田舎村の魔術師夫妻
俺の村は、ちょっと変わっている。変わっているといっても、珍しい特産品があるとか、観光名所となるような絶景の場所があるってわけじゃない。それは、村のはずれに魔術師が住んでいることだ。俺は村から一歩も出たことのないいわゆる世間知らずだが、なんとなくこの魔術師はそんじょそこらの魔術師とは違うと感じ取っている。なぜなら――――
「おい、ケルト!」
「ん―、なんだよ……?」
階下からだというのにはっきり聞き取れる親父のだみ声に、目をこすりながら起き上った。窓の外はまだ暗く、ざあざあと昨日から続く雨が降っている。こんな雨の日の早朝は農作物の世話などできるはずもなく、家に引きこもって惰眠をむさぼるのが俺の少ない楽しみだっていうのに。
俺がぼうっとしていると、足音荒く親父が部屋に入ってきた。
「はやく起きろ!」
「だから、なんで?」
「堤防が壊れそうだ!魔術師さん呼んで来い!」
「ええー……いって!」
「ぐだぐだ言ってないでさっさと行け!」
朝の楽しみを邪魔された不快さと寝起きが相まって一応渋ってみるも、拳骨一つで黙らされた。そりゃ俺だって、堤防が壊れたことで起こる農作物の被害の大きさが分っていないわけじゃない。ちょっとだけふざけただけじゃないか、と親父を恨みがましくみるも親父はもう部屋を出た後だった。最近腹が出てきたっていうのに、相変わらず身のこなしが軽い。俺はため息をつくと、寝台から降りた。
魔術師の家は、村から少し離れた森の入り口にある。ざあざあと容赦なく降り続ける雨は、普段からあまり歩きやすいといえない道をぬかるみだらけにしていた。この道に慣れているはずの俺も、魔術師の家に行くまで二度も転んだ。
「魔術師!起きてるかー!」
村の危機なので早朝ということをまるっと無視して、遠慮なく魔術師の玄関の扉を叩きまくる。ややあって、がちゃりと扉が開いた。
「あら、ケルトくん?」
ロウソクの炎を掲げて現れた女の人は、俺の顔を見て驚いた。いつものエプロンドレスではなく寝間着にガウンを羽織っている姿に少しどきっとする。
彼女はユーナさん。優しくて綺麗で、村中の男だけでなく女にもしたわれている、魔術師の奥さんだ。
「おはよう、朝早くごめん」
「おはよう。どうしたの?」
「村の堤防が壊れかけてて、親父が魔術師呼んで来いって」
「まあ、それは大変!」
ユーナさんは目を丸くして後ろを振り返った。
「ジン、聞いてたでしょう?出番よ」
「……ええー」
たっぷり間を取ってさっきの自分と似たような反応されて、微妙な気分になる。傍から見るとかなりみっともなくてだらしない。これからはもう少しゃんとしようと俺は心に誓った。それはさておき、このだらしない男、ジンこそこの村の名物魔術師だ。愛妻家という言葉が尻尾をまいて逃げ出すほど奥さんのユーナさんをところ構わず溺愛していて、見ているこちらがげっそりするのだが、顔立ちは控えめにいってかなり整っており、村の未婚の少女たちには王子さまだのなんだのと騒がれている。非常に面白くない。まあ、ユーナさんにデレデレするジンを見れば、彼女たちの幻想は容易く崩れ去るだろうけど。
「ジン、お仕事はちゃんとしないと!」
「そうだよ魔術師」
ユーナさんに便乗すると、じろりと藍色の瞳がこちらを見た。底の見えない沼のような視線に、たじろぐ。
しかし、ここで負けては村が危ない。ぐっと拳に力を込めて、俺はジンを見返した。
「な、なんだよ、……ちゃんと村で暮らす条件には入っているはずだぞ」
「ユーナを無理に起こさせた」
俺の精一杯の虚勢にも、ジンは鼻をならしただけだった。この傲慢魔術師め!さりげなく発揮される嫁馬鹿には今更なのでつっこまない。
