二話
凜音の姿が小さくなっていくのを見ながら男は思う。
この世界では必要以上の干渉は御法度。ここまで忠告を浴びせて話を聞かなかったのだから、彼女がこの先どういう目に遭おうとも自業自得なのだ。所詮この世は弱肉強食の理不尽な理がまかり通るのが常なのだから、彼女もそのことを理解しているだろう。男は大きくため息をつくと、持ち場に戻るべく踵を返す。
「運が良ければ、或いは……やめよう。そんなものは夢物語に過ぎない」
感傷に耽るように呟く男のそばに軽薄そうな若者が近づく。染めた金髪に薄い造りの顔立ちが今風の若者然としているが、着ている服はそこそこ上等のスーツでホストと思えなくもない風体である。彼の名前は乾伸也。街のとある集団の構成員の一人として男の付き人をしている。
「見てましたけどなんスかありゃ。三船さんを馬鹿にしたような態度。うちらのアホどもが見ていたらソッコーでマワしてますよ」
群青のネクタイを緩めながら乾は男に付き従うように歩調を揃える。三船と呼ばれた男はそんな若者の愚痴を宥めるように声をかけるが、それでも彼の憤りは収まらないようだ。
「だいたい、三船さんも三船さんっスよ。あんな小娘にいいようにされて、この街を仕切る顔役なんだからもっとガツンとヤっちゃって下さいよ」
「そうは言うが、未成年相手にイキるのもどうかと思うぞ。それに、顔役といえども俺は人の動きを監督するだけの裁量しか与えられていない中間管理職よ。俺の得意分野は頭なんて全く使わないで暴れ回ることだってのに、日夜スマホを片手に頭を下げ続けるのが仕事とくれば昔とった杵柄なんて錆びちまうさ」
大柄な体躯に似合わない困った表情はどこか茶目っ気を含んでおり、言葉ほどには今の立ち位置に不満を抱いている様子はない。それどころかこの男、三船泰麒は見た目の筋肉ダルマとは裏腹に実は裏で策謀を巡らす方が性に合っていたりするのである。だから、彼は現状に不満を言うはずもなく、いつか天下を取らんと虎視眈々と上にいる奴らの隙をうかがっているのだ。
「それでも、オレらは不満っスよ。あの白雪の舞う夜を鮮血に染め上げた男が、そんな風に小さくまとまっちまってるのは」
「ハハハ、随分と昔のことを言ってくれる。だがな、伸也。いつまでも過去の栄光に縋ってちゃ人間成長なんて出来ないぞ。まぁ、お前もまだ若い。今はせいぜい死なない程度に突っ走ってな。俺はお前らが走りやすいように陰ながら応援するだけよ」
「はぁ……」
納得のいかない返事に三船は頭を掻く。自分を慕ってくれているのは素直に嬉しいが、こうして昔を引き合いに出されるのは正直やりづらい。今は今、それが分からなければ世の中を巡る変革の波に飲まれてしまうだけだ。
三船は後ろをついてくる乾をチラリと見やる。もし、このまま過去の幻想に囚われて道を誤ることがあれば、その時は容赦なく切り捨てる。たとえ身内であろうと情けをかけて自分まで足を掬われてしまうのは御免被りたいからだ。
「それで? お前が俺に話かけたのは愚痴を言うだけじゃないんだろ」
頃合を見て話題を切り替える。いつまでも若造の小言に付き合うのも疲れるのだ。
「え、あ、はい。例のバカについての話なんですけど」
昨日の夜から街を賑わしている素っ頓狂について、乾は面倒くさそうに報告を始める。三船はそのほとんどが既に知っている内容だったので話半分に聞いていたが、ある言葉が出てきてすぐさま乾に待ったをかける。
「今、なんと言った? 戒厳? 戒厳を布告すると言ったのか?」
「え、ええ。昨日のアレの一件で上が完全にブチ切れちまいまして、しかもサツも動いているってんで奴らにしょっ引かれる前に早々にケリをつけるそうです」
「バッカじゃないのかあのジジイどもは! あんなガキ一人にイイようにされて気でも狂ったか。冗談じゃないぞ、こんな昼間っから血の雨を降らせるつもりか」
「そんなこと俺に言われてもしょうがないっスよ。あの野郎については前々からフザけたことをやらかしていた訳だし。妥当なんじゃないっスか」
三船は目の前に現れた問題に頭を抱える。刑部翔眞の存在は以前から問題視されていたが、昨日は流石に殺り過ぎた。いつの頃からか街に現れた青年は、その有り余る行動力を全て他者を不幸にするために注ぎ込んできた。それは己の手を直接汚すことなく遂行され、その度に警察が苦々しく地団駄を踏んでは逮捕するために躍起になっていた。
そして、昨日。ついに、奴は禁忌を犯す。
街の重役の一人である鳳グループの会長、鳳宗右衛門を何かの芸術品のようなオブジェに仕立て上げて殺害したのである。それを受けて下部組織である儀同会が仇を討つべく殺気立って夜通し街中を捜索していたのだが、それも間もなく終わりそうだ。
「それでも戒厳令を出すのはやり過ぎだ。この街の住人は不文律の制約によって暴力から身を守られてきたってのに、それをやったら間違いなく儀同会は暴走するぞ。中にはラリってるバカもいる。下手したら関係のない人間まで被害が及ぶ」
「そりゃあそうでしょうけど……でも、だからってどうするんです? これ決めたの石間のオヤジですよ?」
鳳グループと同じくこの街を統括する石間商会のトップが強硬策に出たことに三船は歯噛みする。
この時ばかり自分が名ばかりの顔役であることを呪ったことはない。三船は自分の力では事態を沈静化させることが出来そうにないと一旦は諦めるが、すぐに気持ちを切り替える。それならば他の力を使ってこの騒動を収めるまでだ。
「伸也。さっき警察が動いていると言っていたな?」
「はい。いつものように真面目君が出張ってきてますよ」
「鏑城か。ふむ、アイツならば話に乗ってくれるか……伸也、すぐに動ける奴を集めろ。俺は鏑城と今後について対策を考える。恐らく儀同会の奴らに足止めされているだろうから、この道を戻れば会えるだろう」
そういえば、先程の女子高生もこの道を進んでいったな。名前は聞いていないが、もしかしたら彼女を保護することもできるかもしれない。
三船はそんなことを頭の中で考えつつ乾に指示を出しながら巨体を走らせる。とにかく今は時間との勝負だ。儀同会の馬鹿どもが早まったことをしないのを祈りながら、彼は街を預かる身として人々の安全を心配するのだった。




