六ノ巻 備えあれば患い無し
二階のエレベーターホールから、弓子の帰っていく後ろ姿を見送る雪子の隣に、男が近づいて来た。
「また一人、仲間に加えたのですね?」
「そうよ。チカラのある者は大歓迎なの。あなたにも期待しているのよ。」
雪子がそう言うと、男は快活に笑った。
「また、またあ。僕はちょっと先が見えるだけの普通の男ですよ?」
「IQ200のね。」
「まあ、それは日ごろの地道な努力の賜物ってことで。」
「ウソおっしゃい。私はあなたほどの頭のキレる人間を、他に知らないわ。」
「なら、そういうことにしておきましょうか。」
「あなたも今日はもう帰るの?」
「はい。ここで与えられたテーマも面白いし、ラボも気に入っているんですが、そろそろ自分の研究も進めたくってね。」
「確か火星で育てる野菜の研究だっけ?」
「地球の衛星軌道上でも、月でもやりますよ。」
「面白そうよね。」
「それができれば、地球上のどこでも地産地消です。」
「一部のお金持ちは、反対しそうね?」
「それは…雪子さんがなんとかしてくれるんでしょう?」
「…まかせて。月に代わってお仕置きよ?」
「何ですか、ソレは?」
「ああ、ごめん、ごめん。このセリフには、まだ5年早かったわ。」
こんな他愛も無いやり取りをした後、その男も帰って行った。
男の名は杉浦鷹志。
雪子のかつての同級生で、もと神童。今は本人曰く、趣味に生きる天才。
この研究所の副所長を務める、名実ともに雪子の右腕である。
そして、既得権益を有する者たちと戦う、雪子の戦友なのである。
彼の趣味には、雪子もかなり先行投資している。
雪子は、なんだかんだ言っても、彼のことを買っているのである。
「さてと…。」
雪子は地下二階に戻り、弓子が来る前からやっていた作業に戻った。
せっかく偶然手に入れた、この別時間軸で活動可能な物理的なボディ。
データを残しておかなくては。
偶然手に入った物は、また偶然消えて無くなってしまうかもしれないから。
血液やその他のサンプルを取り、自分のクローンを作っておこう。
言わば、魂の入れ物のスペアだ。
…そんなふうに雪子は考えていた。
因みに、庵野秀明カントクによる「新世紀エヴァンゲリオン」のテレビ放送は、それから8年後のことである。