一ノ巻 雨の日に
その日は朝から雨が降っていた。
その女は、黒いワンピースを着て黒い傘を差していた。
しかし髪だけは少し茶色く、ゆったりしたウェーブのショートカットだった。
場所は郊外の路地裏。
4月に民営化されたばかりのJRも、最寄りの駅では急行が停まらない街だ。
ここは「昭和」の時間軸。
彼女の名は酒井弓子。年齢は23歳になっていた。
駅前からずっと跡をつけられているのは、見なくても気配で分かっていた。
まずいことに、この路地に入ったら、前からも良くない者がやって来る。
挟み撃ちか。でも大丈夫。いつものようにやればいいだけだ。
「私に何か御用かしら?」
弓子は振り返ってまず後ろの男に声をかけ、次いで前の男にも目をやった。
どちらも黙りこくっている。
どうやら友好的ではないようだ。
弓子は小さくため息をついた。
以前、変な男を助けてからずっとこう。
まったく、良かれと思って人助けするのも考えモノね。
そんなことを考えていると、前後の男たちは共に右手にサバイバルナイフを構えて、ジリジリと彼女に詰め寄って来る。
もう少しかな?彼女が思った次の瞬間、ナイフを低く構えたまま、彼女に向かって二人が走って来た。
弓子は、とっさに開いた傘の中に身を隠す。
構わず男たちは、その上からナイフを突き刺した。
しかし、そこには誰も居ない。
「ここよ。」
二人の頭上から弓子が声をかける。
二人は手元に自分たちのナイフがないことに気がつくが、手遅れである。
空中に浮かんだまま、弓子は彼らのナイフを下に向けて飛ばした。
…もちろん、例のチカラを使ったのである。
ナイフは男たちのそれぞれの右手の甲に正確に突き刺さった。
「まだ。やりたい?」
空中から弓子が問う。
「……!?」
二人はうめき声も上げずに、それぞれ別の方向へ逃げ去った。
それを見届けた後、ゆっくりと弓子は地上に戻った。
「あ~あ、お気に入りの傘だったのに。でも雪子さんから、チカラの使い方を学んでおいて良かった。」
「この間、電車のホームで、突き落とされかけたのを助けてあげた男、その筋では、よっぽど生きてちゃいけない人だったみたいね。」
弓子は、前もって「半径20m以内の悪意」が分かるとはいえ、こんなことが度々あるのは面倒だなと思い始めていた。
「コレ、雪子さんに相談してもイイ案件よね。?」
そんな独り言を言いながら、雪子から緊急用に渡されていた連絡デバイスを、ポケットから取り出す弓子であった。