その3
「え?」
突然の第三者の出現に、楓は泣きながらも目をパチパチさせる。
「その必要はありません、いたって正気です」
本郷はいつもの調子で答えて、身体を起こして眼鏡をかけた。本郷の身体越しに見える人物の姿に、楓は驚いた。
「平井先生!?」
平井先生が、本郷の後ろに仁王立ちしていた。
「かわいそうに、楓ちゃん泣いちゃってるじゃんか。女の子を泣かすなんて、お前は小学生かよ」
平井先生が、じっとりとした目つきで本郷を見る。
「すみません楓さん、少々おどかしすぎましたかね」
本郷は困ったような顔をして、楓をソファから引き上げてくれた。
「ぐす、ちゃんと、せんぱいですか?」
「はい、ちゃんと僕ですよ。今のは、強引な女性にこちらの意見を通す際、有効な手段なのです」
本郷が楓にティッシュを差し出した。楓は素直に涙を拭いて、ついでに鼻をかんだ。鼻水を垂らすよりはマシだろう。
「なんで、平井先生がここに?」
楓はとりあえずの疑問を口にした。
「だって、ここ俺んちだもんよ」
平井先生に当然のように言われて、楓は目を丸くする。本郷の身内とは、平井先生のことだったらしい。驚く楓に、平井も驚いていた。
「楓ちゃん、ここの表札見なかった?」
「そういえば、平井だった……」
言われてみれば、本郷ではないなとは思ったものの、平井という苗字について特に気にしなかった。珍しい苗字というわけでもないので、平井先生を連想しなかったのだ。
「生徒にはには言ってないけど、巽と俺は実の兄弟なのよ。学校の先生はみんな知っている話」
「そうなんですか!?」
楓は驚いたものの、初めて平井先生を見た日のことを思い出した。見たことがある気がしたのは、本郷と似ていたからだ。雰囲気が違うのですぐにはわからないが、こうして並ぶと目鼻立ちなどが似ている。
平井先生の簡単な説明によると、二人の両親が離婚した際、本郷は父親が引き取り、平井先生は母親についていったらしい。
「ついていったというより、お目付け役かな?とにかく生活が派手な女だからね」
と平井先生はおどけてみせる。楓が推測するに、きっと人に言えない苦労などがあったのだろう。とにかく本郷との兄弟仲が悪いわけではなさそうだ。
「巽がおどかしたおわびにほら、シュークリーム食べな?」
平井先生がケーキの箱を楓の目の前にかざした。箱にあるロゴは、楓も知っているケーキ屋のものであった。
本郷がシュークリームを皿に取り分けている間に、平井先生は着替えに自室へ入っていった。
楓が無言でシュークリームを頬張っていると。
「で、副音声とはなんでしょう。うそとはどれのことでしょう」
頭がいい本郷は、先ほどのことを忘れてはくれなかった。
「忘れませんか先輩、その話」
「あいにく、気になって仕方ないんです」
楓はこの話をしても、お互いのためにならない気がする。しかし本郷は聞きたいらしい。
楓は仕方なく、全てを話すことにした。自分には霊感などなく、ただ石の声が聞こえるだけということ。
「今までの人生で、幽霊を見たことなんてありません」
「そうなのですね」
そして本郷の霊石からも、声が聞こえるということも、楓はしぶしぶ白状した。
「これの、声ですか」
本郷が胸元からネックレスを引き出す。
「そうです、その、いろいろと」
楓がなんとか言葉を濁そうとすると。
「具体的には?」
本郷が直球で聞いてきた。しかし副音声をそのまま教えるのは、楓の羞恥心が耐えられない。
答えを待つ本郷に、楓は俯き加減で小さく言った。
「あの、胸、の話が多いな、とだけしか……」
本郷が固まった。しかも視線を楓の胸に固定して。
――恥ずかしい、帰りたいよ!
楓が再び泣きそうになっていると、本郷が再び動き出した。
「すみません。楓さんを泣かせるつもりはなかったのです」
本郷がぐるりと身体ごと動かし、楓を見ないようにした。だが楓から見える本郷の耳が赤い。本郷がコップのお茶を一口であおる。
「あのでも、いつもなにか言っているとかじゃなくて。油断した時になにか言うというか。あ、それと神社は石神様のテリトリーなので、静かです」
楓は涙目で一生懸命フォローする。
そこに平井先生がリビングに戻ってきた。
「こら巽、また楓ちゃんを泣かしてる」
楓はその姿に後光がさしているように思えた。今の空気で本郷と二人でいるのは、とても心臓によくない。
平井先生が、楓と本郷の間に座った。
「そもそもお前、楓ちゃんに今日の本題を言ったか?」
「いいえ、兄さんが帰ってからと思いまして」
平井先生の追及に、本郷が首を横に振る。
「あの、そういえば頼みごとって?」
思い返せば、楓は再びセクハラを受けに、わざわざこの家まで来たわけではない。
「まずは、これを見ていただきたい」
本郷がテレビをつけて、DVDの映像を流した。大画面のテレビに、スーツを着た中年男性の姿が映る。
「父です」
「え!?」
テレビに映る男性は、真面目な表情で語りだした。
『……えー、石守楓さん。このたびは私の不肖の息子が大変なことをしでかしたと聞きました。保護者として、心から謝罪したいと思います。本当に申し訳ない』
深々と頭を下げる男性。
「楓さんが、あの件をご両親に伝えていないことを考慮して、メッセージにしたそうです」
「そうなんですか……」
本郷は、本当に家族に全てを打ち明けたらしい。その度胸に楓は感心してしまう。自分だったら絶対に無理だろう。
『顔も見たくないと言われても仕方のない息子と、今でも交流をしてくださっているとのこと。あなたの懐の深さに、感慨もひとしおです』
自分が家族に追求されるのが、嫌なだけだったのに。そのことをこれほど持ち上げられると、楓としても困ってしまう。
「私、こんなに言われるようなのじゃ……」
俯く楓の様子を、隣に座る平井先生がじっと見つめていた。




