1:両親とマルラース
女神に並ぶ資格を持つ存在としての輪廻転生なら、本来はもう少し制御できるはずだ。少なくとも同じ自分として繰り返し生まれるとか、こんなふうに何もできない普通の人間の子供として生まれるものではないだろう。
たとえ知識や特別な力を持っていたとしても、この小さな体では使えない。
そのせいで我は..丸一日、ただ寝ているだけだった。
マルラースはベッドに一人で横になり、ぱちぱちと瞬きをした。
両親らしい二人の会話や、自分の目、そして体の感覚から判断して、どうやらまた男として生まれたらしい。
まあいい。男でも女でも目的には関係ない。我の力は肉体の強さに頼るものじゃないから、世界を滅ぼすのに支障はない。
マルラースは本能的な視線の動きに任せて周囲を見た。
部屋にはほとんど何もない。ざっと見る限り、少し古びているがそこそこ広い家だ。
悪い家ではないが、良いとも言えない。どうやら普通の家庭に生まれたようだ。良いか悪いかは分からないが、しばらくは才能のない人間として苦労しそうだ。それでも時間をかけて鍛えればいい。
体が整ったら、鬼へと変える儀式を行えば、元の力に戻るのもそう難しくない。
今から二十年...いや、十五年もあれば十分だろう。
その前に準備は必要だ。
勇者が我の輪廻を知っているかどうかも気になる。
理屈で言えば知っているはずだ。なら新しい勇者―女神に送り出された存在への対策も考えないといけない。
まあ、それは今の世界の状況を知ってからでいい。まずは自分の体を自由に動かせるようにならないとな。
「....」
それにしても、こんな小さい子供を一人で寝かせておくとは、大胆というか間抜けな親だな。もし死んだら無駄な手間になるだろうに。
ため息をつきたくてもできない。体は命令に従わず、ただ赤ん坊の本能のままにしか動かない。
人の人生は五、六歳頃から始まる、という説もある。
多くの人はその頃から記憶を持ち始め、それ以前の記憶はほとんどない。まるで動物のように生きていたかのように。
でも転生者の場合は違う。
ああ、なかなか辛いな。歩けるようになれば、この感覚も少しはどうにかできそうなのに。
あと何年かかるんだ?
マルラースは人間についてあまり経験がない。どの種族の人間も同じだ。本で得た知識しかなく、普通の人間が経験する世界を実際に生きたことはない。
一歳ちょっと、くらいか?
それって何秒あるんだ、そこまで行くのに。
もし体を自由に動かせたなら、きっと目を閉じて大きくため息をつき、魂の抜けた笑みを浮かべていただろう。
運命ってやつは、本当にいい冗談を言う。
バン! と扉が開き、男女二人が同時に入ってきた。
「ただいまー!!「マリン」!!」
「「マリン」、パパ帰ったぞー!!」
しかも親はやたらうるさい―ちなみに大魔王マルラースは、今世では「マリン」という名前らしい。しかも男なのに可愛い名前だ。
@@@@
時間は嘘みたいな速さで過ぎていった。
気づけばマルラースは十歳になっていて、家を抜け出し、自分を鍛え、知識を集め、再び鬼となって力を取り戻し、もう一度世界を闇に沈める準備をしていた。
準備も残りわずか。そろそろ再び暴れ出す時が近い―
...。
....。
と思ったら大間違いだ。
「おぎゃああああ」
「ははは、あなたもうやめなさいよ。遊びすぎるとマリンが嫌がるわよ」
「えー?そんなことないって」
「あるわよ。ほら、今のマリンの顔見てみなさいよ」
我は全力で不機嫌そうな顔を作ったが、前世からのポーカーフェイスのせいか、この二人にはまったく伝わっていないらしい。
「めちゃくちゃ笑ってるじゃないか!!」
そう言って父はマルラース―いや、マリンを抱きしめた。
正直、息ができない。
望んだ十年どころか、まだたった一か月しか経っていない。
毎日が地獄みたいなものだ。
両親の子育ては手探りで、正しい知識もない。
