始まりの風 4
ご当主は母にチラと目をやりながら話を始めた。
「急に呼び立ててしまってごめんなさいね。本当なら2月の誕生日の時に由実さんからお話を通しておくはずだったのだけど、どうもうまくいかなかったみたいで」
何も知らないでここにいる私をフォローするためなのだろうけれど、母が私に何も話していないことに多少怒っているのか咎めるように目を細めながら母の顔を見ている。その視線に耐えられないのか、母はか細い声で「申し訳ありません」と顔を上げずにつぶやいた。今更いいわとばかりに母から目を逸らし、改めて私に向き合い話を進める。
「今日はあなたの誕生日会という名目で集まってもらったと思うわ。でも、それはあくまでも名目に過ぎないの。……あなたと霄さん以外の人はみんな知っていることを、伝えるために来てもらったの」
その言葉に、姉さんがピクリと肩を震わせたのが見えた。心なしか、顔が赤くなっている。――怒っている? いったい何が私に知らさせるっていうのだろうか。ご当主は小さく息を吸い込み、全く予想していなかった言葉を発した。
「糺羅さん、あなたは――いえ、私はあなたの母親です。私と夫の間に生まれた、この家を継ぐ正当な後継者があなたなの。いろいろな、本当にいろいろな事情があって3歳の時正路さんと由実さんに引き取って育てていただいていたけれど、17歳になったとき本家に戻ることが決まっていたの。今日はそれを伝えて――――」
あまりのことに脳が言葉の意味を処理することができない。目の前にいる女性が私のお母さん? 引き取られて? 後継者? ?マークが頭に浮かんでは消えていく。言われている言葉の何一つも理解ができなず、ポカンと口を開けてしまっていると、ご当主がそれに気づいたのか続いていた話を止めた。視界の隅ではご当主のご主人が家令に何を指示を出している。そのままスタスタと扉に向かっていく家令に視線を移すと、後ろから誰かに肩をつかまれ、床になぎ倒された。
突然のことに何も反応できなかった私は、思い切りしりもちをついて床に座り込んだ。顔を上げると、怒りで顔をゆがめる姉の姿が見えた。
「ふざけないで」
「あ……ね、姉さん。なんで」
「黙りなさい! お前に姉だなんて呼ばれたくない! 穢れた血を引く醜い娘のくせに!……なんでいつもお前が選ばれるの。お前なんて、私と咲貴の控えでしかなかったはずなのに、なんでいつもいつも私の邪魔をするの!」
「待って、何を言われているのかわからないの。ね、姉さんと咲貴さんの『控え』ってどういうこと? 姉さんは父さんと母さんの子でしょ」
「お二人は私の養父母よ。私だってご当主の娘。お前なんかとは違って、選ばれた血を引いている私と咲貴に……私にだって『あれ』を持つ権利はあるはずよ! こんな代用品にいったい何の価値が……っ! あるっていうの!!」
そう叫び、私の首に手を伸ばそうとしたところを、長兄と旦那さんに止められていた。私はその隙を突いた先輩と、ご当主の息子さんに助け起こされ、扉近くに下がらされた。――姉の目は本気だった。本気で首を絞めるために、私を殺すために私に手を伸ばしたのだ。その事実を実感すると、震えが止まらない。私の震える手を、誰かがそっと包み込む。ご当主の息子さん……私の、弟になる恭弥くんだ。彼と会うのは今日が初めてだが、大きく少し釣り目なところ、黒にほんの少しだけ銀を混ぜたような真っすぐの髪は私のそれと同じだった。その顔は無表情でブスッとしているようにも見えるが、それでも震えが収まるまでずっと手を握っていてくれた。
「あ、りがと。えっと」
「恭弥」
「恭弥くん。あの、助けてくれてありがとう」
「……別に。気が向いただけ」
そういってそっぽを向きつつも、まだ手を離そうとしない。素直じゃないだけで、きっと心の優しい子なのだろう。こんな状態だというのに、彼の不器用な優しさがむずがゆいような、照れくさいような気持ちにしてくれる。テーブルではまだ姉さんが金切り声を上げていた。旦那さんが必死になって姉さんを抑えようとしているが、それが一層苛立たせるのか彼女の暴走は収まりそうにない。
この後どうしていいのかわからず、ひとまずこの部屋から出ようとしたとき、少し低い女性の声が響いた。咲貴さんの声だ。姉さんに近づき何かを告げると、こちらを振り返りさらに言葉を続ける。そしてツカツカとこちらに歩み寄ってきた。先輩と恭弥くんが私を庇うように背中に隠す。
初めて彼女と会うが、彼女の容姿は姉と似通っている。意志の強そうなまなざしと、少し癖のある色素の薄い髪。違っていたのは私を見る目だった。姉のような強い憎しみは彼女にはなかった。ただ、どこか憐れみのこもった目で見ている。
「恭弥、その人から離れて。このままじゃいつまで経っても話が進まない。あなたも、こんなことになって混乱するのはわかる。でもきちんと説明がほしいとも思ってるのでしょう。そう思うのならもう一度あちらに戻って、母からの説明を受けてちょうだい」
