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出会いは桜吹雪 2

 羅雪は糺羅を抱きかかえたまま木の根元に腰かけ、彼女の顔をじっくりと眺めている。かけたままの眼鏡が邪魔だったのかそっと外し、彼女の額に掛かる髪をはらい、何度か手で梳る。その感触を懐かしんでいるようにも見えた。

 ――この少女に彼女(・・)の面影はない。彼女(・・)はもっと大人しい、言ってしまえば十人並みの凡庸な容姿だった。だが、この髪の手触りはよく似ている。

 しばらくの間そうして2人だけの静かな時を一方的に楽しんでいたが、ふと思い出したように顔を上げ、腰に下げていた刀から刀身を抜き、地面に突き立てた。

 すると、どこからか音ももなく4人の「影」が姿を現し、彼の側に控えた。その中の一番体格の良い者に糺羅を渡し、いくつか指示を与え自らはそのまま森の奥深くへ歩き始め、やがて彼の姿は見えなくなった。



 同じ頃、王宮の一角で臣下が齢僅か14の皇帝を探していた。


「皇上、どちらにいらっしゃいますか。皇、またこのようなところに……方々探し回ったのですよ、そのような所にいられてはお風邪を召されます」


 皇上と呼ばれた少年は、王宮の中でも特に奥深い室の隅で猫を抱えながら床に座り込んでいた。臣下にちらりと視線をやると、彼はそのまま寝転がり体を小さく丸めた。抱かれていた猫は今までと体制が変わったのが不満なのか、彼の腕の中から這い出し、臣下の足にすり寄ってから空いていた扉から表に出て行った。

 

 「皇上。黛玉(タイギョク)もこの部屋から出たのですから、御身も」

 「……余は勉学などせぬぞ、悠舜(ゆうしゅん)兄上」


 声変わりもまだ始まっていない甲高く透き通った、しかし何かを諦めたかのような少年の口調。悠舜と呼ばれた男は、1度深くため息をつくと皇帝の傍に行き、隣に座り込み彼の頭を優しくなでる。


 「皇上、私は御身が憎くていつも勉学をしなければならないと申し上げているわけではございませんよ。御身がご幼少の頃より常にお伝えしていたではありませんか。我々皇族(ファンぞく)は、ここに住まう民たちのためにこの国がより豊かになるよう努めなければなりません。そのために、歴史を学び政を行い、いつか訪れる御使様を待つのです。それに……私には皇上がそれほど勉学を嫌っているようには見えません。もしや、母君から勉学のことについて何か奏上されたのですか?」

 「あれには何も言われていない。旻瑛(みんえい)も関係ない。ただ……」

 「ただ、なんでしょう」

 「ただ、どんなに多くを学んでも余がそれを活かせる機会などないから、する意味がないと思ってただけだ。政は兄上のように優秀な者たちが滞りなく行っているし、飢饉や流行り病もここ数年起きていない。余の出る幕などどこにもないではないか」

 「皇上……意味のないことなどこの世にはなにもありません。学ぶことをやめるということは、御身の成長の機会を御身自らの手で奪っているということです。御身はご即位されてから2年も経たれておらず、知識も経験も浅くていらっしゃいます。我々の亡き父皇、戒全王もそのことを心配されておりました。――焦る必要などないのです。御身の治世はまだ始まられたばかり。今は学ぶことに重きをおかれ、天下を治められることこそが最上だと思っております」


 幼い皇帝は何も答えない。悠舜は粘り強く彼からの言葉を待っていた。やがて、皇帝の口から「わかった」と小さな声が聞こえた。そのまますっと立ち上がり、自らの私室に向かおうとしたとき、悠舜がその歩みを止めた。


 「本日は違うところへ参りましょう」


 そう言って皇帝が連れていかれた室は、王宮と後宮を繋ぐ長い回廊近くに設けられた小さな東屋だった。ここは、彼が今よりもっと幼かった頃に兄姉と過ごした場所である。自由に後宮の外から出られなかったあのころ、ここがその世界を垣間見ることのできる場所だったのだ。――今となっては皇帝とその側近しか近づかなくなってしまった、ある曰くのある東屋でもある。

 皇帝は驚き悠舜の顔を見つめた。ここには近づいてはいけないといわれたのに、勝手に入ったらまた怒られる。そう思った彼は悠舜に「大丈夫なのか」と短く尋ねた。

 悠舜は笑って「この国に、御身がいらせられてはいけない場所などございません」と答え、歩みを促せた。皇帝は誰かの目を気にするように落ち着かない様子で東屋に足を踏み入れる。だが、そこに用意されていた菓子と茶器を見て嬉しそうにはにかんだ。


