その6
「展示室は別の入り口を作っていまして、あちらです」
北川は一旦外に出て庭に入り、テラスのようになっている展示室へ案内してくれた。
「どうぞ、中へ」
北川が促してくれるが、楓は足が動かなかった。
「うぁ……」
真っ青な顔で固まる楓を、本郷が気遣わしそうに背中をさする。
「楓さん、無理はしないでいいですからね」
展示室であるので、そこは当然人形だらけである。様々な人形が、整然と並べられていた。
「これで全部ではありませんが。倉庫にもたくさんありますから」
北川の説明に楓はますます顔色を悪くする。楓が固まっているのは、それだけが原因ではない。
『ママーママー……』
声がする、人形たちの中から。
――なんでこういうのに当たっちゃうの!?
涙目の楓に、本郷が尋ねる。
「なにかありそうですか?」
「はいぃ……」
腰が引けてしまっている楓を、本郷が支えてくれる。楓は自分から足を動かすことはできそうにない。
「うぅ、先輩連れてってくださいぃ」
なので楓としては本郷に頼るしかない。本郷の背中にしがみ付き、隠れるようにする。
「しょうがないですねぇ」
本郷は苦笑すると、背中にしがみ付く楓に腕を回す。
『役得、役得』
副音声がなにか言っているが、もはや楓の耳には入らない。本郷にくっついて、ゆっくりと展示室に入っていく。
「先輩、えと、あっちに……」
楓は震える手である方向を指さす。背中に引っ付かれている本郷は、楓を振り返って苦笑する。
「いっそ抱き上げますか?」
「……腰が抜けたときにぜひ、お願いしたいです」
楓はこの時、もう恥ずかしいという気持ちよりも恐怖が先立った。
楓は指さした方向に近寄り、本郷の背中越しに一体の人形を覗いた。
「これ、です……」
『ママーママー……』
声が聞こえるのは、周囲のものより少々大きめの人形だった。その首に、黒いチョーカーが着けられている。
「これは、叔母が若い頃手に入れた人形だそうです。古い時代のものだと聞いています」
楓の後ろから、北川が解説してくれる。本郷が怖れることなく、その人形を手に取った。
「この首のチョーカーについているのは、本物の宝石ですか?」
本郷が疑問を口にする。そう、チョーカーには親指の爪先ほどの大きさの青い石がついていた。北川は笑って否定した。
「まさか!ガラスだと叔母に聞いています。本物だったらこんなに無造作に飾ってません」
――いやでも、このチョーカーの石から声が聞こえます
楓に声が聞こえるということは、紛れもない石であり、本物の宝石だということなのだ。しかもこの声の大きさからすると、古い念だ。普通の石などに比べて、宝石は古い念をためやすいというのが、楓の実感である。
「この飾りは人形に最初からついていたと聞いています。なので着替えを新調する際にも、必ずつけているのです」
これで、石が人形と同じくらい古いものだとわかった。恐怖が余計に増した。
「それで楓さん、これで間違いないですか?」
「はいぃ」
楓は恐怖で本郷にしがみ付くというより、ぶら下がっている状態に近かった。
その時。
ガタガタガタ……
人形たちが震えだした。本郷の手の中にあるチョーカーの着いた人形だけでなく、展示室の人形が一斉に。
「なに!?」
初めての現象なのか、北川が驚いている。
「うぎゃあ!!」
楓は恐怖で床にへたり込む。本郷が楓を庇うように、胸元に寄せて抱き込んだ。その間も人形を放り出さない本郷はすばらしいが、楓としてはまずそれをどこかに投げて欲しかった。
『ママーママー!』
声が一層大きくなる。それに周囲の人形が共鳴しているのだ。人形はヒトガタであり念がこもり易い、と楓はいつか石神様に聞いたことがある。
人形たちの震えは収まることはなく、むしろ酷くなっている気がする。
――止めなきゃ、でも怖いぃ!
