その4
男性はその後、本郷や平井先生について語っていた。困ったことがあれば、いつでも二人に相談して頼ってほしい。そのような内容だった。
「ああ、頼みごとというのは、ここからですね」
本郷の言葉に、楓は聞き流していた意識をテレビ画面に戻す。
『つきましては楓さん。実は私の古い友人がそのあたりに住んでおりましてな。近いうちに蔵の整理をしたいそうなのです。石守神社というのは、とても評判のよい神社だと聞いております。もしよろしければ、蔵の整理に立ち会っていただけませんかな』
「……はい?」
楓は突然の話題転換に、呆けた顔しかできなかった。
その後の内容がどんなものだったのか、楓は覚えていない。
DVDを見終わって、楓は困惑していた。
――蔵って、古いものとか絶対あるよね
どんよりと暗くなっている楓の様子に、本郷が苦笑する。
「楓さん、あまり真面目に考えないように」
本郷曰く、父親の友人の蔵の整理は、それほど差し迫ったスケジュールのものではないという。
「古い蔵だそうですから。郷土歴史研究会を動員してみるのもありですよ」
急ぎの頼みでもないし、第一オカルト物件があると限ったものではない。ちょっとした、お宝発掘イベントだと思えばいいという。
「そうそう、なんか言われたら、適当に古そうなものを見繕って、お祓いしてやればいいんだって」
平井先生が軽い口調で茶化す。
あの人形の時のように、なにか心配事があるから呼ばれるわけではない。そう聞かされて、楓は少し落ち着いてきた。
「用事が済んだところで楓さん、改めて謝ります。ちょっと調子に乗って脅かし過ぎました。申し訳ないです」
本郷が楓の正面に立って、深々と頭を下げた。
「う、えっと」
正直なんと返事をすればいいのか、楓にはわからない。けれども本郷は許しの返事を求めてはいないようで、数秒頭を下げて顔を上げた。
「巽お前ね、楓ちゃんは東京でお前にたかっていた女どもとは違うんだから。取り扱いに気をつけろ、もうちょっと勉強しろよ」
「努力します」
平井先生からの忠告に、本郷が真面目に頷いた。
「楓ちゃんも、ちゃんと抵抗するように。巽が本気だったらどうするつもりだったんだ」
「……はい、その、そうですね」
平井先生から強い口調で叱責され、楓は俯いた顔を上げられない。そんな楓に、平井先生が厳しい視線を向けていた。
そんな話をしていると、時刻は夕刻の六時になろうとしていた。
「楓ちゃん、帰り大丈夫?」
楓を平井先生が心配してくれる。
「まだ明るいし、平気です」
雨も降っていないし、問題ないだろう。楓がそう答えると。
「神社まで送ります」
しかしそう申し出た本郷によって、家まで送ってもらえることになった。
神社までの帰り道、楓は本郷と並んで歩いた。この時間に歩いている生徒はいないと思うが、念のために人気のない道を選んでいく。
「父はとにかく謝罪がしたかっただけなのです。最後の頼み事は、あまり気にしないように」
「……わかりました」
楓が困っているのがわかったのだろう、本郷がそんなフォローをしてきた。
その後、二人でなんとなく無言で歩く。
「ここでいいです、ありがとうございます」
ついてきてくれた本郷に、階段前で楓はお礼を言った。
「ではまた明日」
「はい、また明日」
楓は背中に本郷の視線を感じながら、自然小走りになった。
***
楓が帰ってしばらく、巽はなにをしていても上の空である自覚がある。今日は衝撃的な話を聞いてしまったからだ。
彼女は、巽のネックレスの石の声が聞こえるという。しかも、それは予想するに、巽の恋情やその他もろもろの、聞かれると恥ずかしい類のものなのだろう。彼女も言いにくそうにしていたことからも、そう外れてはいないはずだ。
――これは、どうすればいいのだろう
いっそ修行をしてみるか。しかしこの石にすでに篭ってしまっているものは、今更取り消せない。石神様の説明では、どうやら消してしまうのはよくないらしい。
しかし、この悶々とした思いも、ひょっとしたら聞こえているのかもしれないと思うと、巽は今後彼女から逃げまわるかもしれない。それで誤解されても困る。
