その1
楓が月曜日に登校すると、もう風紀委員による校門チェックは行われていなかった。入学後一週間だけのことだったらしい。それを男子は喜び、女子は朝から本郷の姿を見れなくなったことを嘆いた。
楓がいつものように校門前でヘッドフォンを外す。すると、
「おはよう、我が弱小同好会希望の星よ」
背後から、芝居がかったような台詞の挨拶をされた。楓は驚いて後ろを振り返る。
そこには、おかっぱ頭の女子生徒がいた。
「えっと、橋本先輩?」
そこにいたのは、金曜日に国語科準備室にいた女子生徒であった。
「おお、名前を覚えていてくれたのか」
女子生徒は喜んで楓の手をとって握手をした。
「だが私には妹がいる。だから莉奈先輩と呼んでくれ」
「はあ、莉奈先輩」
莉奈の勢いに押され気味に、楓は名前を呼んだ。
「いいね、先輩という響きは!それでは、国語科準備室で待っているぞ!」
朝から元気に、莉奈は昇降口へと去っていく。
「国語科準備室、なんで?」
立ち止まってしまった楓の横を、多くの生徒が通り抜けていく。
朝から本郷と遭遇することななくなったおかげで、クラスの女子生徒から言い寄られることがなかった。そのことに楓はホッとする。
――金曜日のことも、誰も知らないみたい。
あれほどショッキングな事件なのだ。漏れれば学校中が、蜂の巣をつついたような騒ぎになっていてもおかしくはない。なにしろ噂の対象が、あの本郷なのだ。それなのに校内は至って平穏であった。
――平井先生とかも、誰にも言っていないのかな
なんにせよ、平穏な様子に楓は安心した。
今日から一年生も通常授業である。今まで浮き足立っていた生徒たちも、そろそろ落ち着いてくる。そして、グループが固まってくる頃でもある。だが、根が引っ込み思案な楓は、未だ友達らしい人はいない。
午前中の授業が終わり、楓が机の上に弁当箱を出したところで、教室のドアの方から声をかけられた。
「石守楓ちゃーん、どこー?」
可愛らしい女の子の声だった。その親しげな声音に、楓は聞き覚えがない。
――誰だろう?
楓は不思議に思って振り向いた。そこに立っていたのは、ふわふわの癖っ毛をツインテールにした、どこか愛嬌のある女の子だった。
楓と目が合うと、彼女はぱっと表情を明るくして近寄ってくる。
「楓ちゃん?」
「そう、だけど……」
どうして彼女は楓の名前を知っているのだろうか。校章を確認すると一年生のようで、他のクラスの女子だ。
「部活に誘いに来たんだー、ねーいこ?」
彼女は楓が机の上に出していた弁当箱を片手に持つと、もう片手で楓の手を引いた。
「え、部活?」
楓は彼女に手を引かれるままに、立ち上がってしまう。
「そう!おねーちゃんが待ってるよ!」
彼女はにこにこ笑顔で、どんどん楓の手を引いて歩いていく。
こうしてたどり着いたのは、国語科準備室であった。彼女は躊躇なくドアを開ける。
「おねーちゃん、ちゃんと一緒に来たよ!」
「よし、よくやった寧々」
彼女の元気のいい声に、応答があった。
「あ、やっぱり莉奈先輩」
室内にいたのは莉奈であった。
国語科準備室と知って、楓は思い出すのは莉奈と新井先生だけである。その中でも、朝に言われていたこともあり、楓は待っているのは莉奈だろうと見当をつけていた。彼女が「おねーちゃん」と呼んでいたことから、二人は姉妹なのだろう。そう思って二人を見比べると、目元がよく似ていた。
「さぁ、お座り。お茶も準備してあるとも」
莉奈が先生が使うのであろうキャスターイスを楓に勧めてくる。
「ほらほら、一緒にランチしよ?」
寧々にも肩を押され、楓は二人に半ば強引に席に座らされる。そして目の前の机に楓の弁当箱と、お茶の入った湯のみが置かれた。
「さて、揃ったところで会合を始めるとしよう」
えっへん、と莉奈が咳払いを一つする。
「ようこそ楓、郷土歴史研究会へ」
莉奈の隣で、寧々という名前らしい彼女が、パチパチと拍手をする。
「郷土、歴史研究会、ですか?」
楓は首を傾げる。先日の部活動紹介で、そのような部活があっただろうか。楓が疑問を口にしようとすると。
「まったく、石守さんが驚いているではないですか。ちゃんと了承を取って連れてきたのでしょうね」
聞き覚えのあるバリトンの声が、楓の耳に入ってきた。気が付くと、コンビニの白い袋を手に提げた本郷が、ドアの向こうに立っていた。
『ムッチリちゃん発見』
今日は副音声も通常モードだ。
「……本郷、先輩」
どうしてここに本郷がいるのだろうか。それにしても、二日ぶりに会う本郷は、あの時に比べて顔色がよさそうに見える。そのことだけでも、楓はホッとした。
「なんだ、名ばかり副部長。会合に顔を出すとは珍しい」
