浅兄と茜姉
孝一郎と京香の口論はしばらく続いた。
「お前は茜が心配ではないのか!」
「もちろん心配です。けれど、それと同じくらいあなたの頭も心配です。いくら猟が趣味とはいえ、こんなところで銃を出さないで下さい」
「しかし、茜を拉致した奴らがどこかに潜んでないとも限らないだろう? 警察はあてにならんし、私が何とかせんといかんだろう!」
「だから、銃を構えないでくださいってば」
京香は再び孝一郎の頭を引っ叩く。今度はお玉だ。心地いい金属音が響く。固い分、さっきより痛そうだった。
「お父さん、帰ったのかい?」
「あ、お義母さん」
夫婦喧嘩を聞きつけたのだろう、リビングのドアを開けて茜の祖母が入ってくる。そろそろお暇したほうがいいかもしれない。
「それじゃ、僕たちはこれで失礼します」
「お邪魔しました」
「あ、二人共、わざわざありがとね。お母さん達によろしくね」
「浅葱くん。茜の場所が分かったらすぐに連絡してくれ! 仕事中でも構わんぞ! 愛銃を持って駆けつける!」
「あなた、今日は晩ごはんのおかず抜きにしますね」
「えー! 母さん、それは酷い!」
浅葱はそっとリビングの扉を閉めた。
外に出ると、雨はいつの間にか止んでいた。二人は自宅へと歩き出す。
「相変わらず、おじさんとおばさんは仲良いね」
「あれは仲が良いって言うのかな……。傍目には暴走する父親を母親が暴力的に止めるシーンに見えたけど」
「えー、絶対仲良いよ。だって、どこまでも本音で会話できるんだもん。仲良くないと無理でしょ」
「そっか。それはそうだな」
うんうんと浅葱は頷く。
「さて、茜姉はどこに行っちゃったんだろうね。手紙には外国って書いてあったけど、海を超えたらたいていの場所が外国だからね……。パスポートとかはどうしたんだろう」
「さあ。でも、手紙の差出人のひとりは金持ちなんだろ? 抜け道くらい、用意してるんじゃないかな」
「それもそっか。それで、茜姉を探す当てはあるの?」
「まあ、無きにしもあらずかな。外国の友人は結構居るし、石油王さんは有名人だろうから、SNSからも追えるだろうし。まあ、他にも手管はあるからなんとかなるでしょ」
「おー、やる気だね。さすがのお兄ちゃんも、茜姉を取られるかもしれなくなって、焦ってる?」
ニヤニヤ笑みを浮かべて萌葱は言う。
今まで二人の仲が良いにもかかわらず、目立った進展が無かったのは茜姉に言い寄る男が居なかったからだ。大抵の男は茜姉のお兄ちゃんへの態度を見て撤退していく。それでも特攻した野郎どもが居なくは無かったが、もれなく全員、無敵艦隊茜に玉砕していった。
だがしかし、今回は相手が違う。大人も大人、金持ちの石油王である(もう片方は知らないけど)。同年代が撤退するような場面でも、大人である彼らはマネーパワーでゴリ押しすることが可能だ。しかも茜姉はお兄ちゃんに振られたと思い込んでいる。タイミングとしては狙い目であり、さすがにお兄ちゃんも焦らずにはいられないだろう。
そう思った萌葱であったが、兄の返事は予想外のものであった。
「いや、正直、茜の頭の悪さを見くびってた。あれはいくら運がよくてもどうにもならない。今からミッチリ計画立てて教えていかないと受験に間に合わない。さっきも、それで頭がいっぱいだったんだ」
「……ソファに突っ伏してたのはそれが原因だったのか……」
萌葱はため息をつく。
「……結婚しちゃうんだったら、受験とか意味なくない? 茜姉、今お兄ちゃんに振られたと思いこんでるんだよ? その勢いで結婚しちゃうかもしれないって、お兄ちゃんちゃんと分かってる?」
「え? 茜は出会って数日の相手と結婚なんてしないよ」
さも当然とばかりに浅葱は言う。
「でも、茜姉、ラブレターの送り主と思しき人物と一緒に居るんだよ? 無理やりってわけでも無さそうだし、結婚しないならついて行かないんじゃない?」
「今は混乱してるっておばさん言ってたし、多分、予想外の事態に茜の頭がついていけて無いんだろうね。落ち着いたタイミングで電話口でも茜を発見してからでも誤解を解けば、すぐに茜は戻ってくるよ」
自信満々、というよりも明々白々、といったほうがいいだろう。浅葱の言い方はまさにそれであった。
そうだった、と茜は思う。
二人の仲が進展しないのは、浅兄の持つ、この茜姉への謎の信頼感も理由のひとつであった。
一緒に居て当然。傍に居て当然。幼い頃から距離の近い茜に対して、鈍感大魔王である浅葱はそれはもう屈託なく接していた。思春期特有の気恥ずかしさなど一欠片もない態度の兄を、茜姉は嬉しくも悲しくも思っていたに違いない。
「……あのさ。お兄ちゃんは茜姉のこと、どう思ってる?」
「え? そうだなー。ちゃんと考えたことなかったけど、ーー手のかかる妹、かな」
幼馴染を超えて、家族なんだ、と萌葱は思った。
でも、だとすると、本物の家族にはなれないかもしれない。
だって、妹は兄と結婚できないのだからーー。
(こりゃあ、私も一肌脱がないといけないな)
やれやれと、心の中で萌葱は嘆息した。