その9
黒縁眼鏡の男性の言葉に、取り押さえられている男性は顔色を変えた。
「そんな、ちゃんと見てくれ!」
「見ましたよ、とてもきれいな人形を。これは私が欲しいものではないねぇ」
見たと言っているが、黒縁眼鏡の男性は紙袋を覗いただけで、直接人形を見てはいない。
「お嬢さんを見かけたときに、もしやと思ったんだけどねぇ。お祓いを阻止してまで、手に入れたい物でもないし」
「あ……」
黒縁眼鏡の男性の言葉に、楓は思い当たることがあった。前回の帰り道、視線を感じたと思ったのは。ひょっとしてこの人物のものだったのだろうか。
「それにあなた、とても同意を得ているようには見えないねぇ。こちらとしても、犯罪に加担するのはちょっとねぇ」
なにやら話が見えない。黒縁眼鏡の男性は、なにがしたいのだろうか。
「……くそ!」
取り押さえられている男性は、悪態をついてうなだれた。
「お金は真っ当に稼ぎなさいな。それが一番いいねぇ」
黒縁眼鏡の男性は、またへらりと笑う。
「石守神社のお嬢さん、あなたもそう思うでしょう?」
黒縁眼鏡の男性が、楓に視線を向けた。楓はとっさに莉奈の後ろに隠れる。
「楓、知り合いか?」
莉奈の質問に、楓は首をぶんぶんと横に振った。誓って、今日初めて会った相手だ。先方は前回ここを訪問した際に見かけたらしいが。
――なんだろう、気味が悪い人だ
楓が黒縁眼鏡の男性を警戒していると、何故か取り押さえていた男性が暴れなくなった。本郷はもう一人の男性に任せ、楓の横についてくれた。思わず楓は本郷の服の袖をぎゅっと握った。
その様子を見ていた黒縁眼鏡の男性が、にんまりと口元を歪ませた。
「それよりも、こちらに興味があるなぁ。君のその、胸元にある霊石」
本郷はとっさに胸元に手で触れた。
「とても珍しいねぇ、ただの霊石ではないよ」
そう言うと、黒縁眼鏡の男性が本郷に近寄り、胸元に顔を寄せてきた。急に距離を詰めてこられたので、本郷がぎょっとして後ずさる。
「なんですか、あなたは!」
『俺によるな、気色わりい!』
主音声と副音声が同時に拒絶反応を示した。楓もその得体の知れなさに怖くなる。すると。
「おおなんと珍しい! 喋るのですか!」
「え……」
黒縁眼鏡の男性が、興奮したように叫んだ。楓はそれに驚いて、思わず本郷の腕を引っ張る。
――この人、声が聞こえるの?
相手はどうやら、普通の人間ではないようだ。
「誰です、あなたは」
怖くて震えそうになりながらも、楓は視線を強くして尋ねる。その楓を莉奈が背中に庇ってくれて、手を寧々が握ってくれている。本郷も寄り添うように立ってくれている。
「いいねぇ、美しき友情だ」
楓たちを見て、黒縁眼鏡の男性は感心するように微笑んだ。
「わたしはねぇ、珍しいものに目がないので。それもただ珍しいのではなく、とても珍しいものがいい」
黒縁眼鏡の男はうっとりとした表情で、本郷の胸元を見る。ネックレスの霊石は見えていないはずなのに。
両者の間に妙な緊張が走っていたが、しばらくして黒縁眼鏡の男性が、肩をすくめた。
「ああ、タイムオーバーのようです」
「え?」
困った困った、と呟きながら身を翻す相手を、楓は呆然と見つめる。
「仕方がないので、ぜひまたの機会に」
黒縁眼鏡の男性がふらりと立ち去った直後、警察がやってきた。どうやら近所の住人が通報してくれたらしい。
それから警察に事情を聞かれ、すっかり大人しくなった男性はパトカーに連れて行かれた。
そこでようやく、落ち着いて話をすることになった。
「みなさん、石守神社の方ですよね?」
一人残った男性が頭を下げた。どうやら北川の結婚相手の男性らしい。
「とんだトラブルに巻き込んでしまい、申し訳ありません」
男性の勧めで場所を路上から、人形の館のリビングに移動することにした。
リビングには北川が待っており、楓たちが座ると、男性がお茶を用意してくれる。ようやく気分が落ち着いたらしい本郷が、深くため息をついた。
「気味が悪くて、鳥肌が立ちました」
『視姦された気分だ!』
本郷はどちらも、とても嫌な気分になったようだ。こころもち顔色が悪い気がする。
一同にお茶が配られたところで、北川が憔悴した様子で謝罪してきた。
