その1
夏休みが終わり、新学期が始まってしばらく経った。
秋は行事が多くあり、本郷は生徒会関連の会議などで忙しそうだ。なので国語科準備室に顔を出すことはめっきりなくなり、校内で顔を見るチャンスがない。
「楓さんと触れ合えなくなるくらいなら、もう風紀委員長を辞めてしまいましょうか」
と本気の調子で言う本郷を、楓は先生二人に頼まれて一生懸命に励ます日々が続いている。本郷は男女に影響力がある人物だ、なので辞めるとなると、その後を任される人がかわいそうな気がする。
――先輩と比べられると、誰だってかすむよね
せめて本郷が卒業してなければ、次代は辛いだろう。なので次の生徒会でも、風紀委員長は本郷だろうと言われている。
そんな楓だが、その間暇であったわけではない。二学期に入るとすぐに文化祭がやってくるので、郷土歴史研究会としての展示の準備に忙しいのだ。同好会ながら、申請すれば展示スペースをもらえるらしい。ただし他の同好会と教室を共同で使うことになるが。
「今年の展示は、なかなかいい出来だ」
主に社会科や国語科の先生に評判がいいらしく、莉奈が機嫌がいい。
「だって、楓ちゃんも身体張ったもんね!」
寧々がいい笑顔を向けているが、その原因の少しは寧々にあったりする。
こうして三人でせっせと作業を進めていると。
「ねー楓ちゃん、花火大会どうするの?」
休憩中に寧々が尋ねてきた。
秋になると、地元の花火大会があるのだ。けっこう派手に花火があがり、近隣の町からの見物客も多い。地元の恋人たちの一大イベントであるのだが。
「本郷と見に行くには、少し人が多いか」
莉奈が言うとおり、花火大会でデートするには、学校の生徒と会うリスクが高い。楓は別に日陰の身というわけではないのだが、妙な騒ぎになることは避けたい、という本郷との共通認識があった。
だがそんな中、楓には秘策があった。
「あのね、花火大会の日は毎年うちの神社で観覧席作るの。近所の人のために」
石守神社は高台にあるので、花火がきれいに見えるのだ。そのため近所の人が花火見物に境内にやって来る。そこで数年前地元町内会と共同で、観覧席の資材を購入したのだ。
「そうなの?知らなかった!」
初耳の情報に、寧々が身を乗り出す。
「今年は先輩も観覧席作り手伝うの。そして一緒に見るんだ」
母親は以前本郷を貴重な男手だと言っていた。その言葉通り力仕事には本郷がかり出されるのだ。石守神社のご近所さんには、楓と本郷が仲良く手を繋いで歩く姿を毎日目撃されている。有名なカップルだったりするのだ。
「先輩も東京から浴衣を送ってきたって。だから一緒に浴衣を着て、花火を見るんだ」
楓は今からそれを楽しみにしているのだ。笑顔の楓に、莉奈が感心した顔をする。
「楓は、だんだん強かになってきてるな」
確かに以前の楓なら、本郷と一緒にいられるだけで満足して、イベントに参加しようとしなかったかもしれない。だが楓も本郷という人間と付き合うことに、徐々に慣れてきていた。すると世間一般の恋人同士がするようなイベントを、こなしたくなるのだ。
「だって、大っぴらに言ってないだけで、逃げ隠れしなきゃいけないわけじゃないですもん」
学校の生徒にさえ会わなければ、堂々としていられるのだ。楓のこの考えを、本郷も支持してくれている。
「先輩と私は、ちゃんと恋人同士だもの」
口に出してそう言える程度には、楓は自分に自信が出てきた。これも本郷のおかげだ。
「ねえその花火見物、私とかも行っていいの?」
寧々の質問に、楓は大きく頷く。
「もちろん、大歓迎だよ」
寧々は夏休みの最後に、宿題を片付けるために石守神社を訪れている。
「だって楓ちゃんと一緒に、絶対本郷先輩がいるもの」
と言って、宿題の助けに本郷を当てにしてきたのだ。このちゃっかり具合が寧々らしい。ちなみにその時一緒についてきた莉奈は、石神様の神殿を熱心に取材していた。
ともかく、神社での花火見物は、寧々にとって魅力的だったようだ。
「よっし!おねーちゃん浴衣着て行こうよ!」
