その2
本日は終業式で、明日から夏休みだ。
国語科準備室に集まった郷土歴史研究会のメンバーは、本郷の父親の友人という人の、蔵整理について話し合っていた。今日は引率の平井先生も一緒だ。
ちなみに新井先生と平井先生が恋人、というより婚約者同士だということを、莉奈は知っていた。なので当然妹の寧々も知っていた。知らなかったのは楓だけである。ちょっと仲間はずれにされた気分になった楓を、本郷が苦笑しつつも慰めてくれた。
「ちゃんとレポート作成して、部活動の活動内容にあげたいな」
莉奈がとてもやる気をみせている。同好会としての活動実績がある程度ないと、部費を削減されるらしい。実は前回の人形の館のことも、莉奈はちゃんとレポートを作成していた。
「古いお蔵だったらさぁ、妖しいお札がついた箱とかありそうじゃない?」
寧々がとても楽しそうなところ悪いが、楓としてはそのようなものはないことを願っている。
「古いけど敷地は広い家だそうです。道のりも結構かかりますし、先方からは一泊するように勧められています。泊まりの準備をしてくださいね」
本郷がスケジュールについて説明する。目的地は車で二時間ほどの場所であるそうだ。
「わお、楽しそー!」
「合宿みたいだな」
「ふふ、そうですね」
楓も、橋本姉妹につられて笑う。
「お前らは高校生なんだからうるさいことは言わんが。あまりはしゃぎすぎるなよ、特に巽」
「なんですか、急に名指しで」
平井先生が、じとりと本郷を見た。
「だってお前、楓ちゃんとほとんど外デートしてないだろう。だから釘を刺しているんだ。くれぐれも、高校生としての規律を守れ。不純異性交遊は禁止だ」
「言わんとすることは把握しましたが。まるで人を盛りのついたサルみたいに言うのはやめてください」
「貴様はそれと対して差はない」
莉奈が本郷を鼻で笑った。言い方はきついが、本郷と莉奈の会話はだいたいこんな調子であるので、楓ももう慣れた。
「はいはい、じゃあみんな準備をちゃんとして、当日朝、駅前集合ね」
「「「はーい」」」
新井先生の締めの言葉に、女子三人で元気よく了解の挨拶をした。
出発当日。楓が駅に到着すると、すでに平井先生が車の前で待っていた。新井先生と本郷はすでに乗り込んでいる。
「先生、おはようございます」
「おはようさん、楓ちゃん」
楓は平井先生に挨拶して、車の中を覗き込んだ。
平井先生は六人乗りのワゴン車をレンタルしたそうで、助手席に新井先生が座っていた。楓はすでに真ん中のシートに乗っている本郷の隣に座ると、ヘッドフォンを外す。
「先生、先輩、おはようございます」
楓が挨拶をすると、新井先生に挨拶を返され、本郷が微笑んでくれた。
「おはようございます。今日も楓さんは可愛いですね」
「えと、ありがとう、ございます」
本郷はいつも楓を褒めてくれる。楓の自意識を高めるためのトレーニングらしい。これに楓の母親も一役買っているらしく、いつの間にか楓の洋服が増えていた。レースついた可愛らしいデザインから、胸の谷間が見えるような、大人っぽいデザインまで、いろいろあった。ズボンもキュロットスカートが増えていた。副音声が好きだと言ったこともあり、最近の楓がこればかり穿いているからだろう。
――でも、他人がいるところで言われると、照れる……!
