その5
楓の居所がわかった、と類から連絡が入った。
「僕が行きます」
時刻は交通機関が動く時刻をすでに過ぎている。移動は車で行くしかない。
「兄さん、車を出してくれますか」
巽がマンションにいないことを心配した兄も、石守神社に駆けつけてくれた。行くならば兄の車になる。
「もちろんだとも、まかせろ」
旅行から帰ったばかりで疲れているであろう兄が、力強く頷く。
「すまない、本当ならば私が行くべきなのに」
石守氏がうなだれるように巽らに頭を下げる。
「いえ、ご主人にはしなけらばならないことがありますし」
実は先ほどから、石守神社の周辺で小さな地震が繰り返し起きていた。
『石神様がお怒り』
梓の言葉が、比喩でもなんでもないことを感じさせられる。石守氏はずっと石神様を鎮めるべく神殿で祈っている。疲れも溜まっているに違いない。
――楓さんは、本当の意味で石神様の巫女なのだ
巽はそれを改めて実感する。
兄の車に乗り込む前に、巽は神殿にて手を合わせた。
「必ず、楓さんを連れて帰ってきます、無事な姿で」
祈る巽の背後で、兄も手を合わせていた。
こうして石守神社を出発し、兄の運転する車は高速道路を走っていた。指定されたパーキングエリアで、類と合流する予定なのだ。
言われたパーキングエリアに入ると、夜目にも目立つ大きな車が停まっていた。あれがおそらく類の乗っている車だろう。その車の近くに駐車して車を降りると、あちらも車から降りてくる。
「よう、早かったな」
類が手を上げて挨拶する。
「類、楓さんはどこに?」
巽は急いたように彼女の所在を尋ねる。巽の心情を察しているのだろう、類もすぐに本題に入った。
「この近くにある一宮の別邸だ。……タレコミがあった」
「タレコミ、ですか」
類は不機嫌そうだ。情報源が気に喰わないのだろうか。
「実に怪しい」
そう言って、類が電話で告げられた内容を教えてくれる。
「巫女様……、アイツか!?」
巽は怒りを抑えるように、歯を食いしばる。彼女を「巫女様」などと呼んだのは、今まであの怪しい骨董商だという男だけだ。
「妙に間延びした、癇に障る喋りの声だった」
「間違いない、木崎ですね」
どういうつもりで彼女を攫ったというのだろうか。怒りで頭が沸騰しそうな巽を、落ち着かせるように類が肩を叩いた。
「木崎がなにを考えているのかは後だ。今は楓が無事に助けることが先決だ」
「もちろんです」
彼女が乱暴をされていませんように、間に合いますようにと、巽はずっとそれだけを祈っていた。
「うちのジジイと梓が、すでに別邸に向かっている。俺らも行くぞ」
「ええ」
類の車に先導され、巽たちは彼女がいるであろう場所に向かった。
***
楓は慎重に道を進む。
楓が外に出た扉の先は、うっそうとした林になっている。視界が悪い上に、とても寒い。なにせコートもとられている上に靴も履いていない。手足がかじかんで震えるほどだ。時折木の枝を踏んだりして、足の裏が傷む。だが、楓は懸命に前に進む。
石たちが声を拾うあたりが、人が通る場所だ。それを辿っていけば、きっと道路に出られる。そこまで行けば、きっと本郷に見つけてもらえる。そんな確信ともとれる気持ちが楓を動かしていた。
白い息を吐きながら、楓が進んでいると。
「女が逃げたそうだ」
「一宮の結界から、どうやって出たのだ」
木々の向こうから、複数の声が聞こえた。どうやら楓が逃げ出したことが知られたらしい。
――石の声から離れなきゃ、見つかっちゃう
楓はそろりそろりと動いて、石たちの声がギリギリで聞こえるくらいの距離をとった。そこは人が通らない場所なのだろう。悪くなった足元に、楓は転びながらも進んでいく。
こうしてどのくらい歩いたのかわからない。楓はいきなり、先に進めなくなった。林はずっと先まで続いているのに、何故だか見えない壁に阻まれているようなのだ。
――どうして?ここまで来たのに
見えない壁を押しても叩いても、楓を通してはくれない。
――私、帰れないの?