俺が睨んでも、ジンは動きそうにない。はてさて、どうしたものか、と俺が考えあぐねていると、他ならぬユーナさんから手助けが入った。
何気なくユーナさんは、ジンの頬を思いっきりつねった。俺を冷たく見下ろしていた瞳が一瞬ぎゅっと細められた。しかしほどなくして、痛いはずなのに、どこか恍惚としてユーナさんを見つめるジンに見てはいけないものもとい見たくなかったものを見た気がして、俺はそっと目をそらした。その間も、二人の会話は続いていく。
丸い大きな瞳をつり上げて、ユーナさんはジンをしかった。
「私を出汁に、さぼらないでちょうだい」
「だってユーナ、俺はまだおまえの寝顔を見ていたかった」
「あなた私が寝ている間そんなことしてたの!?」
「俺はユーナならずっと見ていて飽きない」
「あら……そうじゃなくて」
俺の見間違いでなければ、ユーナさんの頬はうっすらと赤く染まっていた。さすがこの旦那にしてこの嫁、と俺は半眼になって思った。ユーナさんは照れつつも、俺がこの場にいることを思い出して、咳払いをしてからまた口調をきつくする。
「堤防がきれたら、いつもお世話になっている村の人が大変なことになってしまうわ、お願いジン」
「……ユーナがそう言うなら」
ようやくやる気を出したジンに、俺はほっと息をついた。ジンがパチンと指をならすと、ジンは寝間着からいつもの黒いローブ姿に変わった。ジンはユーナさんの額に口づけを落とすと、名残惜しげにその頬を撫でた。
「すぐに帰る」
「ジンの好物のかぼちゃパイを差し入れに持っていくから、きちんとなおして待っていてね」
嫁に即刻会いたいばかりに手抜き修繕をしそうな旦那に対してきっちり釘をさすあたり、ユーナさんは流石だと思う。
俺とジンは、ユーナさんに見送られながら、ジンの転移魔術で堤防までとんだ。
俺とジンが堤防についた時、村の男衆がみな集まっていた。堤防の近くには土が入れられた袋が数えきれないほど積まれていたが、微妙にぐらぐらと揺れている。出来る限りのことされていたが、普通なら村人が避難をはじめそうなひどい有り様だ。
「おう魔術師さん、来てくれたか!ケルト、でかした!」
俺とジンの姿を見つけた村長さんが、顔をほころばせた。ジンを連れてきた手柄は俺じゃなくてユーナさんだけど、ジンの家に行くまでと行ってからの苦労を労われたと考えて、あえて口をつぐんでおく。
ジンは村長さんに目もくれず、堤防を見て眉をひそめた。
「水の量が多いな」
「どうやら、上流の村のどこかが堤防の点検をしていなかったらしくてな、その分のしわ寄せがこちらにもきているんだ」
ジンはため息をつくと、男衆に川のそばから離れるように告げた。心得た男衆は、素直に少し丘のようになっているところまで下がる。
それから幾分期待を込めて、ジンの一挙一動を見守った。
年に何回かの祭りを除けば、娯楽の少ない村だ。今までならば、一歩間違えば村を捨てなくてはならないかもしれない災害も、魔術師のいる現在は、心踊らせる出来事のひとつになっていた。
何しろ、魔術師――ジンの魔術は、それはそれは見事なのだ。
ジンは危なげなくすいすいと積まれた土嚢を登り、堤防の縁に立った。ジンの片手が川の方に差し出され、遠目にも淡く発光したのがわかった。ユーナさんいわく、ジンは魔法陣を手の甲に刻み、呪文や詠唱の代わりにしているそうだ。
光はますます強まり、やがてジンの姿を飲み込んだ。まるで、堤防に少し早い日の出がおとずれたかのように、まぶしい。
まばゆい光は一瞬点滅したあと、辺りに霧散した。キラキラと光の粉になって漂う残滓は蛍のようで目を奪われる美しさだった。
