その6
お好み焼きを食べたら今日の活動は終わりである。
一同は再びバスに揺られ、駅前まで戻ってきた。
「それじゃあ解散!みんなまた月曜日にね」
新井先生の解散宣言で、みんなは散り散りになっていく。
とはいえ、橋本姉妹は当然同じ家に帰るのだし、本郷と新井先生の家は同じ方向である。一人帰路に着こうとしていた楓を、本郷が呼び止めた。
「石守さん」
「はい?」
なにか用事が残っていただろうか、と楓は振り返る。
「家まで送っていきますよ」
本郷がそう言って楓に並んだ。本郷の後ろで、新井先生がにこにこ笑っていた。
「そうしてもらうといいわ。石守さんは途中調子を崩したでしょう?なにかあると心配だから」
新井先生も、楓に本郷に送ってもらうことをすすめてくる。
二人掛りで言われてしまうと、楓に断る勇気はない。楓がなにも言えないでいると、本郷は横に並んで先に歩き出した。
「あ……」
楓は慌てて追いかけた。そのまま、二人はしばらく無言で歩いていたが。
「疲れていませんか?」
本郷が楓の体調を気遣って尋ねてきた。楓は本郷を横目で見上げる。
「……少しだけ。あの、友達と休みに出かけるって、したことない、ので」
「おや、そうなのですか」
変な言い訳をしてしまった楓に、驚いたように本郷が目を丸くする。自ら寂しい私生活を暴露した形になった楓は、それに気付いたときは遅かった。恥ずかしくて、自然俯いてしまう。
「では、今日は初体験がたくさんあったのですね。それに立ち会えた身としては、とても光栄です」
本郷のフォローに、楓は少しだけ顔を上げる。本郷を視線が合った。
「あの、変なこともあったけど。とても、楽しかったです」
「僕も、楽しかったですよ」
本郷が優しい笑みを見せた。
楓はそれだけで、気分が浮上するのがわかる。
――バカじゃないの私、先輩はきっと、みんなに優しいの
なんといっても王子様と呼ばれる人だ。そんな人物を相手に勘違いなどしては、恥をかくのは自分である。
その後は二人とも、また無言で歩く。でも時折本郷を見ると、目が合った本郷が軽く微笑んでくれる。楓は気の利いた会話ができない自分に落ち込みながら、それでも微笑む本郷に安心する。
そんな風に二人の時間は過ぎていく。
神社の麓の鳥居前で、楓は立ち止まった。さすがに本郷にこの階段を上らせるのは気の毒だ。
「ここでいいです。先輩ありがとうございます」
楓は本郷にお辞儀をして、ここまで送ってくれたお礼をする。
「どういたしまして。ではまた、学校で」
「はい、学校で」
挨拶をすると、ここでお別れだ。
階段を上る楓を見送っている本郷の視線から早く逃れたくて、楓は長い階段を一気に駆け上がる。神社に着いたときには息も絶え絶えだったが、楓はそのまま神殿へ突撃する。
『どうした楓』
肩で息をして床に倒れこむ楓に、石神様が驚きの声を上げる。
「なんでも、ない。ちょっと、走りたかった、だけ」
楓は声を出すのも息苦しかった。
『そうか、人間そのような気分になるときもあろうな』
なにも追及しない石神様が有り難い。
楓はそのまま息が整うのを待つと、古墳での出来事を話した。
『ふむ、そのような古い墓の主であれば、より神に近しい生であったのだろう。楓に宿る、我の気配に反応したのだな』
石神様の解説に、楓は納得できたものの、全く気は済まなかった。
「すっごく怖かったんだから」
『よしよし、少々念を纏わり付かせておるな。綺麗に喰ろうてやろう』
楓を慰めるように、石神様が念を食べてくれた。
少し身体が楽になった気がする楓は、思い出し笑いをする。
「でも、楽しかったよ」
『そうか、それはなによりだ』
こうして、楓の長い一日が終わろうとしていた。
***
巽が家に帰ると、兄がすでに帰宅していた。
「おう、お帰り」
「兄さん、いたんですか」
巽は荷物をリビングに放り出すと、冷蔵庫から冷えたお茶を出して、コップに注ぐ。今日は予想よりもだいぶ暑かったので、喉が渇いていたらしい。巽はお茶を二杯ほど一気飲みする。
リビングのソファに座る兄が、巽をじっと見ている。
「……なんですか」