楓は今まで懸命に奮い立たせてきた心が、ポッキリと折れた気がした。
「どうして、私を帰してくれないの……」
楓は力が抜けるようにしゃがみこんだ。ぽろぽろと零れる涙が、地面に落ちていく。
「お父さん、お母さん、巽さん。私は、楓はここにいるよ」
楓が声を殺して泣いていると、石の声だけが響いていた。
***
車が停まったのは、うっそうとした林の側だった。連絡係と休憩のために、巽は兄を車に残して降りる。
そこには大勢の人がいて、さまざまに動いていた。その人々の中心に、巽も何度も顔を会わせたことのある類の祖父がいた。
「どうだ、ジジイ」
類が祖父に声をかけると、しかめっ面を返してきた。
「今やっておるが、時間がかかりそうだの」
類の祖父が顎をしゃくって林を示す。
「本来ならここに、無駄にデカイ門があるんだがな」
示された場所は、巽の目には生い茂った木々しか見えない。しかし確かにここが、別邸の入り口なのだという。
「目隠しをしているとは、生意気じゃねぇか」
類が険しい表情で、そちらを睨みつける。類曰く、霊的な仕掛けを施して、外部を遮断しているのだそうだ。
「やましいこと、全力アピール」
気が付くと近くに梓がいた。
「悪者の証拠」
一人頷く梓の頭を、類がワシャワシャとかき混ぜている。おかげで梓の髪の毛がすごい状態である。しかし梓は不満気な視線を送りながらも、文句を言わずに自分で髪の毛を整える。
――この二人も、不思議な関係だ
類の怒りが、梓を構うことで和らいでいる。一種の精神安定の役割を果たしているようだ。
一旦怒りを納めた類は、祖父と方針を話し合っている。
「目隠しを剥がさなければ、中に入れないか」
「今人員総当りでやらせておるわ」
二人の邪魔をしないように、巽がじっとしていると。
梓が、不思議そうに巽を見ている。
「あの、なにか?」
梓は巽をというよりも、巽の周囲の何かを観察しているようだった。
「本郷さんの霊気、微かに流れている」
「はい?」
流れているというなにかを辿るように、梓が視線をめぐらせて歩き出す。人員に指示を出してい類は、この梓の動きに気付かない。
「あの、ちょっと」
梓を一人で歩かせるわけにもいかないので、巽は梓についていく。すると、梓はどんどんと林に入っていく。
「あの、勝手に入っていいんですか?」
「だって、こっちに流れてる」
巽は梓と会話が成り立っている気がしない。巽が困っていると。
『カエデハココ』
突然声がした。梓の声でも、巽の声でもない。
「今……」
「しっ!」
梓が巽を制した。
『カエデハココ』
『カエデハココ』
同じ声が、ずっと林の方まで続いていく。その声は、まるで石神様の声を聞いたときのように、脳裏に直接響くのだ。
――これが石の声だとすると、もしかして楓さん?
「楓さん、そこにいるのですか?」
声に導かれる先を、巽は注視した。林が続いているだけの景色だが、きっとあの声の先に、彼女がいる。
「声のする方、本郷さんから流れていく」
梓の言っていることは、巽にはわからない。しかしこの時巽の脳裏にひらめくものがあった。
『いつでも繋がってるんですね』
嬉しそうに言っていた彼女の、その腕にいつもあるのは。
「腕時計だ……、楓さんは僕の腕時計をしているはずです!」
巽の代理だと言って彼女の腕にある、元は巽のものである腕時計。
「きっとそれ。本郷さんの念が、楓ちゃんに繋がっている」
やっとわかった、というように梓が頷いている。その横で、巽は手で顔を覆う。
――本当に、繋がっていたなんて
巽は泣きそうになるが、きっと泣きたいのは自分ではない。怖がりな彼女のことだ、こんな暗い林の中で、寒くて心細くて震えているに違いない。
「くぉら、梓どこ行った!」
ようやく気付いた類が追いかけてきた。
「音無類、ここ」
梓が類に手を振った。
「この先に、楓ちゃんがいる」
追いついた類に、梓が指し示す。
「なに?」
「だから、早くする」
急かすように、梓が類の背中をペシペシと叩いた。