しかし、堤防に集まった人々の視線は、ジンに――ただしくは、ジンとその前に現れた精霊に吸い寄せられた。
ジンの呼び出した精霊は二体。どちらも神々しい光を帯びており、人の姿をしているが人ではないのがわかった。
ひとつは、水でかたちづくられた女性の精霊。村では、ひょっとすると国でも目にすることがないほどの絶世の美女だが、不機嫌そうだ。
もうひとつは、巌のようないかめしい顔つきに土色の髭をたっぷりと蓄えた老人の精霊。厳しそうな外見とは裏腹に、こちらは愉快そうに目を細めている。
「ウンディーネ、ノーム、この川の氾濫を鎮めて、堤防を強化してくれ」
「構わんよ」
鷹揚に頷いたノームとはうってかわって、ウンディーネはそっぽを向いた。
「たかがそれしきの些事で、水の精霊王たるわらわを使おうなど、片腹痛い。そこらの低級の精霊で十分であろう」
精霊王にかかれば、村の一大事も些事ですむらしい。いたく気位の高い水の精霊王の矜持を傷つけ、へそを曲げられ、さてジンはどうするのか。
興味深くジンの背中を見ていると、風にのってジンの返答が聞こえてきた。
「ユーナがきちんとなおせと言ったからな。お前たちなら確実だ」
……聞こえなかった方がよかった。一気に脱力する俺の横で、村長さんが魔術師さんってぶれないよねえと苦笑した。
ジンの答えにウンディーネは目を丸くし唇をぱくぱくと開閉させたあと、結局何も言わずに額に手を当てた。その隣でノームは好々爺然として呵々と笑っている。
「ほほ、相も変わらず夫婦円満で何より何より」
「おぬしの嫁馬鹿にはほとほと呆れるわ」
「それで、やるのかウンディーネ?」
精霊王にあくまで用件を確認するジンに、ウンディーネは疲れたように首肯した。
「良いだろう。契約は契約であるからの」
ため息をつきつつ、ウンディーネは片手を空に向かってつきだした。次の瞬間、轟音をたてて荒れ狂う水が束になって空に舞う。ウンディーネが水を引き上げている間に、ノームは腕を左右に軽くふった。バリバリバリ、とこれまたすさまじい音がして、めくれあがった川底の土が積まれた土嚢に貼り付き、瞬く間に立派な土の壁となる。深くなった川と強固に固められた堤防に、ウンディーネが緩やかに水を注いだ。川は流れを取り戻し、水量が増えるに連れて速さも増したが、もう堤防は揺れひとつなかった。
やんややんやと見学していた村の衆から拍手が上がる。
それに精霊たちはまんざらでもない顔をしていたが、告げる言葉は厳しかった。
「我等は人間よりははるかに自然に働きかける力を持っておるが、万能ではない。まして、契約していない人間に力をかすことはない。人間、己らは自然をつくりかえて生活しておるが、あくまでそれは自然に恩恵を与えられているに過ぎないことを忘れるな。自然は傲慢さへの報いに容赦はせぬぞ」
村の衆はあるいは真剣に、あるいは神妙に頷いた。それを見届けて、精霊たちはジンの方を向いた。
――が、先ほどまでジンが立っていたところに人影はなかった。
束の間、精霊と人の間に沈黙が落ちる。
「え、嘘、魔術師さん!?」
「まさか、流された!?」
あたふたとし始める村の衆を手で制し、ノームは大地に手を触れた。土の精霊王であるノームは、大地に住まう眷属の精霊を介し、大地に立つもの全ての場所を知ることができるそうだ。ほどなくして、ノームはふむふむと何度か頷き、立ち上がった。
「あやつ、奥方の元に向かっておった」
「あの色ボケ大たわけが!精霊を召喚しておきながら、放り出して行く奴があるか!」
激昂するウンディーネに村の衆はおろおろしつつも生暖かい視線を向けた。ノームは怒りのあまり今にも嵐を起こしそうなウンディーネをなだめ、しごく真面目くさった顔になって言った。