それでもこの石が常になにか喋っているわけではないらしいことと、石守神社の境内では喋れないらしいことは収穫と言えよう。いっそ石神様に相談してみたいが、その声を聞けるのは楓だけだというのが、また困ったところだ。
「おーい巽、飯だぞ」
部屋に篭って悩んでいた巽に、兄が声をかける。
今日は夕食の準備が遅くなったので、メニューは兄お手製焼きうどんである。
焼きうどんを頬張りながら、兄がぽつりと呟いた。
「巽お前、楓ちゃんが初恋か?」
「……はい」
巽は箸を止めて、兄を見た。兄は困った子どもを見るような視線で、巽を見ていた。
「何でも器用にこなすお前が料理以外にも、楓ちゃんとの色恋はうまくこなせないか」
「未熟者で、すみません」
うなだれる巽を、兄は慰めない。
「謝る相手が違うな。礼儀正しいだけで、やってることは小学生だな、お前は」
兄の指摘に、巽は黙り込む。このネックレスを友人に貰い受けたのは、小学校低学年の頃だ。おそらく、巽の内面の成長は、そこで止まっているのだ。
好きな娘と一緒にいたい、振り向いてもらいたい、触ってみたい。そんな欲望を、巽は自分でも上手くコントロールできない。
「こればっかりは、他人が言い聞かせてどうにかなる問題でもない。お前が自分で、学習していく感情だ」
顔を上げられない巽に、兄がさらに言った。
「楓ちゃん、なんであんなに困ってたんだろうな」
「はい?」
巽が目線をあげると、兄は真剣な顔をしていた。
「だってな、楓ちゃんって被害者じゃん?だから堂々と慰謝料請求するくらいしてもいいんだぜ?なのになんだか、被害者ですみません、みたいな空気がさぁ」
こう見えて教育者である兄は、彼女のことが気になるようだ。
「電車で痴漢されたとか、訴えるのは恥ずかしいなんていう話もあるし。そういうカンジの理由かなと思ってたんだけど。あれはなんとなく違う気がするな」
それは、巽も以前感じた疑問だ。事件当初は、自分がどれほどのことをしたのか把握していなかったため、流してしまった。しかし思い出してみれば、あれはもっと糾弾されるべき蛮行である。
「今日も本当ならば、すぐに起き上がって謝るつもりでした。あまりに抵抗がないので、つい調子に乗りました。そこは僕が悪かったのです」
夢で見た状況を繰り返しているという自覚は、巽にちゃんとあった。なのに抵抗するでも大声を出すでもなく、巽の下で考え事をしていた彼女。
「僕が自分で言うのもなんですが、もっと彼女に責められてしかるべきです。そしてどうも、楓さんは自己評価が低すぎるように思えます」
彼女は普段勉強や運動などで、自分を卑下することはしない。しかしこと身体的なことに関しては、自己嫌悪の塊みたいになる。
「太っていると言い張ることもそうですが、まるで自分は男に不埒なことをされるような人間ではない、と思っているように見受けられます」
自分が男の視線を集めるはずがない。彼女がそういう思考のもとで動いているから、アンバランスなのかもしれない。生徒指導室での事件も、彼女は行為がエスカレートするということを思い描かなかったのかもしれない。
「ああ、その言い方がしっくりくるな」
巽の言い分に、兄も頷く。
「家族に言わなかったのも、事実を疑われると思ったのかもな」
「ご両親は、そんな方とは思えませんが」
土曜日に石守神社を訪問すると、彼女の両親との話題は彼女の話しかしない。彼女は学校でうまくやれているか、そんな会話がほとんどだ。
「楓ちゃんはどちらかといえば、男の欲をくすぐる身体つきだろう?あのままじゃ危ないぞ」
兄の危惧も最もなもので、自分のことを正しく理解しないと、自衛もあったものではない。
「どうやら、楓さんのお兄さんが原因らしいのですが」
楓は自身の兄の話題について、話したくない雰囲気であった。過去になにか、いさかいがあったのだろう。
「楓さんのコンプレックスについて、ご両親に話を聞いてみるのもいいかもしれないですね」
同性である母親ならば、なにか知っているかもしれない。




