その3
楓の姿を発見して、本郷が小走りに近寄ってくる。数日振りに見る本郷の姿に、楓の心が沸き立つ。
楓は目の前まで来た本郷の手を、両手でぎゅっと握った。
――本当に先輩だ!
どうしてここにいるのかはわからないが、もうしばらく会えないと思っていたのだ。会えた喜びで一杯の楓を見る本郷も、やわらかい微笑を浮かべている。
「僕は友人を訪ねてきたのですが」
「私はその、梓ちゃんの家にお泊りに」
楓と本郷が、二人同時に答えた。そして顔を見合わせる。
「こんな偶然って、あるんですね先輩」
「ええ、本当に」
そして二人で小さく笑う。
「お嬢さんは、本郷の坊ちゃんのお知り合いで?」
運転手の男性が以外そうな顔をする。
そんな二人を見比べているのが、楓の隣にいる梓だった。梓がぽんと両手を叩いて、本郷を指差した。
「楓ちゃんのお色気ムンムンの元」
「梓さん、人を指差すのはやめましょう」
男性が梓をたしなめる。
「梓ちゃん、恥ずかしいからそれやめて……」
お色気ムンムンのフレーズを気に入ってしまったのかもしれない梓に、楓は頬を赤らめて抗議した。
「お色気とやらがなにを指すのかは置いておくとして、僕が楓さんの恋人であるというならば、その通りですよ」
本郷が楓の肩を抱いて、梓に答えた。本郷の答えになるほどと納得してる梓をよそに、驚愕している人物がいる。
「巽が恋人だと!?あの超絶女嫌いの男に、恋人……!?」
急に近くで大声を出され、楓は驚いて本郷の影に隠れる。
「ああ楓さんを驚かせましたね。こいつが僕が訪ねてここまできた原因、音無類です」
「……初めまして」
本郷の影から顔を出して挨拶すると、音無はまだ驚いた顔をしていた。
「楓さん、くれぐれも類に近寄らないように。悪い菌に感染されては困りますからね」
本郷がそう言って、楓を自分の背中に隠した。
「おいこら巽、俺をなんだと思ってやがる」
「だまりなさい、あなたの女癖の悪さはもはや病原菌レベルの深刻さです。楓さんも用心してもらわなければ」
なにやら、ひどい言い様である。
――友達、だよね?
男の友情というものは、楓には難しいものなのかもしれない。
楓がどうするべきか戸惑っていると。
「楓ちゃん、中はいろ?」
梓に促されたので、楓は家へ向かう。歩きながら本郷と手を繋いでいた楓だが、それを音無が指摘する。
「巽が女と手を繋いでる!」
「いいかげんうるさいですよ、類」
ギロリと睨む本郷に、音無がなおも言う。
「お前、不能じゃなかったのか」
「潰されたいですか類」
二人のやりとりを困ったように見ている楓に、運転手の男性が話しかけてきた。
「本郷の坊ちゃんに、こんな可愛い恋人ができたんですねぇ」
この男性も、本郷を知っている人のようだ。
「えと、石守楓です」
「どうも、榊慶二、あそこにいる類のお目付け役です」
にこりと笑いかける男性に、楓も笑顔を返した。
友人との言い合いもひと段落したらしい本郷の手を、楓はくいくいと引いた。
「先輩あの人、私どこかで見たことある気がします」
楓は本郷の背中越しに、本郷の友人という男を見た。
音無という人は本郷の東京にいた頃の付き合いの人で、楓は初対面のはずだ。なのに、記憶のどこかに引っかかっているのだ。本郷と並んでいても見劣りしない美形であり、こんな人物を見れば忘れないように思うのだが。
「おや、楓さんはオカルト番組など見ないでしょうに」
そんな楓の発言を、本郷は不審に思わなかったどころか、そんなことを言ってくる。
「占い系の番組も出るぞ」
本郷の言葉を、音無が補足する。
「テレビに出る人なんですか?」
本郷の言葉からして、結構有名な人なのかもしれない。もしかすると知らない楓は珍しいのだろうか。そんな不安を感じていると、梓が肩を叩いてきた。
