その6
楓たちが丁度話が終わった頃に、母親がお茶に誘いに神殿へやってきた。
「いつまでも神殿にいないの。お父さんも帰ってきてるわよ」
「はぁい」
話というか、石神様の説法は終わったので、ボロが出ないうちに楓は本郷を連れて神殿の外に出た。
「本郷さんだったかしら。せっかくいらしたのだから、お茶でもどうぞ」
「いえ、僕は帰り……」
「さあさあ、楓も早くいらっしゃい」
帰るといいかけた本郷を、母親が強引に自宅へ招待する。
「もう、お母さんったら……」
楓は二人の後を、ゆっくりついていった。
リビングでは、父親がすでにお茶を飲んでいた。
「やあ、君が本郷くんか」
父親はそう声をかけて、本郷を自分の正面に座らせる。
「それで、今日は一体どんな用事で?」
父親の質問に、本郷が姿勢を正した。
「そういえば、ご両親にも……」
「あああ、あのねお父さん!」
本郷の言葉に被せるように、楓は大声を上げる。楓のそのような態度は珍しいので、父親は驚いた顔をした。
「どうした楓、大きな声で」
「先輩はね、そう、忘れ物を届けにきてくれたのよね。わざわざ。ありがたいよね」
楓はしどろもどろながらも、懸命に言い訳をする。その様子を、本郷が目を細めて見ていた。
「……そうですね。次の授業に困るのではと思いましたので。お節介ながら自宅にまで押しかけました」
本郷は楓の言い訳に合わせて、そんなことを言った。
「まあそうなの?楓ったら先輩に迷惑をかけて!ちゃんと謝った?」
母親はこのやり取りを信じたようで、楓にあきれた様子で言ってきた。父親は、見極めるように楓と本郷を見比べたが、結局なにも言わなかった。
その後、両親とのおしゃべりに小一時間ほど付き合った本郷は、帰ることとなった。階段の下まで見送ろうと、楓は本郷と一緒に家を出た。
「ご両親に、言っていないんですか?」
玄関から数歩離れたところで、戸惑うように、本郷が楓に尋ねた。
「言ってないですね」
「何故?」
副音声を聞いたから、という理由は言えない。それ以外だと、心配されるのが煩わしかったからだ。昨日は、とにかくあのセクハラ事件のことを、人に話したくなかった。人に話して、それが噂になるのが怖かったのだ。
「さあ、なんででしょうね?」
楓はごまかすように笑った。
「君は、とんだお人よしだ」
本郷の言葉は突き放すようであったが、その瞳の奥が揺れているようだった。
楓と本郷が家を出て境内に来ると、神社にお参りしている人影が見えた。あれは――
「新井先生?」
楓が声をかけると、拝殿に向かって熱心に拝んでいた新井先生が振り向いた。
「あら石守さん、と本郷くん?」
新井先生は、意外な組み合わせを見たような顔をしていた。それはそうであろう。自分達の関係は、昨日のセクハラ犯とその被害者である。
「新井先生、お参りに来てくれたんですか?」
「ええ、神様にお礼をするなら、早くしなくちゃと思って」
新井先生は楓ににっこり笑う。先日の話を馬鹿にせずに聞いてくれたらしい。楓はそれだけで嬉しい。
「そういうそちらは」
新井先生が、本郷に視線を向けた。二人の間に緊張した空気が走り、楓は思わず息を止める。
「……謝罪は、早いほうがいいと思いまして。事情も全て話して、ちゃんと謝りました」
本郷は新井先生から視線を逸らさない。新井先生は本郷の言い分を聞いて、楓に話しかける。
「石守さんは、それでいいの?」
「お話を聞いて、悪意があったわけではなさそうなので。真剣に頭を下げてくれましたから」
楓の言葉に、何故か本郷が驚く。
「許すのですか、僕を」
そういえば、石神様のカウンセリングばかりで、許す許さないの話をしなかった。
「先輩がちゃんといろいろがんばって、もうあんなことはしないと誓ってくれるなら、許してもいいですよ?」
楓は言ってしまった後で、ちょっと偉そうな言い方だったなと思ったが、後の祭りだ。恥ずかしくて俯いた楓の頭上で、ため息が聞こえた。
「君は、どこまでお人よしなんですか」
「なんか、すみません……」