「まあまあウンディーネ、あやつの奇行は今に始まったことではなかろう?召喚呪文が奥方の名前であった頃よりはましじゃ」
そんなことしてたのかあの魔術師……。
呆れてものがいえない、を言葉通り実感している村の衆をふりかえって、ノームは片手を上げた。
「ではの、人間たち。次に会う場はこのような場所でないことを祈る」
「は、はい!ありがとうございました!」
慌ててばらばらに頭を下げた村人たちに頷いて、精霊たちは消えた。
精霊が消えてしばらくして、堤防のまわりに流れ着いた流木などを片付けていた村の衆に声がかかった。
「お疲れさまです!差し入れです!」
声の方に顔を向けると、そこにはユーナさんをはじめ、村の女衆がそれぞれ手に篭を持ち、勢揃いしていた。その足元は雨が降っているにもかかわらず、あまり泥がついていないことから、ユーナさんの元にいったジンの転移魔術で村から一直線に来たのだろう。
男たちは作業を一旦中断し、女たちが配る手巾で手をふき、パイやサンドイッチを受け取った。
「ケルトくんも、お疲れさま」
ユーナさんが労いつつかぼちゃパイをくれた。その横にはもちろんジンがいる。
「魔術師、精霊王たちが怒ってたぞ。呼び立てておきながら放置する奴があるか!って」
「……やけに帰ってくるのが早いと思ったら、そういうこと」
呆れ顔でジンを見上げるユーナさんに、ジンは真顔で言った。
「あいつらの仕事は確実だから、俺がいちいち引っ付いて監督する必要はない 」
「それでも、精霊さまたちに払う最低限の礼儀ってものがあるでしょう?契約を破棄されたらどうするの?」
「その時は、俺だけで堤防を直せばいい」
さりげなく凄いことを言われた。あの精霊たちと同じような芸当ができるとは、魔術師ってやっぱり凄い。というかそれなら、最初から精霊を呼ばなくてもよかったんじゃないだろうか。
ユーナさんも俺と同じ感想を持ったらしく、ため息をついた。しかし、ユーナさんがいいかける前に、ジンが口を開いた。
「だが、俺だけでは精霊たちよりも時間がかかる。一秒でも早く、お前のそばに戻りたかった、ユーナ」
「ジン……」
そこでうっとりしちゃうんだ、というつっこみをのみこんで、俺は見つめあう夫婦からじりじりと離れてかぼちゃパイにかじりついた。そして、契約を結んだばかりに嫁馬鹿に付き合わされこき使われる精霊王たちに心底同情する。
ああでも、精霊王という偉い存在に同情するなんて、罰当たりだったかもしれない。
「魔術師さんは?……ああ、またやっているな」
俺がパイを食べおえるころ、村長さんが近寄ってきた。手には家からとってきたらしい野菜が詰められた篭を持っている。魔術師への謝礼のようだが、俺の背後を見て肩をすくめているあたり、あの夫婦はまだ二人の世界にいるようだ。うん、人前で堂々とあの嫁馬鹿を受け入れているところからして、改めてユーナさんもなかなかの旦那馬鹿だと実感する。本当、お似合いの夫婦だ。
突然女たちから、キャーという黄色い歓声が上がった。その視線をたどれば、ユーナさんがジンに抱き上げられていた。そしてまた唐突に、二人の姿がかき消える。
「あー……転移で帰っちゃったか……」
村長さんの困ったような呟きに、俺は身構えた。
「ケルト、悪いがこれ、魔術師さんの家に届けてくれるかい?」
予想通りの内容に、俺は嫌々ながら頷いた。少し時間をおいてから行こう、と魔術師の家へのお使い係を頼まれてから、真っ先に覚えた気遣いをしながら。
――うちの村の魔術師は、確かに優秀だ。
しかし、それよりもあの嫁馬鹿旦那馬鹿の方が、村中に知れわたっている。




