その5
楓はあれから結局、しばらく本郷と並んで帰る羽目になった。なにせ本郷が紙袋を渡さないのだ。徒歩通学である本郷の家が、新井先生のアパートから近かったことが幸いした。楓は本郷の自宅マンションの玄関で、ようやく紙袋を受け取ることに成功した。思いがけず、本郷の家を知ってしまった楓であった。
こうしていつもよりも時間をかけて帰宅した頃には、空は夕暮れが終わろうとしている時間になっていた。
楓は家に帰ると、すぐに父親に声をかけた。
「お父さん、これ、お祓いしてもらえる?」
リビングでテレビを見ていた父親の前に、楓は新井先生から預かった紙袋を置いた。
「なんだ、これはどうしたんだ?」
父親が最もな疑問を投げかけてくる。
「学校の女の先生の私物なの。アンティークを集めるのが趣味なんだって。私が神社の娘だから、お祓い頼まれちゃって」
実際は順序が逆なのだが、言わなければ本当のことはわからないだろう。
本当なら、楓が一人で勝手に石神様のところに持って行ってもいいのだ。しかし、後々新井先生が神社を訪れたときのことを考えて、ちゃんと父親を通すことにしたのだ。
「先生のか、じゃあしてあげなきゃ楓か困るか」
「後で、ちゃんとお礼にくると思うよ」
新井先生はいい加減な人には見えなかったし、石守神社に興味を示していたようである。理由はなんであれ、あの人はおそらくそのうち訪ねてくるだろう。
「じゃあ、夕飯の前にお祓いを済ませるか」
父親が立ち上がったので、楓も急いで着替えに自分の部屋へ行った。
楓が神殿に行くと、父親はもう準備を整えていた。新井先生の紙袋の中身が、神前に並べられている。
「それじゃあ、やるぞ」
父親の祝詞を聞きながら、楓は神妙に頭をたれる。
『ふむ、これは昨日の味じゃな。こちらは、ちと刺激的で濃いな』
石神様の、そのような感想が聞こえてきた。
――そういえば帰り道、石の声が気にならなかったな
楓は本郷と並んで歩く手前、ヘッドフォンもつけられなかったというのに。
***
「あー、つっかれたー」
玄関から聞こえる声に、巽は自室の机から顔を上げた。部屋から顔を出すと、リビングのソファにだらしなく座る男が一人いる。
「遅かったですね、兄さん」
「おう、ただいま巽」
座っている男――巽の兄がスーツの襟元を緩めながら、こちらを見た。
「夕食はどうしました?」
「ああ。駅前で食ってきた。お前は?」
「スーパーの惣菜ですませました」
巽の料理スキルはゼロに等しい。掃除洗濯は便利な機械があるが、料理はそうはいかない。むしろ危ないから台所に立つなと、常々兄に言われていた。
「あの人のところには、寄ったんですか?」
「あん?帰ってきたメールは入れたけどな。明日でいいだろ」
兄は本当に疲れているようで、そのままソファに寝そべる。その背中に、巽は小声で言う
「具合が悪そうだったと、学校の後輩が言っていましたが」
巽の言葉に、兄はむくりと起き上がった。
「そうなのか?」
「ええ、一年生で、冗談を言う人物には思えません」
巽は実際顔を見て確かめたのだが、それは言わないでおく。
「巽が後輩の話をするのも珍しいな」
「そうですか?」
「まあいい、ちょっと行ってくる」
そのまま、兄は着替えずに出て行った。
兄を見送った後、せっかくなので、巽は勉強を一時中断して休憩することにした。温かくなってきたとはいえ、夜はまだ冷える。インスタントのコーヒーを入れて、ダイニングに座る。
「変な娘でしたね」
巽は石守という女子生徒について、思い返した。
彼女は時折、こちらを警戒するような行動を取る。まるで巽が不審者であるかのように。自分のなにが彼女をそうさせているのか、巽にはさっぱりわからない。巽からすれば、彼女の方こそ不審者に見えるのだが。
今日も、彼女が挙動不審な行動を取っていると思って見張ってみれば、新井先生が集めてるアンティークの品物を、お祓いすべきだと言い出す。これだけ聞けば、霊感商法の類ではないかと疑いたくなるが、彼女は品物を無料で引き取って行ったし、聞けば神社の娘だとか。
「これからも、注意しておきますかね」
どこか浮世離れしているように感じる彼女のことだ。今後もなにかことを起こしそうな気がした。
――でも、臭くなかった
彼女は化粧臭くも、香水臭くもない。しいて言えば石鹸やシャンプー剤、そしてほんの少しの汗の香りがした。
そんなことが脳裏を過ぎった巽は、そこで己の思考に驚いた。女性の香りに思い耽るなど、自分はなんというふしだらなことをしているのだろう。思考ごと飲み込むように、巽は残りのコーヒーを一気飲みした。
なんにせよ、明日の校門チェックで、彼女の様子を見るべきであろう。
「また明日ですね」