恐怖で身体に力が入らない楓は、本郷に抱き抱えられるようにしていた。
「一旦部屋から出ましょう」
本郷が片手に人形を持ったまま、楓を抱き上げた。そのぬくもりに、楓は恐怖が少しだけ薄らいだ。
――ここまで付いて来てくれた先輩に、いつまでも甘えてばかりではだめだ
これをどうにかできるのは自分だけなのだ。楓はぎゅっと本郷にしがみ付き、お腹に力を溜める。
『ママー!!』
「お願い、黙って!」
楓は声を張り上げた。その直後、全身の血が沸き立つような感覚に襲われる。
人形たちは、一斉に動きを止めた。声もぴたりと止む。
――あ、いけない……
それと同時に、楓の目の前が暗くなってくる。
「楓さん!?」
楓は全身が脱力して、慌てた本郷の腕の中で倒れる。
「楓さん、しっかり!」
本郷の声を聞きながら、楓の意識は薄れていく。
楓が目を覚ますと、目の前に本郷の顔があった。
「楓さん、気分はどうですか?」
「……せんぱい」
楓が数回瞬きをすると、本郷が楓の頭を撫でてくれた。それが気持ちよくて、楓は少々堅い枕の上で寝返りを打とうとした。
――あれ、枕?
楓は自分の状況に疑問を抱いた。どうして自分は寝ていたのだろうか。そしてどうして寝起きに本郷の顔をアップを見ているのだろうか。そして枕にしては堅いこれはひょっとして……
「楓さん、大丈夫ですか?」
本郷が反応のない楓を心配する。だが再び楓は固まってしまった。そしてなにやら顔が熱い。
――これって、先輩の膝枕!?
アワアワしている楓の様子に気付いたのか、本郷が楓の脇に手を差し入れて起こしてくれた。すると、座る本郷の膝の上に腰掛ける体勢になってしまった。本郷が楓の背中に手を当てて身体を支えてくれる。
「もう一度聞きますが、気分はどうですか?」
間近で目を合わせて聞いてくる本郷に、楓は酸欠に陥りかける。
「楓さん、まずは深呼吸をしましょうか」
本郷に促され、楓は息を吸って吐いてを数回繰り返す。ようやく楓の脳が正常に活動を始めた。
――私、倒れたんだ
あの石の声を止めた影響だ。
楓には石神様の力がほんの少し宿っているらしい。なので石の声をちょっとの間だけ、止めることができるのだ。しかしそれをすると非常に身体に負担がかかるらしく、ああやって気を失うこともある。
楓が状況がわかって落ち着いたところで周囲を見渡すと、ここが最初に通されたリビングであることが判明した。
「あの、なんで先輩の膝……」
楓は恥ずかしくて膝枕と言えず、俯いてしまう。今もお尻の下の本郷のぬくもりに、身体をむずむずさせてしまう。
本郷が、咳払いを一つした。
「誤解のないように言っておきますが、僕が自分で楓さんを膝枕したわけではありません」
「……え」
至近距離で見る本郷の顔は、なにやら困っているように見えた。
「ソファに寝かせた楓さんの様子を伺っていると、楓さんが自分で膝に頭を乗せたのです」
枕を求めたのか、楓が自分で本郷の膝にのし上がってきたらしい。
――なにやってんの、私!?
楓は慌てて本郷の膝の上から飛びおりる。恥ずかしくて、今すぐどこかに隠れてしまいたい衝動に駆られる。
「えっと、もう大丈夫です。先輩ありがとうございます」
「どういたしまして」
『役得だけど、ちょっとした拷問だな』
無駄に手をバタバタさせる楓に、本郷が笑顔を見せた。副音声の言葉も気になるが、きっと楓の頭で足が痺れたりしたのだろう。
この時、北川がリビングに顔を見せた。
「まあ、起きたのね。よかった」
北川は温かいお茶を入れてくれた。楓は身体が冷えていたようで、温かいお茶が身に沁みる。
あの後、人形の震えは止まったらしく、今の展示室は静かなものだそうだ。
「もしかしてとは考えたけれど、実際にあんなことに遭遇したのは初めてよ。もうビックリしてしまって」
「お察しします」
北川の驚きに、本郷が神妙に頷いた。
北川はポルターガイストに遭遇した後であるので、今日は結婚相手の彼の家に泊まるそうだ。楓もそれがいいと同意した。
「例の人形は、梱包してもらいました」
本郷の足元に、大き目の紙袋がある。あの中にあの人形が入っているらしい。それがわかると、楓はソファの上を移動して本郷、というより紙袋と距離を大きく開けた。そんな楓の反応に、本郷は苦笑する。
「それ、お願いできるかしら?」
「お預かりいたします」
無言の楓の代わりに、本郷が北川に答えた。