楓が恥ずかしがっていると。
『今日もムッチリちゃんはムッチリだ。抱っこできないのが辛ぇ』
そんな副音声に、楓はちらりと本郷を見た。さすがに人前で膝に乗るのは恥ずかしい。なので、そっと本郷の手をとった。俯いてもじもじとする楓の頭を、本郷が嬉しそうに見つめる。
そんな二人の姿は、バックミラー越しに助手席から丸見えだったりする。
それから五分後に、橋本姉妹がやってきた。
「おっはよー!」
寧々が元気よく後部座席に乗り込んできた。莉奈は平井先生に荷物を積んでもらっている。二人分の荷物なので、楓のものよりもバッグが大きい。
「ようし、じゃあお前ら忘れ物ないかー?」
「ない!お菓子も持ってきた!」
平井先生の問いかけに、寧々が元気に返事する。
「誰か乗り物酔いをする人はいる?」
新井先生の質問に、全員首を横に振る。
「じゃあ席順はこれでいいな。出発するぞ」
こうして、車は賑やかに出発した。
車内で寧々とお菓子の交換をしながら、みんなで楽しくお喋りをする。そうしている間にも、車はどんどん山の方へと入っていく。すると周囲の景色に、茶畑が増えてきた。
「このあたりは、お茶所らしいな」
「お抹茶は外せないよね、あとお蕎麦も有名」
莉奈の説明に、寧々が嬉々としてのってくる。そんな寧々に、楓は本郷と目を合わせてくすりと笑う。
「お、どっか昼飯のあてがあるのか、橋本妹」
「あのね、道の駅がいいらしいです!」
平井先生に対する寧々の一声で、本日の昼食場所が決まった。
先方の家には昼食を済ませて来ると言ってあり、急ぐこともないらしい。ドライブするように寄り道をしながら、目的地へと進む。
お昼の休憩のために、車は道の駅に寄った。
「おー、結構にぎわってるじゃん」
「だね」
寧々が車から飛び降りるのに続いて、楓も降りる。
「はい、楓さん」
楓は本郷が差し出す手を、いつものように握る。人がたくさんいる賑やかな場所で、楓は本郷と手を繋いで歩く。堂々と本郷と並べることに、楓は気分が浮上する。
「ヘッドフォンはいいのですか?」
ヘッドフォンを車に置いてきた楓に、本郷が問いかける。
「いいです。先輩とのお喋りの方が大事ですもん」
楓は本郷を見上げて、握られている手に力を込めた。
「へへ、楽しいですね」
ぎゅっと本郷に抱きついてみても、だれにも見咎められることもない。そんな楓の気分を察したらしく、本郷も楓の腰を抱いてきた。
「密室で抱き合うのも恋人同士の過ごし方ですが、人前でくっついて歩くのも、恋人同士ですよ」
「嬉しいです」
先を進む他の面々とは少し遅れて、のんびりと歩くのを楽しむ。
昼食ではみんなでいろいろなものを注文し、それぞれ一口ずつおすそ分けし合ったりして、賑やかに食べた。それから橋本姉妹と一緒に写真を撮ったり、逆に本郷とツーショットで撮ってもらったりした。
楓は食後のデザートに、寧々と一緒に抹茶アイスを食べた。
「ひょっとして楓さん、こんな風に夏休みを過ごすのも、初ですか?」
「……実は、そうです」
本郷に尋ねられて、楓は恥ずかしかったが白状した。普段よりも、はしゃいでいるという自覚はあるのだ。
「夏は暑いし、大体ずっと神社に篭ってました」
楓は自分で言っていて、根暗な女子だと思う。
「楓ちゃん、夜は枕投げしよーね!」
「女子トークはお泊りの定番だぞ、楓」
橋本姉妹に肩を抱かれて、楓は笑顔で頷いた。
そろそろ出発しようと、一同が車に向かう途中。楓は本郷と繋いでいる手をくいっと引いた。
「どうかしましたか?」
本郷が楓にやさしく微笑む。楓は繋いでいる手を引き寄せ、その腕に抱きついた。
「先輩、その、連れ出してくれて、ありがとう」
本郷が背中を押してくれなかったら、楓は絶対に来なかっただろう。こんなに楽しいことへの感謝を告げた。本郷が空いている方の手で、楓の頭を撫でた。
「楓さんは楽しいことだけを、考えるように。怖いことがあれば、抱えて逃げてあげますから」
「その時は、よろしくお願いします」
そんな楓と本郷の姿を、先生二人は微笑ましそうに見つめていた。