ある日はこんな小さな子供を何時間も放置するし、ある日は加減も知らず抱きしめてくる。鬼だった頃に読んだ本の知識から断言できる―この二人は辞書的な意味での「良い親」ではない。
とはいえ、我自身は特別な感情はない。
ただ時々心の中で思うだけだ。「息ができない」とか、 「そんな強く抱くな」とか、それから...「ちょっと臭うな、せめて風呂入ってから近づいてくれ」とか。+
聖剣を素手で受け止めたり、強敵と戦ったりするのに比べれば些細なことだ。
だが...この地獄はいつ終わるんだろうな。
何も抵抗できない精神的な苦痛ってやつは、なかなかだ。
マリンはそう考えながら、母の胸から栄養をちゅうちゅう吸っていた。
「あっ、あなた見ないでよ!!」
母は壁に張りついて胸元を覗いていた父を怒鳴った。母も慌てて体を動かして隠そうとしたせいで、硬い胸が平らがマリンに思いきりぶつかり、ミルクを飲んでいたマリンはむせた。
「あっ、や、やばいぞあなた!!」
「“マ、マリン大丈夫!?」
...人間って、なかなか大変だな。
マリンはこの一撃で気絶した。
@@@@
最初の一か月をなんとか乗り切ってから、時間は少しだけ早く進むように感じた。
はっきり言えば、もう六か月が過ぎている。
ただ寝ているだけだった頃と違い、マリンは少しだけ床を這って動けるようになった。
もっとも、生まれつきの体力があまりに乏しいせいで、できることはかなり限られている。
鬼だった頃なら、生まれたその日から歩くか走るかできていたはずなのに―そんなことを考えながら、彼は家の中を這って探索していた。
特に意味のある行動ではない。家の様子はだいたい把握している。ただ新しい体に少しでも慣れようとしているだけだ。
そう思いながら、くるっと一回転した。
「あっ」
母が家の扉を開けて入ってきて、床で犬みたいに転がるマリンを見つけた。
「...きゃっ」
彼女は小さく悲鳴を上げた。
「きゃあああ!!」
その直後、今度は耳が壊れそうな大声で叫び、さらにマリンを高々と抱き上げて、ぐるぐる回り始めた。
あっ、なんか..めちゃくちゃ気持ち悪い ー
―運がいいのか悪いのか、あまり子供に構わない家庭に生まれたおかげで、移動の自由はそれなりにある。
こっそり這い回っていても、見つかれば寝かされて軽く注意されるくらいで終わる。
とはいえ、大きな欠点もある。
「きゃー!かわいいー!子犬みたいに転がってるー、んもう!」
力いっぱい抱きしめられるだけでなく、顔に何度もキスされて息ができない。
「..おえっ」
「えっ!?」
我、自分が無事に大きくなれるのか、まったく自信がない。
「ま、マリンー!」
―もう少し赤ん坊の扱いを丁寧にしてくれ、といつも心の中で祈っている。
前世で鬼だった我ですら、赤ん坊に触る時は乱暴にしないって分かってたんだから、頼むよ、マリア。
ちなみにマリンの母の名は「マリア」。
小柄で濃い蜂蜜色の肌をした、整った顔立ちの少女で、まだ十七歳だ。詳しくは知らないが、朝早くに仕事へ行き、我が目覚める頃に帰ってくるらしい。
応急的な世話のあと、マリンは危険な状態を脱してベッドに寝かされ、その横でマリアが眠っていた。
自分の子供が寝る前に先に寝るとは。
それに、子供が動いて踏まれる可能性も気にせず隣でぐっすりだ。仕事で疲れているのは分かるが...本当に頼りない母親だな。
「…ごめんね…マリン」
マリアは涙をにじませながら、ぽつりとつぶやいた。
...はあ。
人間の子供への愛情って、遺伝子的なものなんだろうな。頼りなくても、子供を愛するのは人間としての役目みたいなものか、そういうことか。
マリンは日々積み重なる疲労で目を閉じた。だが―
バン!! と家の扉が開き、特徴的な叫び声が響いた。
「ただいまー!! マリン!! マリア!!!」
くっ、寝かせろよ。
マリンは仕方なく目を開けた。