「謝らないでください。立場が逆です」
反射的に謝った楓に、本郷が注意する。
「ちゃんと家族と今日のことを話し合って、言われた通りに勤めます。もうこのような愚行をしないように。誓いますよ」
本郷の真摯なまなざしに、楓は少しドキリとした。
「……なら、許します」
それをごまかすように、口調がぶっきらぼうになってしまった。
新井先生は、楓と本郷を見守っていた。
「ふうん、ちょっと甘い気もするけれど。二人のことだしね、私が口を出す話ではないわ」
新井先生は、これ以上なにも言わないらしい。
「新井先生にも、ご迷惑をおかけしたと聞きました。申し訳ございませんでした」
本郷が新井先生に向かって、深々と頭を下げた。
「……いつもの本郷くんのようね。私も安心したわ」
お参りついでにお守りを買うのだと、新井先生は立ち去った。
それからなんとなく無言のまま、楓と本郷は階段を下りた。
楓は並んで歩く本郷の姿を、ちらりと横目で見る。そのモデルのような立ち姿に、楓は急に自分の格好が気になってきた。部屋着のままであるので、とてもじゃないがオシャレであるとは言い難い。
二人は階段下の鳥居で立ち止まった。
「わざわざ見送ってもらって、ありがとうございます」
「……いえ」
それ以上、楓は言葉が続かない。楓が無言でいることをどう考えたのか。
「言いませんから」
本郷がそんなことを言った。
「え?」
楓が本郷に向き直ると、彼は真っ直ぐこちらを見ていた。
「君が僕のことをご両親に黙っていてくれたように。君が神様と会話するような人であることを、僕は学校の誰にもいいません。これも、誓います」
今まで楓の石の声が聞こえる力のことを、友人などに話したことはない。霊感だと思われているとはいえ、本郷が始めてだ。
「このようなことを、信じられないのは承知しています。信じていただけるように勤めるつもりです」
本郷の視線の強さに、楓は顔を俯かせてしまう。
「……あの、私も自分のこと、初めて人に言いました。なので、どうすればいいのかわかりません」
楓の正直な気持ちの吐露に、本郷は目を細めて楓を見た。
「初めてと言われると、少々ドキドキするものですね」
「そう、ですか?」
少し視線を上げた楓に、本郷は優しい笑みを見せた。
「では石守さんの初めての男として、僕も相応しくあるように頑張らなければなりませんね」
本郷の言葉は、しかし楓の耳には入っていなかった。
――先輩、笑った
楓は初めて見る本郷の笑みに、一瞬呆ける。
その間に、本郷は楓に軽く一礼した。
「それでは、また月曜日に」
「はっはい、月曜日に」
ここで、本郷と別れた。
***
「そのような話をされました」
『……そうか』
夜になり、巽は東京の父親とテレビ電話で話をした。
今回自分が起こした事件も、全て話した。どこからか漏れた話を聞かせるよりも、自分で話した方が傷は浅い。しかし楓の霊感や、通訳された石神様の言葉であるという部分はぼかして伝え、自分の内面が歪んでいるらしい、ということだけを話した。
『その石守神社の娘さんには、誠心誠意お詫びをしろ』
「……謝罪は済みましたが」
巽は許しを得たことを父親に話したつもりであった。その巽の態度に、父親が反論する。
『一度謝れば済む話ではないだろう。両親に告げていないのであれば、私からお詫びをするわけにはいかないからな。それに女性に負わせた心の傷は、どれほど金を積んだところで癒えるものではない』
父親の最もな説教に、巽は頷いた。
「これからも、形を変えてお詫びは続けます」
『そうしなさい』
その後、父親は数秒沈黙する。
『今回のことで居辛いのであれば巽、東京に戻るか?』
父親は熟考した後、そんなことを言ってきた。
「いえ、ここにいます」
巽は間髪置かずに答える。巽の答えが意外だったのか、父親は驚いた顔をする。
『そうか。お前がそう決めたのなら、そうするといい』
「はい。それではまた連絡します」
父親との電話は、ここで切れた。