「そうだな、花火大会会場は人が多くてうんざりする」
こうして石守神社での花火観覧に、橋本姉妹二人が加わった。
放課後になって、楓は本郷宅で料理をしていた。すると玄関チャイムが鳴った。本郷の帰宅の合図だ。楓は最初は玄関まで出迎えていたが、危険があるといけないと言われた。なので本郷や平井先生が鍵を開けて入ってくるのを待って、決して玄関に近付くなと言われている。
そわそわして待つとすぐに、本郷が姿を現した。
「先輩おかりなさい、今日は早かったですね」
楓は台所から笑顔で本郷を迎えた。本郷はリビングの入り口にカバンを下ろし、足早に楓のそばに来る。
「強引に帰って来ましたからね。僕がいなくてもいい会議に拘束されるのは御免です。楓さんと一緒の時間が減るではないですか」
本郷は押し倒す勢いで楓に抱きついてきた。その勢いに負けそうになり、楓はシンクにもたれかかる。
「ただでさえ、昼に楓さんを補給するチャンスがないのに」
「補給、ですか」
――なんか、私ってガソリンスタンドみたい
楓はのしかかる本郷の背中を撫でてやる。本郷は疲れがたまっているようで、大きくため息をついた。
以前莉奈に聞いた話によると、次期生徒会長と周囲に噂されている女子生徒が本郷に気があるようなのだ。それで本郷を自分の隣の席に拘束して、無駄に会議を長引かせている、と二年の間で噂になっているらしい。
「告白すれば本郷はきっぱり断る。だから自分の横に強引に縛りつけ、既成事実的に付き合っていることにしたいんだろう」
と莉奈が推測していた。けれど、それは本郷が一番嫌う悪手に思えた。事実、ここ数日の本郷のストレスがすさまじい。
「これほどまでにイライラさせられるのも、初めてです」
と怒りを露にしていた。本郷が感情を抑えることをしなくなったので、今まで耐えてきた分だけよけいに怒りが沸くのかもしれない。
そんな本郷を癒すために、楓は毎日せっせと本郷の好物のおかずを作るのだ。楓の現在の料理のレパートリーは、全て本郷の好物で埋まっている。
「楓ちゃん、たまには俺の好物も」
と平井先生に懇願されるが、やはり優先すべきは本郷である。平井先生には新井先生がいることであるし。
――でもなんだか、私たち新婚さんみたい
キッチンに自分の私物が増えるたび、楓はそう思うのだった。
「先輩、一口あげるから元気出して」
楓は鍋の中身を箸でつまみ、本郷の口の中へ入れた。
「うん、美味しい。楓さんは今すぐ僕の奥さんになれますね」
「ふふ、じゃあ毎日ご飯を作って待ってますから、頑張ってくださいね旦那様」
楓が冗談交じりに返すと、本郷が嬉しそうに笑った。
場所をリビングに移動して、本郷は楓を膝に抱えあげていた。
「現在の生徒会長とは話がついています。あの女が会長になるならば、僕は絶対に風紀委員長はしないと。ついでに僕には愛する恋人がいるので、あの女と付き合うなんてことは、百パーセントありえないとも」
楓成分の補給をしながら、本郷が話してくれた。
「え、言っちゃったんですか?」
目を丸くする楓に、本郷が申し訳なさそうな顔をした。
「怒りのあまりつい。でも楓さんの名前は出していませんが、薄々知っていたようですよ。聞けばあの会長、楓さんと同じ中学だそうですね」
「そういえば、そうです」
生徒会長などという人と楓に接点があるはずもない。本当に名前を知っているだけの人物だ。なのに相手は知っていたとはびっくりだ。
「気付いている生徒は、あえて知らないフリをしてくれているのかもしれませんね。校内でなにか事が起きない限り、彼らからなにか言われることはないでしょう」
「……言われてみれば、付き合う前は一緒に帰ったこともありますね」
楓は入学してからしばらく、本郷との遭遇率が高かった。案外そこから楓の存在が上がったのかもしれない。
「周りの優しさに、今は甘えておきましょう」
「はぁい」
とりあえず今は、本郷に精一杯甘えることにする。昼に補給ができなかったのは、楓だって同じなのだ。