父はまた大きな音を立てて扉を閉め、一直線にベッドまで走ってきて、指をいじりながらしょんぼり顔をした。
「ありゃ、マリア寝ちゃったのかぁ ..マックス寂しいなぁ」
マリンの父の名前は「マックス」。
マリアと同年代で、背が高く肩幅も広い、筋肉質で日焼けした肌の男だ。
年齢の割に濃いひげがあり、しかも自分のことを「マックス」と呼ぶ甘え癖がある。
例えば「マックスお腹すいたぁ」とか。
彼は一日十六時間以上働くことが多く、普段はあまり顔を見ない。だが顔を見た日は、大抵ろくなことが起きない。マリンが転生してからずっとそうだ。
今日はタンクトップと長ズボン姿で、汗びっしょりだった。
建設現場のような肉体労働の匂いと、本人の体臭が混ざって強烈だ。
マックスは少し面倒そうに頭をかいた。その瞬間、持ち上げた脇から圧のある臭いが噴き出す。
匂いに慣れているはずの妻でさえ鼻をひくつかせ、何も言わず寝返りを打った。
ほんと、先に寝ててよかったなマリア。
「まあいいや、マリンはまだ起きてるしな」
ヤバい状態だ。
問題はこっちみたいだ。
マリンは必死に寝返りを打って逃げようとしたが、父に体を戻され、顔をぐっと近づけられた。
「ほらおいで」
うわ、臭い。臭いって。こっち向くな。風呂入ってくれ、マジで臭い。頼む、ほんと臭い。
「いい子のご褒美ちょうだいなー、ちゅっちゅっちゅ!」
ちょ、タイムアウト―まるで勇者に倒された時の黒い世界が再びよみがえったかのように、マリンの視界が一瞬真っ暗になった。
@@@@
それから少し時間が経った。
ちょうど一歳になった我は、灯しっぱなしだったランプが消えてしまった暗い部屋の中で座っていた。
そして、ほぼ大人に近い年頃の若い男女二人に囲まれ、ぐるぐると周りを歩き回られている。二人ともなぜか黒いサングラスをかけていた。
マリアは片手にたいまつを持っている。そう、聞き間違いじゃない。たいまつだ。しかももう片方の手にも、またたいまつ。
マックスは両手で一メートルはありそうな巨大ケーキを抱えていた。
「イェイイェイ、イェイイェイ」
「ハッピーバースデートゥーユー♪」
「ジョッジョッジョッジョッ」
「ハッピーバースデートゥー、かわかわ可愛いマリン〜♪」
分かっている。分からないわけじゃない。人間というのは、生まれてから一年ごとに子どもの誕生日を祝う習慣がある。
だが疑問がある。
なぜケーキなんだ? 一歳児がケーキなんて食べていいのか? 仮に食べられたとしても、あまり良いこととは思えない。
それに、我が子どもじゃなかったとしても、三人で食べるには量が多すぎる。
それより問題は、あのたいまつだ。我の知識の大半は本からだが、それでも暗い室内の照明や祝い事にたいまつを使うなんて普通じゃないと分かる。
この常識外れの夫婦は、いつも想像の斜め上を行く。
自分の誕生日だというのに気分はどん底の我とは対照的に、マリアとマックスは上機嫌で歩き回り続けていた。そして―
「ハッピ――へぶっ」
マリアが自分の足につまずき、顔面から床に突っ込んだ。
「..あ、やべ」
マックスが頭を抱えて言う。
問題はそこからだった。
たいまつが二本とも床に落ち、火が一気に燃え広がったのだ。
「た、た、た、たいへん!! あなた!!」
張本人のマリアは涙目でマックスを見上げる。
この女、ほんとによくドジるな。
そもそもなんでたいまつなんか持たせたんだ。しかもこの女にたいまつを持って任せるとか誰のアイデアだろう。
青ざめたマックスは、驚いた拍子に巨大ケーキまで床に落としてしまった。
「ま、マリア! まずマリンを外に出してくれ!」
「う、うんっ!」
マリアは我を抱き上げ、そのまま走り出した。
相変わらず子どもへの配慮ゼロの力加減だ..痛い。
「うおおおおおおおおおっ!!」
マックスは暴れ狂う炎に必死で立ち向かっている。
我はただ目を閉じ、起きてしまった運命を受け入れるしかなかった。
@@@@
