表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神様になってみませんか [完結]  作者: こうちゃん
3/6

神は人によりて貴し



数ヶ月が過ぎて、神の見習いにもだいぶ慣れてきた。


このところ、人間社会は随分騒がしくて、この分だと神様が不要になることは無さそうだから、私の失業の心配はないだろう。



だが、自分の意見は云わない、口も手も出さないという宿題は克服できないから、当分の間神様に昇格することも無い。


と思っていたら、この間、ありがた婆さんに出会うことができた。


この婆さん、何でもありがたがってそれを神様のせいにしてしまう。


こちらは大神様との約束があるから、ただ見ているだけで手出しはしないが、


「天気がよくてありがたい」


「雨が降って作物が育つから・・・」


「暑いときは着るものが要らないから・・・」


「寒ければ来年は豊作になるから・・・」


とありがたがり、


「神様がしてくださるから」と手を合わせるのである。



いつもこんな風だから、この婆さんを憎む人はいない。


周囲に天敵がいないから、婆さんは常に安全で、95歳という寿命を満喫している。


この婆さんを見ていると、大神様の宿題の意味がなんだかわかるような気がしてくる。


昔、何かの本で「神は人によりて貴し」という文を読んだ覚えがある。


当時はよく理解できなかったが、神を信じて身を慎む人と、神を恐れずに暴挙をする人とでは、その結果に大きな差が生じる。


神が、えこひいきをしなければ、それぞれの行動に正しい結果が出るのだから、神は人によりて貴しである。


だから、神はどちらにも味方しない中立であるということが前提になる。


この、ありがた婆さんのような人ばかりなら神も楽でいいのだが、あまり楽になり過ぎると失業を心配しなければならなくなるから、少しは我が儘な人も居てくれなくては困る。


と、これは私の我が儘か。



世の中には「人は鏡だ」と云う人がいるが、他人には同情やお世辞があるからいびつに写る場合が多い。

だから人はいびつな鏡である。


その点で、「神は公正だからまともに写る」と、云いたいところだが、見習いの私にはそれが宿題である。


だから「神様は私の間違いを移して見せてくれる鏡だ」と感謝されるようにならなければと思う。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