「私の身内の問題に巻き込んだようで、本当に申し訳ないわ」
「身内って、あの最初に突っかかってきた人?」
出されたお茶に口をつけながら、寧々が尋ねた。北川は簡単に説明してくれた。
「彼は叔母の息子さんでね、相続問題でちょっと揉めている相手なのよ」
叔母の息子ということは、北川の従兄弟である。相続で揉めるというのも、ありがちではあるのだろうが、本人としてはたまったものではない。
「この家と人形は、遺言のもとで頂いたのでは?」
本郷の疑問に、北川も頷いた。
「そうなんだけど。彼は借金癖があって、相続したお金では足りないようでね」
人形を売って金をよこせ、と北川に再三言ってきているらしい。
「でもね、これでもだいぶん人形を売ったのよ?そのお金のほとんどを、彼は受け取ったはずなのだけど」
「どうやらそのせいで、まだこの家に金があると思ったようでね」
困った様子の北川の隣に座る男性が、苦い表情で口を挟んだ。
ようやく楓にも事のあらましがわかってきた。おそらくあの人形を高価だと判断した北川の従兄弟が、待ち伏せして横取りしようとしたのだろう。
聞けば北川の怪我も、従兄弟と揉み合っているうちに階段から落ちてできたものらしい。警察に連れて行かれた時に、男性がそのことについても話したそうだ。今頃厳しい追及をされていることだろう。
「ではあの眼鏡の男に、人形を売るつもりだったのかもな」
「質屋さんとかかもね」
莉奈の推理に寧々が補足する。おそらくそのようなことなのだろうが、一つだけ気になることがある。
「あの男は、質屋という雰囲気ではないようでしたがね」
本郷がしかめっ面で言った。それについては楓も同意見だった。
それから楓は無事、北川に人形を受け取ってもらった。
ついでにチョーカーについている石が、本物である可能性があると知らせた。北川は目を丸くして驚いており、男性は真面目な顔で考え込んだ。
「瑞樹これ、もっと大きな博物館に寄贈したらどう」
「そうね、考えるわ」
物騒な従兄弟がいる以上、楓もそうすることを勧めておいた。
それから橋本姉妹は展示室を見学しに行った。もう人形はこりごりな楓は当然リビングに残り、本郷もそれに付き合ってくれた。
用事も済んで、楓たちはそろそろお暇することにした。
「それでは、ありがとうございました」
「いいえ、北川さんもお大事に」
松葉杖をついた北川と男性は、二人並んでで玄関から見送ってくれた。
その後、一同は駅に向かって歩いていた。気がかりの紙袋がなくなった楓の気分は晴れやかだった。
「よーし、お勤め終了だ!」
寧々が楓の肩を抱いてきて、元気に雄叫びを上げる。寧々の元気につられて、楓も笑みを浮かべる。
「そうだね」
「うむ、楓も笑顔が出てきたな」
莉奈が楓の頭を撫でる。楓は行きの道中で、よほど悲壮な顔をしていたようだ。それならば、先日本郷と二人で向かった時は、死にそうな顔だったに違いない。
「時間も頃合だし、うどんを食べようよ」
食い気を出した寧々に、本郷が同意した。
「そうですね。今とても温かいものが食べたい気分です」
どうやら本郷は未だ、さきほどの黒縁眼鏡の男性の件を引きずっているらしい。
「えっと、先輩、元気を出して?」
楓が励ますと、本郷は微笑んでくれた。
駅前のうどん屋で、みんなで騒ぎつつもうどんを食べた。友人と外で食事することを、楓は高校に入るまで経験したことがない。実にこれで二度目である。
楽しい時間を過ごした後は、楓は本郷に石守神社まで送ってもらった。
家族で夕食を食べた後、楓は神殿に行った。
『どうした楓』
「石神様、今日変な人に会った」
『ほう?』
楓は石神様に、今日見た黒縁眼鏡の男性について語った。
「私のことを知っているみたいだったし、見えてもいない物のことを言うし。なんだか気味が悪い」
それに本郷の霊石の副音声も、聞こえているようなそぶりを見せた。
楓の話を聞いて、石神様は少し考えるように間を空けた。
『おそらくそやつ、霊能の道に生きる者であろう。そういった輩には変わり者が多い。重々気をつけることだ』
「……うん」
気をつけると言っても、今日みたいに突然出くわした場合はどうすればいいのだろうか。
楓の脳裏に、本郷のしかめっ面が浮かんだ。




