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石神様の仰ることは  作者: 黒辺あゆみ
第九話 死者の声

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その8

楓は布団の中で目を覚ました。

 一瞬さらわれてから気が付いた時のことが脳裏を過ぎるが、楓の身体に回された腕に、すぐに安心する。

 ――ここは、あの場所じゃない

 楓を抱きしめて眠っている本郷の姿に、楓はゆっくりと息を吐き出した。楓も本郷も、浴衣を着ている。おそらく部屋に備え付けてあるものだろう。ということはどこかの宿泊施設だろうかと、楓は考えをめぐらせる。

 窓から見える日はもうずいぶん高い。枕元にある腕時計を見ると、もう昼過ぎである。

「巽さん、巽さん」

楓は自分を抱きしめる本郷を揺する。何度か繰り返すと、本郷がゆっくりと目を開けた。

「……ああ、楓さんおはようございます」

本郷がふわりと微笑んで抱きしめる力を強めた。


『ちゃんとムッチリちゃんがいる』

副音声がそんなことを言う。不安な気持ちは本郷も同じだったのだろうか。ちゃんと楓がここにいることを教えてやりたくて、楓もぎゅっと抱きしめ返す。

 そのぬくもりに浸りたい気もするが、楓にはもっと切実な願いがある。

「あの、お腹が空きました」

楓はそう言って本郷の顔をペチペチと叩いた。

 睡眠をとって元気になったら、楓の身体は空腹を思い出したようだ。思い返せば、楓はさらわれてからなにも食べていない。

「それはいけません、食事にしましょうね」

本郷が宿に食事を部屋まで持ってきてもらうように頼むと、ついでに洗濯を終えた服も届けられた。超特急で仕上げてくれたようだ。隣の部屋の平井先生も一緒に、朝食兼昼食をとった。


 その後本郷に抱えられて家族風呂へ連れて行ってもらう。足の裏の怪我が、存外痛くて歩けないのだ。そんなわけで楓は本郷と一緒に風呂に入り、洗ってもらうことになった。聞けば本郷が寝ている楓を簡単に拭いたりはしてくれたらしい。道理で身体がべたついていないと思った楓だった。コンビニで替えの下着まで買ってくれていて、本当に感謝である。

「巽さん、足が痛い……」

涙目でしがみつく楓を、本郷が慰めるように口付けてくれる。

「後で病院で、ちゃんと治療してもらいましょうね」

傷口を清潔な湯に浸し、足をゆっくりと温める。楓が寝ている間に、本郷がお湯で濡らしたタオルで温めてくれたようだが、やはり芯が冷えていたようだ。

 風呂ですっきりした後、二人部屋でのんびりしていると音無がやってきた。


「楓の調子はどうだ?」

「お腹が空いたと言って起こされましたよ」

音無に本郷が冗談めかしたように答える。

「もう、言わなくてもいいじゃない」

楓が頬を膨らませると、二人が笑った。

「飯が入るくらいに元気なら、安心だ」

そう言って笑った後、楓の前に荷物を置いた。

「あ、私のリュック!」

「靴とコートは瓦礫の下だが、とりあえずこれだけ持ってきた」

楓がリュックの中身を確認すると、持ち物は全部あるようだ。特に携帯電話が戻ってきたことに安心していた。

 ――だって、巽さんの写真が入ってるもん

 頼めばまた撮らせてくれるだろうが、それでもあの時の写真がなくなるのは寂しい。


「あの、おじいさんはどうでした?」

楓が助けてくれたおじいさんを気にすると、音無が一瞬の間を置いて微笑んだ。

「ああ、ちゃんと無事だ。楓に会わせることはできんが、礼をつたえておいた」

「そっか、よかった」

本当ならば、直接礼を言いたいところだが、今いろいろ忙しいだろう音無に無理は言えない。

「楓が閉じ込められていたと思われる部屋は、何故か無事だった。言っていた通りに遺体を発見した」

「……そうですか。早くお墓に入れてあげてくださいね」

「そうだな、それが一番だな」

楓は目を伏せて、布団の人の冥福を祈った。


 本郷が楓の荷物を見ながら首を傾げる。

「楓さん、ひょっとしてヘッドフォンもしていましたか?」

いつも楓が身に付けているものだからだろう、気がかりそうに尋ねてきた。

「……そうですね、なくなっちゃいました」

あれはあの形が気に入っていたのに。おそらくあの壊れた屋敷のどこかにあるのだろう。

「ヘッドフォン、休みのうちに一緒に買いに行きましょうか?」

楓がしょげているように見えたのだろう、本郷が励ますように言ってくる。しかし。

「ヘッドフォンは、もういらないです」

楓は自分に言い聞かせるように、頭を振った。

「楓さん?」

楓の言葉に本郷が驚いている。だが楓には、さらわれてからずっと考えていたことがある。


「私がヘッドフォンをしていなかったら、ちゃんと変な人が近付いていることに気付いて、簡単に捕まったりしなかったかもしれない」

楓の極力周囲の音を気にしないようにする癖が、悪いことを呼び込んだのかもしれない。周囲にもっと気を配っていたら、あんなに簡単に連れ去られたりせず、スーパーに逃げ込むことだってできただろう。