「楓ちゃん、私なんて見たことも聞いたこともない」
だから安心しろ、と梓は言いたいらしい。
家の中に入ると、お昼がまだの楓のために、榊が昼食を作ってくれた。
「好みがわからないので、梓さんお気に入りのオムライスにしてみました」
にっこり笑った榊に促され、楓はオムライスを口に運ぶ。ふわふわのトロトロで、お店のオムライスみたいに美味しい。
「美味しいです」
素直に感想を告げると、榊が微笑んでくれた。そんな楓の昼食風景を、本郷たち三人に見つめられている。
――あの、食べにくいんですけど
そんな様子で昼食を終えると、梓の祖母が姿を現した。
「よく来たね楓。ゆっくりしておいき」
「ありがとう、おばーちゃん」
くしゃりと頭を撫でてくれた梓の祖母に、楓は笑みを浮かべる。楓の横で、梓が報告する。
「おばーちゃん、石神様も来た」
「そのようだね。では今夜は石神様の歓迎の宴をするかね」
梓の祖母も石神様の気配を知っていたらしく、驚いた様子を見せなかった。
響家二人の会話に、本郷が目を細める。
「石神様、ですか?」
隣に座っている本郷に、楓はお守り袋を見せる。
「はい、欠片ですけど。ほら」
楓がお守り袋の中から出した、艶のある石の欠片を本郷が注視する。
「欠片だけど、ちゃんと石神様の本体の一部なんですよ」
「そうなんですか」
楓と本郷とは別に、不思議そうにする男がいた。
「石神様?」
「石守神社の神様。楓ちゃんは石守神社の人」
話のわからない音無に、梓が説明している。「石守神社」と音無が小さく呟いていた。
一方の本郷は納得顔だ。
「なるほど、道理でヘッドフォンを持っていないと思いました。神様同伴だったのですね」
「はい、おかげで声も気になりません」
楓が笑顔で言うと、本郷が不思議そうな顔をした。
「そのように便利なものがあるのならば、いつも持っていればいいのでは?」
「小さくても神様の欠片ですから、落としたりしたら大変でしょ?それに神様頼りは私のためにならないからって、おじいちゃんに言われて」
なにせ小さな欠片だ。うっかり落として、溝に入ったりしては大変である。
「なるほど」
再び納得するように本郷が頷いた。
楓と本郷のやり取りを見ていた梓の祖母が尋ねてきた。
「類の客人は楓の彼氏かい」
梓同様、祖母にもお見通しである。楓は頬を赤く染めながら、こくりと頷いた。
「そう、私のお、お付き合いしている人、です」
なんだかとてつもなく気恥ずかしい。思えば楓の両親への挨拶は、本郷が一人でしたのだ。楓は隣で黙って聞いているだけだった。
――先輩って、すごいよ
照れてどもりがちの楓と違って、あの時の本郷はとてもスマートだった。
恥ずかしがる楓に、梓の祖母がにこりと笑った。
「そうかい。楓を理解してくれる男が現れたんだね。楓のじいさんも、あの世で喜んでいるだろうよ」
楓が微笑むと、本郷が頭を撫でてくれた。
「あのね、私の学校の部活の先輩なの」
楓の説明に、音無が口を挟んだ。
「部活ってぇと、弓道部か?」
それに対して、本郷が答えた。
「いいえ、郷土歴史研究会です。弓道は個人的に続けています。楓さんのお宅の石守神社には、弓道場があるのですよ」
「先輩は毎週土曜日に、弓道場に通ってくるんです」
「ふぅん」
楓がそう補足すると、音無が楓と本郷を見比べるようにする。本郷の日常話に、音無は興味があるのかもしれない。
「先輩は風紀委員長で、女子生徒にすっごく人気があるんですよ」
「ま、そこは中学までと同じだな」
話を聞けば、音無と本郷は幼稚園から中学までずっと同じ学校だったらしい。
――どうしよう、ちっちゃい先輩の話、すごく聞きたい
目を輝かせる楓に、音無は滞在中に聞かせてくれると約束してくれた。




