その7
巽は車で待機していた兄と合流し、早速石守神社に連絡を入れた。
『ああ、よかった……』
電話の向こうで泣き伏せる夫妻に、彼女は軽い怪我をしているが元気そうだと伝えておいた。
「それでも一応、こちらの病院で精密検査を受けることになりました。これは音無家が代金を持つそうですし、保護者代理として僕の兄もいますから」
『わかりました、楓をよろしくお願いしますとお伝えください』
この後、彼女と話をさせて電話を切った。
彼女は全身土まみれで、靴を履かずに林を歩いたせいで、足も怪我をしていた。このままでは可哀想だと、類の祖父が近くの宿をとってくれた。兄共々そこで一旦休憩し、その後病院へ向かうことになった。
類たちは今から壊れた屋敷の捜索をするらしい。何故彼女をさらったのか、その理由が明らかにならなければ、安心して帰れないのだ。
宿に向かう途中、疲れ果てた彼女は寝てしまった。無理もないことなので、巽は寝たまま彼女を宿まで運んだ。
宿の部屋は、彼女との二人部屋にしてもらった。一人で見知らぬ部屋で目覚めて不安な思いをさせたくないと、巽が申し出たからだ。これに兄もなにも言わずに了承してくれた。
彼女が起きたら風呂に入れるつもりであるが、まずは泥だらけの服を脱がせ、お湯で濡らしたタオルで汚れた身体を拭いていく。一応きれいになったところで、部屋に備え付けの浴衣を着せた。
巽もそうだが、着替えなどを持っているはずもない。宿へ来る途中のコンビニで、彼女の分も下着だけ購入した。汚れた服は宿に頼んで洗濯をしてもらうことにした。
逃げる時に木や石を踏んだらしく、彼女の足の裏は傷だらけだった。靴下は霜で冷たく冷えてしまっていて、これでは凍傷が懸念される。お湯で温めたタオルを彼女の足に当てると、だんだんと赤くなってきた。これは彼女が起きたら痛いだろう。それから巽は簡単な手当てをしたが、あとで病院でちゃんとした治療をしてもらうべきだろう。
布団で穏やかな寝息を立てる彼女の頬を、巽はゆっくりと撫でる。
「よかった……」
身体を拭いた時にざっと確かめたが、暴力を受けたり、性的暴行をされたりした形跡は見られない。本当に林で転んだくらいの怪我であったようだ。そのことに巽は感謝をしたかった。
彼女の枕元に置いてある、腕時計を見た。
「これのおかげですね」
今までの幸運の積み重ねを思い、巽はようやく一人涙を流すのだった。
***
一宮家の別邸は、一夜にして瓦礫の山と化した。
不思議なことに、この別邸のあたりだけが激しく揺れたらしく、周辺地域では被害らしいものは出ていなかった。
「これが、神の怒りか」
類は瓦礫の山の前に立ち、ぶるりと身震いをした。濃厚に残る神の気配に、悪酔いしそうだった。
瓦礫となった一宮の別邸で、倒れた壁に挟まれた当主の息子が発見された。息はあるものの重症で、今病院で治療を受けている。別邸の周辺にいた一宮家の人間を捕まえて話をさせたところによると、楓をさらうように命令したのは、この当主の息子であるらしい。何故そのような命令を下されたのかまでは、知らないと言う。ただ言われた通りにしただけだそうだ。
「……バカなことを」
自ら神の怒りを買うような真似をした一宮の血族を、東京に残った音無家の当主は不要と発言したらしい。一宮家は一旦断絶となり、一宮家のさらに分家の中から、新たな一宮をたてることになるだろう。
だが瓦礫ばかりの敷地には、妙な現象が起こっていた。
瓦礫の中、不思議に一箇所だけ無事な部屋があった。そこには沢山の香炉が置かれており、ドライアイスに囲まれた布団が敷かれていた。
布団の中にあったのは、老人の遺体である。遺体は時間が経過しているようで、おそらく臭いをごまかすための大量の香炉だったのだろう。ここに閉じ込められたという楓が、類は可哀想でならない。
遺体の主は、一宮家の当主であることが判明した。病気どころか、すでに亡くなっていたのだ。そして一宮の当主の容貌は、あごに白いひげをはやした老人だ。
「楓を逃がしたのは、貴方か一宮の当主」
布団の横に跪き、類は物言わぬ老人に語りかけた。