「それに、石たちは私を助けてくれた。昔私のおじいちゃんだって言ってた、石たちを邪険にしたりするのは間違いなの」

石たちは道を示し、本郷を連れて来てくれた。今楓がここにいるのは、石たちのおかげだ。

「だから、もうヘッドフォンはしないんです」

これは楓にとって、今までの自分との決別である。

「……そうですか」

楓の視線の先で、本郷は微笑んでくれた。


「今度から、石が嫌なことを言っていたら、それを拾って帰って悪い念を石神様に食べてもらう。そして石を自由にしてあげたい」

石たちだって、嫌なことをずっと言い続けるのは苦しいに違いない。その苦しみを取り除いてあげられるのは、楓しかいない。

「……巽さん、私おかしいかな?」

楓は尋ねながらも、本郷は否定したりしないという自信があった。付き合っている時間はそれほど長くはないかもしれない。けれども本郷は、楓の自慢の恋人なのだから。

「いえ、いいえ。とても立派で、楓さんらしい決意だと思います」

眩しいものを見るような顔で、本郷が楓を見ていた。音無も、ポンポンと楓の頭を叩いてくる。

「楓さんのおじい様もきっと、喜んでいるでしょうね」

「それでこそ、石神様の巫女だな」

楓は笑った。さらわれてから、初めての笑顔だった。



それから病院で検査をした結果、ちょっと風邪を引いているのと足の怪我以外、楓になにも悪い箇所はないと言われた。むしろ足の怪我こそが大事だった。真冬の夜の林を靴下一枚で歩いたせいで、凍傷になりかけていたらしい。道理で痛いはずだ。

 足の裏の保護のため、両足を包帯でぐるぐる巻きにされた楓は、本郷に抱えられて病院を出た。これから宿に戻って一泊し、明朝帰るのだ。

 コートと靴を失くした楓のために、病院を訪れた音無が代わりの品物を贈ってくれた。正直今まで使っていたものよりも、何倍も高いものである。楓は恐縮してしまったが、

「迷惑料ですよ。結果この件は、類の一族のお家騒動だったんですから」

と本郷が言っていた。受け取ってやるのが音無のためらしい。

 音無と梓は、今から響家に帰るらしい。なので病院前で別れの挨拶となった。


「楓ちゃん、春休みにでも遊びにくるといい」

「うん、絶対に行くね」

「今度うちの親父から、石守神社に正式に詫びが送られると思うからな」

楓は梓と握手を交わして約束していると、音無がそんなことを言った。あまり両親が驚くようなものを贈られても困ってしまう。だがこれも本郷の言う迷惑料なのだとか。

 そして二人は榊の運転する車に乗り、帰っていった。

「さぁて、俺らも行くぞ」

平井先生に促され、楓も車に乗った。


 ゆっくり宿で休養した明くる日、楓たちが帰るのに見送りにきてくれたのが、音無の祖父だった。崩壊した一宮別邸の後始末の責任者として、しばらくここに残るらしい。

「余計な横槍を入れられるのは御免だからな」

と胸を張っていた。まだまだ現役らしい。

「じゃあ帰るね、おじーちゃま」

「おうおう、東京に出てきた折には連絡を入れるのだぞ?」

車の中から顔を覗かせた楓の頭を、音無の祖父に優しく撫でてもらう。

「石守のジジイの代わりに、このじーさまが楓ちゃんの花嫁姿をしっかり見届けるからの」

音無の祖父がそう言いながら、本郷をじろりと睨んでいた。本郷はそれを正面から受けて、にっこりと笑みを浮かべる。

 ――なに?

 なにやら緊迫した二人の様子に、楓は首を傾げる。


「出発するぞー」

平井先生の合図で、車が走り出す。

 楓は車の中から、音無の祖父が見えなくなるまで手を振った。

「あのじーさまの、あんなに優しそうな顔を始めて見た気がします」

音無の祖父の姿が見えなくなってしばらくして、隣で本郷がポツリと呟いた。いつも音無に説教をしていた印象しかないらしい。

「えっとね、男の孫しかいないから、女の子が可愛いらしいですよ?」

はるか昔に言われたことを、楓は本郷に教えてやる。

「なるほど、確かに類には可愛げは皆無ですね」

こんなふうに会話を弾ませながら車は一路、石守神社へと走っていく。

 やがて、車の中から石守神社の景色が見えてきた。

 鳥居前の階段に、楓の両親がいる。それに橋本姉妹と新井先生までが揃って、こちらに向かって手を振っていた。

「みんな、ただいま!」

楓は車から身を乗り出して、みんなに大きく手を振った。

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