第九話 据え膳、美味とは限らず。
「お前たちの覚悟はよくわかった。」
髭を撫でながら、男が不服そうに言う。
「だが、実際に船旅に耐えられるかは別の話だ。そこでひとつ、お前たちを試したい。」
男は後ろで控えていた者たちに目配せすると、そのうちの一人が樽の中から白い棒状の何かを取り出した。
「良いか、これは脅しでも当てこすりでもなく、必要なことだ。だから、これを乗り越えられなければ、お前たちを新大陸に連れていくことはできない。」
その白い棒状のものは皿に乗せられ、ソフィアの目の前に置かれた。
「これを食え。」
ソフィアは置かれた塊を手に取り、まじまじと見る。
白い塊は乾パンだった。しかし、とうてい食べ物とは思えないほど固く、よくよく見れば、黒く小さな虫が数匹、うごめいていた。
この虫は穀物に湧く一般的な虫ではあるが、貴族、ましてや王族が口にするものに入っていることなど無い。
出入り口の近くに控えていたフレンダが様子を察して駆け寄り、ソフィアの手から塊を奪うと、わなわなと震えた。
「こんなものをソフィア様に食べろと言うのですか!!」
今にも男に飛び掛かりそうなフレンダを、ソフィアは手で制する。
「安心しろ。この虫を食って死んだやつはいない。腐った肉で死んだ奴ならいたがな。」
男は自嘲気味に笑う。
「海の上では、これでも食わないと飢えちまう。肉はあるが、塩にめいっぱい漬けて干してあるから多くは食えねぇ。」
その声色は、ただ事実を説明するだけの淡々としたものだった。
「お嬢さんじゃ固くて、齧れもしないだろうが、俺たちも鬼じゃない。スープぐらいなら用意してやる。見えている虫は取り除いて食っていい。
だが、虫が完全に取り除けることは無いと思え。」
別の男が、事前に用意していたであろうスープをテーブルに置く。おそらく、濃く塩に漬け乾燥させた干し肉を煮ただけの簡素なものだった。
「フレンダ、返してちょうだい。
……これを食べることができるなら、新大陸までの船を出していただけるのですね?」
男は腕を組んで答えた。
「それは約束しよう。ただし、これで食べたら二度と食べなくていいわけじゃねぇ。航海中の半分はこんなものを食うことになる。」
ソフィアは逆境に魅入られているとはいえ、温室育ちに変わりはない。
石のように固い乾パンを砕けるほどあごの力があるわけでもない。
何の抵抗もなく虫の湧いた食べ物を口に入れられるほどの精神力を持っているわけでもない。
見えている虫をはらいのけ、机に置かれたスープに乾パンを浸す。
水分を得た乾パンは噛めるほどにはやわらかくなっていたが、スープにはまだ虫が浮いていた。
ソフィアは匙に手をかけ、パンの一部を掬った。幸い、匙の上に虫が乗っているようには見えなかった。
一度口元に持ってきたものの、それを口に入れることができない。
2、3度呼吸をととのえ、目を固く閉じながら、匙を口に入れた。
ふやけてはいるが、石のように固いパンは噛み砕かれることを拒む。
やっとの思いで咀嚼することができたが、今度は呑み込むことができない。
固さの問題ではない。口の中に虫がいるかもしれないという意識が、嚥下を阻害するのだ。
しかし、そんな生理的反応とは真逆の感情がソフィアの奥底からあふれ出していた。
体は飲み込むことを拒否している。しかし、感情は飲み下したときの快楽を想起し精神を揺さぶっている。
二つの波がソフィアの心を激しく揺さぶり、体中を粟立たせた。
そして、感情はついに喉を抉じ開ける。
ゆっくりと、固形物が胃の中へ落ちていくのを感じる。
同時に、体中を快楽が駆け抜けていく。
自身の体と精神を乗り越えるという、これまでにない快感に、うまく体を支えることがでない。
両手をテーブルに着くことでようやく体を支えることができた。
手をついた衝撃でスープの入った皿が音を立てた。
従者たちも、男も、その後ろに立っている男たちも、ソフィアの様子を固唾をのんで見守っていた。
ソフィアの荒い息遣いだけが、妙に大きく聞こえた。
二口めからは早かった。虫が居る事も厭わず、パンを次々口に含んでいく。
相変わらず咀嚼には難儀しているようだったが、最初のようなためらいは一切感じなかった。
しかし、あと数口で完食というところでソフィアの匙が止まる。
急に動きが止まったソフィアに対し、男が少し心配そうに声をかける。
「おい、どうした?」
ソフィアは照れ臭そうに口を開いた。
「すみません、私には少し……量が多かったかもしれません。」
男と取り巻き達は一瞬ぽかんとし、誰かが噴き出したのを皮切りに豪快な笑い声が部屋中に木霊した。