それから消火作業は数時間にも及び、ようやく事態が落ち着いたころには早朝を迎えていた。
火を消すだけでは終わらず、マックスとマリアは巡回警備の警官や、怒鳴り込んできた近所の人たちへの対応にも追われ、二人そろって泣きながら頭を下げ続けていた。
その様子を、我は少し楽しみながら眺めていた。
ふっ..ふっふっ...。
これがいわゆる復讐ってやつか。
勇者も、我を討ち取ったときはこんな気分だったのだろうか。
もしそうなら、さぞ気持ちよかっただろうな、あの勇者は。
まだ涙目のマリアと顔面蒼白のマックスに手を引かれ、我は家へ戻った。
家の中央には、あの火事のせいでぽっかり穴が開いている。もちろん原因は、この脳天気夫婦だ。
「たいまつは、あんまり良いアイデアじゃなかったみたいだね」
「うぅ..ごめんなさい、あなた。私のアイデア、ほんとダメだったね」
やっぱりマリアの発案か。
マックスはマリアの頭を撫で、やさしく微笑んだ。
「マリア、君とマリンが無事ならそれでいいさ」
「あなたぁぁ..!」
マリアは涙のままマックスに抱きついた。
互いを責めることもなく慰め合う二人―その絆は、案外簡単には壊れないのかもしれない。
まあ、どうでもいい。
我はそろそろ眠いんだ。早くベッドに連れていってくれ。
そう心の中で思いながら、我は耳をほじった。
しばらくして落ち着いたマリアが、少し緊張した様子で我を見つめてきた。
まだ目に涙が浮かんでいる。ほんと、泣き虫な母親だ。
「ママね、あんまりちゃんとした母親じゃなくてごめんね、マリン」
それについては、否定はしない。
マリアは革のショルダーバッグから何かを取り出し、我の前にしゃがみ込んだ。
「..それでもね。お誕生日おめでとうしたいです、マリン」
そう言って差し出してきたのは、一冊の絵本だった。
表紙には剣を持った男と、巨大な鬼のような存在が描かれている。
「ママとパパね、マーリンはきっと賢い子になると思うの」
「生まれてからほとんどパパやママを求めて泣いたことないし。泣くのはマリアに抱きしめられた時くらいかな」
「もう、あなた。あなたもよく泣かせてるじゃない」
「はははは」
マリアは大きく息を吐き、それから俺に微笑みかけた。
「賢い子にはやっぱり本でしょ! ママとパパでお金を出し合って買ったの。かわいいパパとママからのプレゼントだと思ってね!」
どんなに生まれつき賢くても、一歳児が本を読むのは普通無理だぞ、マリア。
まあ我は例外だけどな。
我が手を伸ばすと、マリアは絵本を渡してくれた。だが重さは一歳児には少々きつく、結局抱きかかえるようにして持つ羽目になった。
「きゃー見てあなた、本を抱いてる! かわいい〜!」
「さすがマリアの子だな。男の子じゃなければ将来美人だったかもな」
「関係ある? 男の子でもきれいな顔にはなるわよ!」
その因果関係はさっぱり分からんが、まあいい。
この一年、こいつらには何度もイラつかされたが―この誕生日プレゼントだけは、悪くない。
我は本が好きだ。
読むことも、そこに刻まれた物語や、作者の気配を感じることも好きだった。
最後に本を読んだのはいつだったか..世界を滅ぼし始めてからというもの、我の行く先は常に闇に呑まれ、文明も、本も、何もかも届かなくなった。
だからこれは―数百年ぶりに手にする本だ。
「...」
礼を言うべきだろうか。
かつて、いつも本をくれたあの優しい女神に言っていたように。
そう考えた直後、突然マリアとマックスが同時に我へ抱きついてきた。
マリアの怪力とマックスの体臭のダブルパンチで、我の意識は一瞬で吹き飛びかける。
その結果―
我が両親に向けて初めて発した言葉は、
「や..やめて、近づかないで!」
「ええっ、マーリン!?」
「マリンひどいよぉぉ!」
そんなことを言われても、この非常識コンビは満面の笑みのまま、我をぎゅうぎゅう抱きしめ続けるのだった。




