる見張りに向かって人を殺しそうな威圧に満ちた視線を送る。それを受けて小さな悲鳴が起こるが、三船は肩をすくめるだけだった。この正義感に燃える刑事を宥めるには骨が折れるため、好きなようにさせるのが一番いい。
「そうは言っても仕方ないんじゃないんですか? 課長命令とあれば待機もやむなしですよ」
フォローするように笹倉が言うも、鏑城の怒りに余計な火を着けることになっただけだった。
「課長? ハッ、あんな権力に媚びへつらったジジイがなんだと言うんだ。今回だって俺だけにバツがつくのなら構わなかったが、関係のない署員の人事に影響が出ると言われればこうして下がるしかない。だからだ。街側のお前が手引きさえすれば、俺は大手を振って街のゴミどもを検挙してやれる。さぁ、三船。いいんだな。俺はいつでも動けるぞ」
鏑城の切れ長の目が真っ直ぐに三船を捉える。
その気概は三船も望むところではあったのだが、少しばかり彼の思惑とは違っていた。
「鏑城。その意気はいいんだが、少しばかり待て。今はちっとばかし事情が変わった。ただ闇雲に逮捕していってもこの事態は収まりそうにない」
「それはどういうことだ?」
「騒動が少しばかり大きすぎるんだよ。チマチマと下っ端を捕まえても大きなうねりを止めることは難しい。だからな――俺を逮捕しろ」
「……気でも狂ったか、と言いたいところだが。なる程、お前らしい無謀な賭けだな。だがな、果たして上手くいくのか?」
二人が訳知り顔で頷くのに対して、彼らの言外に含まれている意味を察することの出来ない笹倉がしきりに頭に疑問符を浮かべている。三船の提案。それは、一度動き出した流れを逸らすもの。
感情の昂ぶりによって発生した一連の騒動を鎮めることは難しく、中途半端なタイミングで中断させるのは至難の技である。だから、止めるのではなく、騒ぎの方向を別のものにシフトさせる。凜音によってもたらされた憤りの対象を、街の顔役である三船の逮捕という彼らにとって理不尽な出来事で変えるのだ。
「幸いにも、この混乱でも俺の顔役としての威厳は通用するらしい。で、あればこの賭けの勝率も悪くない。後はいかにして騒ぎに乗じているバカどもの意識を俺たちに向けるかにかかっている。それについては、まぁ多少は出たとこ勝負の要素もあるが、そこは――」
「安心しろ。コイツを食らわせば、余程間抜けな奴でない限りこちらを向く」
鏑城がホルスターに掛けられた黒光りする拳銃を見せた。
表情こそ変えていないが、鏑城の瞳に危ない輝きが宿る。それに気づいたのは数々の修羅場をくぐり抜けてきた三船だけであった。巨漢の背中に、らしくない汗が流れ落ちる。
「よし、時間も惜しい。あまり詳しい打ち合わせもできていないが、そこは経験と度胸で補ってくれ。それじゃ――行くぞ」
何やら慌てて監視役の男たちが三船に近づくが、阿吽の呼吸で鏑城の部下が手際よく取り押さえる。
状況の不利を予想して数名しか警官を連れていなかったようだが、彼らの動きを見るに少数精鋭の面々のようだ。いつも鏑城とコンビを組んでいる笹倉はそうではないようだが。
「三船、さっさと鏑城を連れていけ。邪魔する奴らは俺たちが抑えとくからよ」
この中で最年長の男が事態の解決に逸る二人を冷静にさせるべく一声かける。くたびれたコートに身を包む老兵は、ベテランの嗅覚で二人に潜む危険性を敏感に感じ取り注意を促す。
その意図を理解したのか、三船は一瞬立ち止まって彼に視線を送るが、同僚である鏑城は先輩の言葉など聞こえないかのように店を飛び出していく。
「やれやれ、もう少し目上の言うことを聞けないもんかねぇ」
「まぁまぁ、先輩も悪気があるわけではないですし。八重樫さんに限らず自分の上にいる人間全員に噛み付かないと気が済まないんですよ」
「……お前はお前でもっとしっかりしないといけないがな。ほら、相棒が行っちまったんだからいつまでこんなとこにいやがる。さっさと追いかけねぇかい!」
笹倉の尻を引っぱたくようにして、五十を過ぎる刑事は呑気な若手に喝を入れる。
情けない声をあげて慌てて駆けていく姿を見送りながら、八重樫克樹は今回の事件の裏に隠れているきな臭さに盛大なため息を吐く。
「はぁ、嫌だ嫌だ。一体いつまでこんなことをしなきゃいけないのかねぇ」
彼の独白に、残った捜査官たちはきょとんとした顔を見せる。そのことに気づいて恥ずかしそうに頭を掻く八重樫は、とりあえず誤魔化すように手近にいた儀同会の構成員に問い詰める。万力のように締め上げて離さない彼の腕に必死に抵抗していたようだったが、ビクともしない様子に既に諦めているようだ。
「それで、この騒ぎを起こしたのは本当に刑部の野郎か? それとも、ウチの――」
こうして、舞台は整った。
逢坂凜音と、まだ見ぬ彼女。破壊者と狂言者。義侠心の男に正義を追う男。
彼女らが一つの場所に集まったとき、物語は終わりに向けて動き出す。




