ある日の癇癪
掲載日:2017/10/19
文字というものが憎い。
振る舞いというものが憎い。
わたしというものが憎い。
憎たらしくて仕方がない。
嘘だ。全て嘘になってしまう。
欺瞞のように、自己満足に、なってしまう。
憎い。
涙は自分のために流すものだというけれど。
言葉は自分の一部だというけれど。
思った感情は、発露するや否や、偽物になってしまう。
その感情が抱かれたときにはあれほど大事だったものが、
その感情が発露されるときにはどうでもよくなっている。
涙を流すときに本当に大切なのは自分なのだ。
自分のために泣いているのだ。
もう私は純粋な涙を流せない。
純粋な涙とはそもそもなんだろうか。
純粋な悲しみの発露であろう。
けれど私の涙は、純粋ではない。
こんなに悲しいのに、純粋ではない。
私は、私のために泣いているのだ。
憎たらしくて仕方がない。
私が癇癪を起しているのは自分に対してなのだ。
この後に及んで私が関心を向けているのは私なのだ。
ああ、わたし、わたし。
泣いていたって仕方がないのだ。
そんなことは当たり前だ。
しかし悲しい時泣くのは自然だろう。
ごく普通のことだろう。
それが嘘っぱちになってしまうのは何なんだ。
どうにかならないのか。
私は純粋に泣きたい。ただ泣きたい。
それだけなのに、あさましい私は、泣いて充たされているのだ。
悲しみさえも生の彩であるかのように。




