その6
見えない壁に阻まれ楓が泣いていると、石たちが騒ぎ出した。
『ムスメナイタ』
『カミサマオコル』
『オコル』
『オコル』
『『『カミサマオコル』』』
今までとは違う石たちの声に、楓は泣いている顔を上げた。すると、
『ムッチリちゃんはどこだ!?』
聞き覚えのある声がした。楓をムッチリちゃんなどと呼ぶ石は、一つしかない。
――どうして聞こえるの?
楓が涙を拭って周囲を見渡すと、目の前の見えない壁が、まるで歪む鏡のように景色を歪める。そして、
「楓さん、そこにいますか!?」
聞こえ辛い、ノイズの交じったような声が聞こえた。楓がずっと助けを求めていた相手の声が。幻聴かと思っていると。
「楓さん!」
再び聞こえた。間違いない、本郷の声だ。
「たつみさ、巽さん!私はここです!」
楓は声を張り上げて、歪む壁を力の限り叩く。すると、
「楓さん!」
突然目の前の歪む壁から人の腕が現れて、楓の腕を掴まれぐいっと引っ張られた。
「きゃっ!」
楓は突然のことに、されるがままになる。力一杯引っ張られたと思ったら、何かに受け止められた。
「楓さん!ああ本当にいた!」
顔を上げると、泣きそうな顔の本郷がいた。
「巽さん……」
本当に本物なのか楓が信じられずにいると、本郷が抱き上げてきた。そのぬくもりに、楓の心の中にも温かいものが満ちてくる。
「巽さん、本当に巽さんだ……」
ぽろぽろと涙を零す楓に、本郷が優しく口付けてくれる。
「こんなに身体が冷えて、靴も履いていないではないですか」
何度も転んだため、楓の全身は土まみれに違いない。だがそんなことを気にせず、本郷が力をこめて抱きしめてくれる。
「でも、ここまで自力で逃げてきたんですか。偉かったですね楓さん」
本郷が褒めてくれた。それだけで、楓の頑張りが報われた気がした。
「怖かった、怖かったよぅ……!」
楓は声を上げて泣いた。
「見つかってよかった。なにもされてませんか?」
楓はしゃくりあげながら、懸命に頷く。基本閉じ込められていただけで、暴力などは受けていない。怪我は楓が林の中で転んだ時のものだ。泣きながら、楓は懸命にそれを伝えた。無事に恋しい人のもとへ帰れたのだと。
――ほら、ちゃんと見つけてくれた
助かったのだという実感を得るために、楓は本郷にしがみ付いた。
泣きじゃくる楓に、本郷が自分のコートをかけてくれる。
「本当にいたんだな」
何故か、本郷の側に音無と梓がいる。どうして二人がここにいるのだろうか。それに疑問に思うも、楓はあのおじいさんの言葉を思い出す。
『大丈夫、すぐに会える』
おじいさんは本郷が近くまで来ていることを、知っていたのだろうか。そうだとしたら、できれば助かったお礼を言いたい。
「あのね、巽さん……」
ようやく泣き止んだ楓が、おじいさんの話をしようとした時。
「うわっ!」
下から突き上げるように地面が揺れて、本郷がバランスを崩してしりもちをついた。それでも、楓を落とさないでいてくれた。
「地震か!?」
音無が驚きの声を上げながら、近くの木に捕まって耐える。
『我が愛し子を害する者は、どこぞ』
地響きと共に声がした。聞き間違えることのない、石神様の声だ。
「石神様だ……」
本郷が畏れるように呟いた。
「石守神社の周辺では、微かな地震が続いています。それが、ここへ辿りついたのか」
「石神様、が?」
楓は目を瞬かせる。
「これは、石神様の声なのか?」
その声は、楓以外にも聞こえたようだ。音無が青い顔で空を見上げるようにする。
「これが、神の娘をさらった罰」
梓は音無にしがみついている。
梓の言葉に、楓は顔色を変えた。いつも楓を優しく見守り、諭してくれる石神様が怒っている。
「私、のせいなの?この地震……」