 「同じだな、あの頃(・・・)と」

 「はい、皇上がお気に召されている茶と、僭越ながら私の妻が作りました菓子をご用意いたしました」

 「義姉上のお手で作られたのか。……よくお礼を伝えてくれ」

 「御意」


 麦を引いた粉に牛の乳とはちみつを練りこみ蒸しあげた素朴な菓子を頬張る皇帝を、悠舜は申し訳なさそうな表情を一瞬だけ浮かべ、見つめる。先ほどは偉そうなことをつらつらと並べまくしたてたが、自分にはそのようなことを言う権利があるのだろうか。彼の生母の策略に気が付くことなく呆けていたせいで、彼の人生を大きく狂わせてしまったのではないか。この現状を、皇帝自身は望んでいなかったことを知っているだけに、後悔の念は深まっていくばかりだ。 


 「皇上、お菓子を召しあがるのはかまいませんが、ここへは勉学のために参ったのですよ。今日は――御使様の伝説についてです」





 ――今からおよそ3000年前、私たちの始祖に当たられる翔聖王(しょうせいおう)の御世のことでした。皇王には数多の女性が傍に侍られ、皇妃様、王妃様もいらせられましたがお子様がおられず、やっと生まれた2人のご子息も母君があまり身分が宜しくなく、お1人は元は遊女の出身であらせられました。

 そんな時、聖王は病に倒れられました。お世継ぎはお2人のうちより身分の良い母君からお生まれになったご子息に決まっていましたが、一部の廷臣にはその身分の低さを受け入れてもらえず、皇妃様王妃様に摂政として国を治めてもらい、同時にどちらかに聖王の弟君に再嫁を願い、新たにお子を生していただこうとする一派が現れました。

 それを機に宮廷内はやはりお世継ぎを、とご子息を押される一派、今までの政治にずっと不満を抱いていた者たちで集まり、新たに「星」を崇めようとする一派に分裂し、政は停止しました。

 その間、もう1人のご子息と皇王は誰からも省みられることはありませんでした。皇王のお命はもはや風前の灯火。そんな皇王の側に侍り祈りをささげるよりも新しい権力の一端を担うことの方が大事だとばかりに、臣下たちはお2人の側から離れていきました。

 政治の乱れは国の乱れを引き起こします廷臣の諍いの種が国民にまで飛び火をし、運悪く日照りや災害も続きました。

 やがて、国は4つに別れ、それは周りの小国も巻き込んでいきました。民はやがて生きる意味と希望を失い、この世の終焉も近いと噂されるようになったときのことです。

 それまでこの世界になかった桜の花が天から降り注ぎ、少女が異界より遣わされました。その時、その少女の後ろには、大きな3本の虹がかかっていたそうです。

 彼女は次々と「奇跡」を起こしていきます。それはやがて王宮にまで届き、全ての一派がその少女を求めました。しかし、少女は全てを拒み、病身の聖王と彼に付き添っていたご子息に手をお貸ししたのです。

 彼女はいつの頃からか「聖虹神の御使」と呼ばれるようになり、長く暗い戦を終わらせてくださいました。

 ですが、そんな彼女の力を持ってしても、別れた国を元に戻すことは叶わなかったそうです。彼女は、我が国虹糺国(こうれいこく)に身を寄せ、彼女の世界とこの世界を行き来しその生涯を終えられました――。


 「――これが御使様の伝説です」

 「その御使様のお墓はどこにある?」

 「御使様のご遺体は、御方が息を引き取られた後その場から光に包まれ、それがおさまった時には跡形もなく消えていたそうです。おそらく、もといた国へとお戻りになられたのだろうと。ご崩御される間際、私たちの尊父である虹羅王(こうらおう)陛下をはじめとする聖六家の始祖の方々にそれぞれ真名をお与えになり、我が陵家をお守りすることを誓わせたとか。私たちは、いまでもあの御方の再来を望んでおります。ですが」


 悠舜はそこで言葉を切った。この先を伝えるべきが逡巡しているように見える。


「御方はこう申されたそうです……」


 『もしも、次に私の子孫がこの国に舞い降りた時……その時は、その者の力を借りて国を立て直すのではなく、自分達の力で国を新しく作り直すのです。その者に頼って良いのは他国と戦になった時だけ。この綺羅(きら)の名と魂にお誓いください』


 「その後、御方の地位はご子息へと受け継がれ、今でもその方が名代として国の政事の一端を担っておられます。と、申し上げましても、そのご子息も遠い伝説の方。実際にそのお姿を見たという者はおりません」


 いつしか菓子を食べる手も止まり、皇帝は静かに悠舜の話を聞いていた。

 御使の話が一番好きだった。彼女なら、自分の傍にずっといてくれるかも知れない。かつての羅王陛下と御使様のように、いつまでも一緒にいられるのかも知れない。ずっと一緒にいてくれるのは彼女だけなのだと信じていた彼にとって、御使の残した最後の言葉はまるで自分自身が突き放されているように感じた。



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