莉奈が眉根を寄せて、本郷に険のある態度を取る。だが本郷がいる理由が判明した。彼はこの部活動の部員であるらしい。
「名ばかり副部長でも、本年度初会合には出席しようと思ったまでです」
そんな莉奈に構わず本郷が室内に入ってくると、楓の横に座ろうとする。しかし、
「貴様はそこいらのパイプイスにでも座っていろ。可愛い楓の側には寄せ付けん」
莉奈がしっしっと、本郷に犬猫を追い払うような仕草をする。本郷はなにも言い返さず、素直にパイプイスを用意して、楓の斜め前に座った。
『あーあ、ムッチリちゃんの隣がよかった』
副音声が残念そうに言う。楓はそれに反応してしまい、思わず隣の席を見る。準備室は狭い空間なので、席と席の間が近い。
だが金曜日のように、どういうタイミングで主音声と副音声が入れ替わるのかがわからない。用心に越したことはなく、近くに寄らないのが最善であろう。
楓がそんなことを考えている間に、橋本姉妹が楓の両脇に座った。莉奈は金曜日の会話からすると、本郷が東京から引っ越してきた理由について、なにか知っているのかもしれない。セクハラについて本郷を糾弾したりせずとも、二人の距離をとってくれるのは莉奈の気遣いであろう。守られているという安心感が、楓の本郷と対峙する気持ちを後押しする。
全員が席についたところで、莉奈が一人立ち上がる。
「それでは、余計な邪魔者がいるが、郷土歴史研究会の今年度初会合を開催する」
「おー!」
莉奈の宣言に、寧々が握りこぶしを突き上げる。
「……あの、郷土歴史研究会って、部活動紹介をしていました?」
さきほどからの疑問を、楓は恐る恐る口にした。橋本姉妹のテンションに水を差すようだが、これを聞かなければ始まらない気がした。
この楓の疑問に答えてくれたのは、本郷だった。
「石守さんが知らなくても無理もありません。同好会は部活動紹介に参加させてもらえず、プリントに名前が載るのみですからね」
どうやら事前に配られたプリントに名前は載っていたらしい。楓はそこまでプリントの内容を読み込んでおらず、壇上の紹介をボーっと眺めていただけだった。案外楓同様に、知らない生徒は多いのではないだろうか。
「うむ、そういう理由で部長の私に名ばかり副部長のコイツ。そして妹の寧々と希望の星たる楓で、同好会最低人数を満たしているというわけだ」
「だから、いつ石守さんの同意を得たのでしょうね……」
莉奈の強引さに、呆れるようにため息をつく本郷。
「それは今から得るのだとも。さあ楓、我々と共に活動しようではないか!」
少々芝居がかった言い方で、楓の手をとる莉奈。
「きっと楽しいよ?一緒にお外に出かけて美味しいご飯を食べる部活だと思えばいいって」
楓の顔を覗き込み、弁当についているフォークを揺らす寧々。楓は二人を交互に見ることしかできない。
「まあ、部員に負担をかけるような部活動ではないことは確かです。そう身構えることもないかと思いますよ、石守さん」
困っている楓に、本郷がそんなフォローをしてきた。どうやら悪い場所ではないらしい。
「えと、じゃあ、よろしく?」
楓が了承の言葉を言うと、橋本姉妹が拍手をした。
「ではさっそくこの紙に氏名の記入をよろしく」
莉奈が素早く入部届けを出してきた。それに楓が記入すると、莉奈が大切にポケットにしまう。
ここでようやく、楓は弁当に口をつけることができた。その後は四人で弁当を食べながら、雑談タイムだ。
「新入部員歓迎の意味もこめて、今週末にでもどこか近場へ行きたいところだな」
莉奈が今後の活動について口にする。
「おねーちゃんあそこは?ナントカ古墳ってあるじゃん。あそこ行った後で、みんなでお好み焼き食べようよ」
寧々がそんな提案をする。
「君の中の古墳とお好み焼きの優先順位はさておき、適度に近くて適度に古い場所ですね」
本郷がコンビニのサンドイッチを食べながら、コメントする。
「……古墳」
古墳とは大昔の偉い人のお墓である。実は楓はお墓が苦手だ。石の声のこともあるが、そもそもそういったオカルト系の事象が苦手なのだ。
「気乗りしませんか?石守さん」
楓が俯いていることに気付いたのか、本郷がそう声をかけてきた。
「いえ、古墳って、お墓だなぁ、とか思って」
「墓かと言われればそうだろうが。あれはどちらかといえば遺跡のカテゴリだぞ?」
莉奈が楓の考えを訂正してくる。
「そうそう、言われなければ、変な形をした野っ原だよね」
寧々が古墳に若干失礼な言い方をする。しかしそのおかげで、楓は苦手意識が薄らいだ気がする。
「それもそうですね。古墳、楽しみです」
楓が笑う様子を、本郷は目元を細めて見ていた。