「違います、楓さんをさらったバカのせいです」
本郷がきっぱりと否定してくる。それでも、楓が地震の要因になっていることは確かだ。
地震によって、見えない壁だったものが揺らいでくる。林が続いてると思っていた場所に、広大な屋敷の敷地が現れる。屋敷は地震の激しい揺れによって、あちらこちらが倒壊し始めていた。
「やめて、やめて石神様!」
本郷の腕の中から、身を乗り出すようにして楓は叫ぶ。
「楓さん、危ないですよ!」
本郷が慌てて楓を引き寄せて宥めるが、それでも楓は叫んだ。
「あそこにはおじいさんがいるの!布団の人だって悪くないよ!だから壊さないで!」
楓が叫ぶと、
『我が愛し子が、そう望むなら』
楓の耳元で、石神様の囁くような声がした。
地震は徐々に緩やかになり、しばらくして収まった。
「……止まった」
揺れなくなった地面に、音無が脱力して木にもたれかかる。
「みんな、楓ちゃんに感謝」
音無を盾にしていた梓が、納得顔で頷く。
「すぐにここから出ましょう。地盤が緩んだかもしれません」
本郷が楓を抱えて再び立ち上がり、林を出る方向に歩いていく。
林の外の道路には、大勢の人がいた。
「巽さん、この人たちなに?」
状況がわからないことが怖くなり、本郷にぎゅっとしがみ付く。すると、
「おお、楓ちゃん!」
人々の中から、一人の老人が飛び出してきた。その老人に、楓はうっすらと見覚えがあった。
「……おじーちゃま?」
梓の家でたまに見かけた、楓の祖父の友人であるという人だ。目を瞬かせながら呟く楓に、老人は顔を綻ばせた。
「そうじゃ!もうここ何年か会っておらんかったな。楓ちゃんは大人になったのぅ」
「楓さん、類のおじいさんと知り合いでしたか」
本郷の言葉に、楓は驚く。
「え、音無さんの?」
夏休みの梓の家に、いつも美味しいお菓子をもってきてくれた老人が、音無の祖父だという。
「おう、うちのジジイだ」
いきなり人間関係が繋がって、楓は混乱する。しかしわかったこともあった。
――だから音無さん、梓ちゃん家にいたのか
一人腑に落ちたことで安心していると。
「楓ちゃんは、どうやって屋敷から出てきたのだ?」
音無の祖父に尋ねられた。説明によると、強力なバリケードのようなものが邪魔をして、みんなは敷地に入ることができなかったのだとか。
――あの、見えない壁のことかな?
楓の想像は外れてはいないだろう。
「楓さん、先ほどのおじいさんとはどなたですか?」
楓が石神様に向かって叫んだことを、本郷は覚えていたらしい。改めて尋ねられたので、素直に答えた。
「あのね、私をお屋敷から出してくれた白いひげのおじいさんがいたんです。ちゃんとお礼を言いたい」
そして、楓が閉じ込められていた部屋についても話した。気が付いたら寝ていたこと。男性に連れて行かれた別の部屋に閉じ込められたこと。そしてそこに、布団に眠る遺体があったこと。
「……死体と一緒に、一晩閉じ込められたんですか」
顔を歪めた本郷が、抱き上げる腕に力をこめてきた。
「なんか男の人が、その布団の人から証書のありかを聞き出せとか、変なことを言うの。私は石の声が聞こえるだけで、死んだ人の声なんかわからないのに」
ようやくまともに話が聞いてもらえて、楓はホッとする。あの男性に一方的に意味のわからないことを命令され、ストレスに晒されていたのだ。
「それは怖かったですね、可哀想に」
本郷が何度も背中を撫でてくれて、楓は気持ちがおちついてくるのがわかる。
――大丈夫、私は今巽さんといる
「布団の死体と、白いひげのじいさんか……」
音無がその祖父と顔を見合わせて、険しい表情をしていた。
気が付けば日が昇り、夜が明け始めていた。




