その3
「一宮家?」
「そうだ。楓ちゃんを乗せて去ったのは、そこが所有している一台だ。だがこの家はなんか特殊らしくてな、宗教じゃないが、そういう類の家らしい」
場所を石守家のリビングに移し、巽らは四人で話し合いを続けた。
巽は眉間に皺を寄せて考え込む。単なる女性の誘拐でもやっかいであるのに、宗教的なものが絡んでくると、また事情が違ってくる。
――楓さんは、石神様の巫女だ
正真正銘神の声を聞く娘を、宗教が欲する理由などいくらでもあるだろう。
「その一宮家っていうのもな、なんだか他のデカイ一族の傘下なんだと。要は面倒な相手だということだ」
彼女の両親の顔は蒼白だ。彼女の特異性が世に出てしまうことは、おそらく彼らが一番怖れている事態だろう。
しかし巽はこの時、記憶の片隅に引っかかるものがあった。
「一宮、どこかで聞いたな」
苗字としては珍しくない名前だ。しかし、大きな宗教的一族の傘下である一宮家と言う存在が、巽の記憶を刺激した。
宗教といえば、巽の友人にそのような人物がいる。あまり実家のことを巽に語ることはしなかったが、それでも長い付き合いの中で会話に出てきたことくらいはある。
巽は今後のことを話し合う大人たちを横に、スマホで検索をかける。当然すぐに引っかかるようなものではない。根気よく検索を続けていくと、やがて望んだ情報にヒットした。
――やはり!
巽が思わず立ち上がると、他の三人が驚いてこちらを見た。
「本郷くん、なにかあったかい?」
顔色を悪くしながらも、望みをかけて石守氏が尋ねてくる。それに巽は大きく頷いた。
「もしかすると、僕には心当たりがあるかもしれません。そういう方面の友人がいるのです」
巽はすぐに電話番号を呼び出す。今日はまだ正月である。相手はもしかすると東京に戻って、一族の祝賀の最中かもしれない。果たして連絡がつくものだろうか。
――それでも、出てくれなくては困る!
幸運を祈るというよりも、幸運を引きずり出すような思いで、夏に教えてもらった新しい番号に電話をかける。
――だから絶対に電話に出ろ!
長いコール音が続き、巽がやはりダメかと思った時。コール音が止んだ。
『巽?電話とは珍しいな』
聞きなれた友人の声に、巽は思わず安堵のため息を吐いた。
「類、あなた今どこですか」
『俺か?今新年の祝賀を外でサボっていたところだ』
いつもならば小言を言う場面だろうが、今は類のサボり癖に感謝したい。
一宮家とは、霊能者一族音無家の分家であるのだ。巽の友人である音無類は、その音無家の次期宗主なのだ。
「緊急事態です。類の助力を要求します」
前置きもなく、巽は手短に今の状況を説明した。
『楓が攫われたぁ!?』
電話の向こうで類が驚きの叫び声を上げている。
「そうです。今日の夕方、近所のスーパーに買い物に行ったきり、戻らないのです。警察に調べていただいたところ、怪しい黒塗りの車に連れ込まれた映像が、監視カメラに映っていたそうです」
「……」
あちらの反応がないが、巽は聞いているものとして話を進める。
「その車を目撃している店員の証言で、ナンバーも知れました。その車は、一宮家所有のものだとか。この一宮とは、あなたの家の分家ではないでしょうか?」
電話の向こうにざわめく音が入ってくる。今までサボっていたところを、会場に戻ったのかもしれない。
『一宮は、当主が病気とかで祝賀に来ていないな?』
類が誰かに確かめるように言う。おそらく側に榊がいるのだろう。
『巽、一宮は誰も挨拶に来ていない。その車が本当に一宮の車かは調べるが、疑いを持つべきだろう』
類の声も固い。よりによって、己の関係者が親友の恋人を攫ったかもしれないのだ。責任を感じているのだろう。
「類、楓さんが一宮家がどこに連れて行ったのかわかりませんか?」
今の巽にとって大事なのは、責任の所在ではなく、彼女の居所である。
『わかった、おい梓!ちょっと来い!』
類が大きな声で呼びかけている。
「梓さんも、そこにいるのですか?」
夏休みに出会った彼女の幼馴染の姿が、巽の脳裏に浮かんだ。
『ああ、響のばーさんは老人会の旅行中で、梓は俺についてきて食べ放題を楽しんでいる』
類は側に来たらしい梓に、事情を説明している。
『おい、梓が話があるだと』
そう言うとすぐに、電話が代わった。
『石神様がお怒り』
梓が静かに告げた。
『楓ちゃんは石神様の可愛い娘。娘を攫われ、石神様怒ってる』
占い師の一族だという梓の言葉を、巽は真剣に聞き入った。
『早く楓ちゃんを見つけないと、石神様の怒りに大地が共鳴する』
大地が共鳴というと、地震でも起きるというのだろうか。神の怒りということでは、想像できないことではない。