兄のなにか言いたそうな視線に、キッチン越しに巽が尋ねる。兄がにやりと笑った。
「なぁどうだった?楓ちゃんとのデート」
「なんですかそれは」
兄の茶化すような声に、巽は嫌な顔をした。
「今日は同好会のみんなで出かけたのであって、そのような行事ではありません」
巽がぴしゃりと否定するが、まだ兄はにやにやと笑っている。
「だってよお前、去年は同好会の活動になんて、一度も顔を出さなかったくせに。名前を貸すだけだとか言って」
兄の反論に、巽は沈黙する。全くその通りだからだ。
「せっかくの高校生活を、少しでも楽しもうと心を改めたまでです」
巽はお茶を冷蔵庫に仕舞うと、ダイニングのイスに座る。
巽の言い訳に、兄はなおも食い下がる。
「香織ちゃんから、仲よさそうな写メもらったもんね」
「はい?」
ほれ、と兄が掲げるスマホに写っているのは、確かに巽と彼女の姿であった。古墳を覗いて二人で笑っている瞬間である。いつの間に撮られたのだろうか。油断していた。
――しかし、撮られたのがこれでよかった
もしこの後の彼女を抱きしめているシーンを撮られたりしたら、どうなっていたかわからない。あの時は、何かに怯えるようであった彼女を早く落ち着かせなければと、それだけを考えていたのだ。今にして思えば、ずいぶん大胆な行動をとったものだ。
巽がそんな回想に耽っていると。
「女を視界に入れない奴だったお前が、女と一緒に出かける。こんなに喜ばしいことはない。ちゃんと親父にも報告しておいたとも」
父親に話が行ったと聞いて、巽はぎょっとする。なにやら事が大きくなっている。
「兄さん、恥ずかしいことをしないでください!」
「そう言うな、親父も喜んでいたぞ」
同じ学校の女子生徒と出かけた程度で親に報告されるとは、自分はどこの幼稚園児だろうか。巽は脱力してしまう。
兄が巽の正面のイスに移動してきた。
「楓ちゃんは、いい娘だったか?」
にやにや笑いを止めた兄が、巽に聞いてくる。
「……裏表のない、素直な人だと思いました」
東京で暮らしていた時に、巽を囲んでいた女性たちとは、正反対な彼女。
「そっか。そういう娘がお前の好みか」
「好み、というわけでは……」
兄の言葉に、巽はドキリとする。彼女にむかって「好みだ」などと言ってしまった自分は、どうかしていたと思う。まだ出会って二週間しか経過していない相手に、なにを言っているのだろう。
「じゃあ、どんなのが好みよ?」
兄は巽になにを言わせたいのだろうか。しかし、なにかしら答えなければ、しつこいだろう。
「臭い女性は嫌いです。けど、やわらかい女性は、癒されます」
巽の答えに、兄は微妙な顔をした。
「お前、それ他の表現に置き換えた方がいいぞ」
「なんですか?」
巽には、何故兄がそんな顔をするのかわからない。
「やわらかいって、よくとられてもエロくさいし、悪ければ、太っているって言ってると誤解されるぞ」
「……そうですか?」
そういえば、自分は彼女にやわらかいとも言ったのだ。その時の彼女は固まっていた気がする。
思えば彼女は、ダイエットをしていると言ってみたり、今日も重いと気にしてみたり、自分の体型を気にしているようだった。しかし彼女は細くはないが、決して太ってもいない。形容するならば、グラマーなのである。いたって女性的な身体つきともいえる。
「なに、ひょっとしてもう言っちまったとか?」
「誤解を与えてしまいましたかね」
表情を曇らせる巽に、兄はアドバイスをする。
「フォローは早目がいいぞ。メルアド交換くらいはしたんだろうな?」
「してませんよそんなこと」
緊急に連絡を取らねばならない用件もないのに、メルアドを尋ねるなど不自然極まりない。そう主張する巽に、兄は呆れていた。
「お前、意外と不器用だな」
「すみませんね、どうせ不器用ですよ」
今日二度目の「不器用」という言葉に、巽は顔をしかめる。
――でも、石守さんは料理の手際がよさそうでしたね
他人の手料理など食べたのは、何時振りだったであろうか。
思い出し笑いをする巽を兄が楽しそうに眺めていたことに、巽は気付いていなかった。