楓が言っていた、逃がしてくれたという「白いひげのおじいさん」という特徴は、当主のものと一致する。一宮の当主と楓は、なんの面識もなかったはずであるのに、死した身でわざわざ楓を助けたとは。
「運び出せ、丁重に扱え」
類の指示のもと、布団の遺体は瓦礫の中から運び出された。その様子を見守っていると。
「やはりねぇ、巫女様はさすがだ」
背後からかけられた言葉は、妙に間延びした、癪に障る喋り方だった。類が振り返ると、そこにいたのは色白でひょろりとした体型の、大きな黒縁眼鏡をかけた中年男性だった。
「きれいに壊れたねぇ」
相手はそう言ってへらりと笑う。
「お前は、木崎だな。巽の言っていた骨董屋の」
問い詰めた類に対して、木崎は慇懃に頭を下げてみせた。
「ええ、木崎骨董店の主ですとも」
これが嫌味に見えて、類は顔をしかめた。
「音無にお届けものでねぇ」
すいっと、木崎がどこからか書状を差し出した。
「一宮家の当主であることを証明する、音無からの書状ですよぉ」
差し出されたものを、類はひったくるようにして受け取り、中を改める。確かに本物だ。楓が言われていた「当主の証書」である。これを木崎が持っていたのだ。
「何故これを、お前が持っている」
楓は当主の息子に、当主の遺体からこの在処を聞き出せと言われて閉じ込められたと言っていた。これから推測されることは、当主が急死した時、息子はこれがどこにあるのは知らなかったということである。
当主が息子に、当主の証を渡していなかった。即ちそれは、息子を次期当主とするつもりがなかったという意味でもある。
「一宮の、当主争いか」
状況を整理できた類に、木崎が肩をすくめた。
「一年くらい前かねぇ。いきなりこのじいさんが現れて、『自分のものにするなり音無に返すなり好きにしろ』って言うものだから、好きにさせてもらったので」
にたりとした笑みをうかべた木崎を、類は睨みつける。
「おかしいよねぇ。持っている本人に向かって、じいさんの死体から所在を聞き出せって、えらい剣幕で命令するんだもの」
腹を抱えて笑う木崎に、類は視線を強くする。
「木崎お前、わざと楓の名前を一宮の息子に教えたな」
息子が最初から楓の存在を知っていたとは考えがたい。なにしろ、類だって夏に梓の幼馴染として会うまでは、石神様の巫女を知らなかったのだ。
木崎が笑みを深めた。
「わたしは確かに目と耳がいいのが自慢だけどねぇ。死んだじいさんがなにを言っているかなんて知らないね。だから教えてやったまでで、神の声を聞く巫女がいると」
木崎は亡くなった一宮の当主の愛人が産んだ子供だ。この母子に当主の妻とその息子が、それは厳しく当たったと調べが上がっている。
「自分の復讐に、俺のダチを巻き込んだのか」
類の詰問にも、木崎は悪びれた様子がない。
「復讐だなんて人聞きの悪い。ちょっとした仕返しだよぉ。あいつらには、さんざんな思いをさせられたしねぇ。あの息子とその母親の嫌がらせで、うちの母さんは早死にした」
一宮の当主一家にどういう感情が渦巻いていたのか、類にはわからない。けれども、家族が破綻していたのであろうことは、容易に想像がついた。
「神の怒りを買った血族なんて、いらないんでしょ?ああ最高に気分がいい!」
天を仰いで両手をかざす木崎は、晴れ晴れとした表情をしていた。
しかし、類はこれで木崎を無罪放免にするつもりはない。
「……巽は今、楓の世話で忙しい。なんで俺が代わりにやってやる!」
類は大きく腕を振りかぶり、拳で木崎の顔を殴りつけた。木崎は避けもせず、類の拳を受ける。
「おお痛、鼻が折れたかもねぇ」
鼻血を出す木崎を、類はしかめっ面で睨む。
「ふん、この証書は確かに受け取ってやるよ」
類は木崎に背を向ける。
「ああでも」
木崎が独り言のように呟いた。
「巫女様は確かにじいさんの声を聞いた」
類はそれに振り返らずに、耳だけを傾けた。
「見ず知らずの死体に、巫女様は手を合わせて冥福を祈ってくれたのさぁ。あんなじいさんでも、れっきとした親父でねぇ。巫女様はお優しい」
――ああだから、当主は楓を逃がしたのか
楓は自らの行いで、自分の身を守ったということになる。それが、類の親友が最も愛する女の在り方かと思うと、類は心が温かくなる思いであった。




