告白と拒絶
運がカンストするとは、一体全体どういうことなのだろう。
世間一般で言えば、運とはすなわち、宝くじに言い換えることができる。たった一枚だけ購入した宝くじが、三億円の当選券であったとしよう。その宝くじの購入者は、紛れもなく運が良いと周囲より称賛されることだろう。三千万でも、三百万円でも同様である。一方で、何百枚買ったとしても数万円の当たり券しか手に入らない人もいる。そんな人を運が悪いと表現するのも、なんら問題ないと思われる。
999の運を持つ彼女が宝くじを買ったら、いったいどうなるだろうか。
答えは、『ときどき、数万円から数十万円が当たる』だ。以外と思われた人も多いかもしれない。かつての西川浅葱もそのひとりだった。
しかし、成長するに連れ、彼はこの考えを改めることになる。それは、外国で高額宝くじに当選した人物が、後に殺害されたというニュースを目にしたときのことだった。
(目立ちすぎるのも良くないんだ)
幼いながらも、ひどく納得のいく話だった。幸福が過ぎると不幸になる。幸福とはともすると、破滅への第一歩となるのだ。禍福は糾える縄の如し、人生万事塞翁が馬とはよく言ったものだ。
数千万の宝くじが何本も当たってしまうと、譬えその事実をひた隠しにしたとしても、どこからかバレてしまう。壁に耳あり障子に目あり。羽振りがよくなったことを目聡い親族が聞きつけ、邪推し、自身の不幸に腹を立て、粘着質につきまとうことは想像に難くない。
そういった意味で、真の幸福とはほどほどに運が良いと表現される状態かもしれない。東堂茜の人生とは、まさにその、ほどほどに運が良いと呼ばれるものに限りなく近かった。
彼女の家族構成。母親、専業主婦。父親、公務員。兄弟姉妹なく一人っ子。ペットは猫が一匹。名前はニャンゴロー。一軒家の三世代住宅に暮らしており、祖母との仲も良好。父方の祖父母および母方の祖父は、年老いても特に病気に罹ることもなく綺麗に天寿を全うしたという。
ともすると平々凡々、やもすると順風満帆に幸と不幸を兼ね備えた彼女の人生。これが、運がカンストした人物の人生とは、いささか拍子抜けと思われるかもしれない。
それでも、彼女の人生は確かに幸せだった。愛する家族に囲まれ、親しき友人と繋がり、笑い、泣き、小さな悩みを大いに悩む、そんな彼女の人生は、傍から見ていると、幸福な人生と呼んで差し支えのないものだっただろう。
今日、この日、彼女が一大決心とともに、自分の想い人に告白するまではーー。
「アッキー。あなたのことが、好きです。私と付き合って下さい」
人気のない放課後の図書室の奥で、東堂茜は告白していた。
瞳を真っ直ぐに浅葱へと向けて。
緊張に冷たくなった手で、骨ばった彼の手に触れながら、彼女ははっきりと自分の気持ちを口にした。
西川浅葱は小首をかしげて呆けている。
いつもとは違う、冷たい彼女の手の感触だけが回らない彼の頭にインプットされており、それ以外の情報は遮断されていた。
数秒の沈黙。
やがて、混乱を振り払うように浅葱が絞り出した言葉はーー。
「ごめん。」
拒絶の一言だった。