『神の怒りを怖れぬ愚か者には、罰が下る』
『梓、脅かすのもそこまでだ。周りの連中が怯えている』
類が梓からスマホを取り上げたようだ、梓の声が遠くなる。
『今の俺たちの騒ぎで一族の連中に話が知れた。これから音無の総力を挙げて楓の居所を突き止めてやる』
類の自信に満ちた声に、巽も肩の力が抜けていく。性格は全く違うのに、何故か今まで付き合ってきた、不思議な親友である。だが類は、やると言ったらやる男だ。
「お願いします、わかったらすぐに知らせてください」
『おう。だから石神様を鎮めておいてくれよ。とばっちりの罰は、さすがに御免だ』
「ええ、楓さんのご両親に伝えておきます」
電話を切ると、三人の視線が巽に集中していた。
「やはり、楓さんは神様に愛されているひとですね。誘拐事件がこのタイミングで行われたことは、僕らにとっては幸運だったかもしれません」
巽が微笑んでみせると、彼女の両親は涙を浮かべた。
「大丈夫、楓さんは絶対に、無事に助けます」
それは、巽の決意だった。
***
新年の祝賀の集いのはずが、会場内は騒然となった。
「一宮が、次期宗主の知り合いをかどわかした」
この話が瞬く間に広がっていく。
「神の怒りを怖れぬ愚か者には、罰が下る」
梓の言葉が一族の者たちを不安にさせる。類の祖父と懇意の占い師の一族の言葉だ、一族で信じぬ者はいない。
類はざわめく人々が注目する中、荒い足取りで会場の奥へとすすんでいく。最奥の席には、類の父親と祖父が座っている。そしてつい今しがた外へサボりに行く前までは、類もその横に座っていた。
「何事だ、この騒ぎは」
父親が類に問いただす。類はそれには答えず、会場内に目を向けた。類の背後には、付いてきたらしい梓がいた。
「俺の知り合いが、一宮にさらわれた」
さして張り上げていない類の声に、会場内はしん、と静まり返る。
「俺の親友が、唯一愛する大事な恋人だ。そして神に愛されし巫女だ。神の怒り以前に、俺はこのことに怒っている」
後ろに座る父親と祖父は口を挟まない。類の怒りが漲る霊気に、会場の者は怖れおののいている。
「俺の大事なダチの女をさらったバカを、絶対に許さない。それに少しでも加担した奴も同罪だ。神の罰と俺の罰、両方を受けたい奴は誰だ!」
類の怒りの霊気にあてられた一同に、梓が静かに告げる。
「急がなければ、石神様の罰が下る。神の罰は恐ろしい」
梓の座敷童子の見た目で言われると、効果が抜群のようだ。類の演説と同じくらいに、みんながおののいている。
「疑いを晴らしたいなら、すぐに行って探して来い!」
類の号令と共に、会場内の人々はざっと動き出した。
その様子をなにも言わずに見ていた後ろの二人が、ようやく口を挟んだ。
「今の話は、本郷くんのことか?お前が友達というのは彼くらいしかいないだろう」
「ほう、あの坊に恋人とな。大人になったのう」
暢気なことを言ってくる父親と祖父に、類はため息をついた。
「じぃじ、さらわれたのは楓ちゃん。私の幼馴染で、石守神社の巫女さん」
類の祖父に、梓が追加情報を教えている。
梓の祖母と類の祖父は古い友人だ。そして楓の祖父とも友人であったと、後で祖父から聞かされた。
「なんと、楓ちゃんか!坊と楓ちゃんが恋人とな!」
「今の楓ちゃん、お色気ムンムン」
梓の話に祖父が驚愕している。
このやり取りで、類の怒りが多少収まっていく。梓は類を脱力させるのが得意だ。
「バカやってるな梓。なあ、楓はどこにいると思う?」
父親と祖父が、類の質問にそれぞれに思案した。
「今、一宮は沈黙している。祝賀に姿を見せないことを問い合わせても、誰も出ないんだ。あそこの当主は病気だという話だが、さて本当なのかね」
父親が顎をなでながらそう言うと、祖父が立ち上がった。
「石守の孫をワシの身内がかどわかすなど、なんたる失態!あやつの墓にわびねばならぬ。類よ、すぐに行くぞ!」
「どこにだよ、ジジイ」
いきり立つ祖父に、類が突っ込みを入れる。だが祖父がふん、と鼻を鳴らした。
「決まっておる!楓ちゃん救出だ!ええい、はよう居場所を特定せぬか!」
祖父の一喝に、未だ会場にいた者たちが慌てて出て行く。
「言ってらっしゃい。私は東京でで連絡を待つことにするよ」
父親はひらひらと手を振る。
ここで類に榊が近寄ってきた。
「類、気になることがある」
「あん?」
類が榊を見ると、難しい表情をしていた。
「以前本郷の坊ちゃんが言っていた、木崎という骨董屋だ。調べたんだが」
「その木崎がなんだ」
そう言えばそんな話をしたな、と類が思い出す。榊が内緒話をするように、顔を寄せてきた。
「そいつは、一宮の当主が愛人に産ませた子だ」
榊の言葉に、類は眉を寄せた。