恭弥くんはまだ私から離れようとしない。テーブルに目を向けると、姉さんがこちらを睨みつけながら、それでもいくらか落ち着きを取り戻した様子でいる。ご当主はご主人に庇われながら、心配そうにこちらを見ていた。私は恭弥くんの手を握り返し「もう大丈夫だから」と言ってそのままゆっくりとテーブルに向かって歩いた。先輩はまだ安心しきれていないようで、私の前を歩いて姉さんを避けてご当主のところまで誘導してくれる。そのあとも席に戻ることなく、私のそばにいてくれた。
咲貴さんはそのまま自分の席に座るかと思っていたが、姉さんの側に行きまた何か話しかけ、彼女を連れて私たちと反対側のご当主の横に立った。
「誘香莉、あなたはまだ……いえ、今更話すことではないわね。ごめんなさい」
「今更あなたに期待などしていません。ただ、今でも私は納得していません。この家の正当な後継者は咲貴だた1人。私は絶対にあれを次期当主だなんて認めませんから」
「ゆか姉、その話はこれに決着がついてからにしましょう。誰の目にも明らかになるのだからはっきりさせることができます」
咲貴さんの言葉に、姉さん「そうね」と答えまた火が付きそうになっていた怒りを収めた。あれではっきりと咲貴の正当性を示すことができるわ。と、小さな声でつぶやいた後、勝ち誇った笑顔を私たちに向ける。咲貴さんは、姉さんをあんなに親しげに呼んでいるのか。2人の仲の良い様子を目の当たりにして、私は本当に姉さんの妹にはなれなかったのだと、実感させられた。
騒ぎを聞きつけたのか、家令が慌てた様子で部屋に入ってきた。その手には出ていくときにはなかった手袋がはめられており、大事そうに木箱を抱えている。木箱を持ってきた。それは、母が持っている宝石を入れる箱の類にも見えた。ご当主から簡単に状況を説明され、不安げな顔で私たちと姉さんたちを交互に見るが、何も言わずに木箱をご当主の前に置き、後ろに下がった。彼女がその箱をそっと開けていく。
その中には紫水晶が連なった首飾りが2種類、耳飾り、指輪、腕輪、足環が入っていた。しかも、その品々は見た目こそ古そうだが、石の大きさや形、その他の飾りの繊細さからかなり高価なものだと思われる。
彼女はそれを手に取り、首飾りを私と咲貴さんに手渡してきた。今この場でつけてみてくれと言われ、咲貴さんが先に首飾りを身に着けた。私も見よう見まねで複雑に作られている留め具を外し、首にかける。すると、真ん中に垂らされた一際大きい石から小さく光が発せられた。その光はだんだん大きくなり、ご当主の座る椅子を貫きその奥の扉の小さな鍵穴に収まった。咲貴さんの首飾りは何も光らない。それを見たご当主が静かに話し始める。
「これで、みんな納得してくれるかしら」
みんなに、と言っているが、たぶん姉さんに向けての言葉だと思う。姉さんは信じられないものを見る目で咲貴さんと私の胸元を見比べている。咲貴さんは何も言わずに首飾りを外し、私に手渡した。そのときもやはり可哀想なものを見る目で私を見ていた。当主になる。いまだに信じられないし、信じてもいないが、咲貴さんの目を見て唐突に不安が私の心をよぎった。もしかしたら、とんでもないことに巻き込まれたのかもしれない。
「恭弥、それはあなたが持っていなさい。必ず必要になってくるものですから、大切になさい。霄さん、あなたはそのブレスレットを受け取ってくださいな。あなたもまた、選ばれた人です」
「は、はぁ? なんでここにわしが出てくるんか?わし何一つ納得ってゆーか、理解してんのんじゃけど」
「いずれわかります。いやでもね。私の時はだめだったけれど、きっとあなたたちなら大丈夫よ。……糺羅さん」
「は――」
「残りの宝飾品もあなたがお持ちなさい。これは我が家に代々伝わる特別なもの。それをあなたが必要だと思ったとき、必要だと思った相手に渡すのです。きっと役に立つはずだから」
「ま、待ってください!」
だめだ、ここではっきりさせておかないとすべてが有耶無耶にされる。今の光の説明も、それがなんで当主決定になったのかも、必要になる「とき」というのも、すべてを教えてほしい。そのことに意識を向けすぎていた私は、姉さんが近づいていることに気が付けなかった。先輩と恭弥くんも、手にしたばかりのそれに気を取られ、咲貴さんはもう今までのことに関心をなくしたのかぼうっと窓の外を見ていた。私の近くにいた人全員が、他のことに気を取られていたその隙に、姉さんは私の首飾りに手を伸ばし、引きちぎろうとした。
「絶対に認めない、お前なんか」
血走った眼で私にそう告げ、どこに隠していたのかもう片方の手には小さな折り畳みのナイフが握られていた。刺される――。そう思ったとき、恐ろしい形相の姉さんの顔が歪み、隣にいた恭弥くんと霄先輩の膝が崩れ落ちるのが目に入った。部屋のすべてがぐにゃぐにゃになり、小さく回転を始めた。どこかに落ちてる? でもいったいどこに落ちるところがあっただろうか。その場に崩れ落ちそうになるのをどうにか踏ん張ろうとしたとき、足を支える地面がないことに気付いた。
「え?」
そのまま視界は暗転し、落ちていくという感覚を最後に、私の意識は途切れた。