第6話 宿屋の女神
時刻は夜の七時過ぎ。食事を済ませた俺はベッドに寝転んだ。
食後すぐにこんな体勢になるのは体に良くないんだろうなぁ。どう考えても消化に悪そうだ。ただ、時間というものは有限である。俺は寝るまでの貴重な数時間をTAOの世界で過ごすと決めているのだ。
ヘルメット型VRデバイスを頭に装着して、TAOにログインする。
(あぁ、そうだった。昨日はスライムにやられてしまったんだっけ)
昨晩、最弱モンスターであるスライムにやられて死んでしまった俺は、TAOの仕様により強制的にログアウトされた。一度ログアウトしてしまうと、次のログイン時は最後に立ち寄った宿屋のベッドからリスタートすることになっている。俺はファイゼンの街の宿屋に寝かされていた。
ベッドから起き上がる。普段ならばこうすると自動的に装備が装着されるのだが、今回は何も起こらなかった。薄っぺらいシャツとトランクス。そんな最低限のインナーしか身に付けていない姿のままだった。
ともかく現状の確認をしてみよう。俺は自分のステータス画面を開いた。
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プレイヤー:リン
レベル:1
次のレベルまで:──
能力値
HP:10/10
MP:100/100
筋力:1
知力:1
耐久:1
器用:1
敏捷:1
スキル
・だいじなものコピー スキルレベル:1
装備
武器:なし
頭:なし
体上:なし
体下:なし
足:なし
アクセサリー:なし
セット効果:なし
所持金:3281ジオル
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うーん、これはひどい。
やはりレベルは1に戻っていた。そして次のレベルまで必要な経験値は横線が引かれている。本当にレベルが上がらなくなってしまったようだ。能力値の方は筋力や敏捷といったステータスが軒並み最低値になってしまっている。
……どこかで見覚えのある光景だと思った。最初にこのゲームを始めた時。確かその時もこんな風に能力値には1が並んでいたはずだ。最低値というか初期値というか。これではスライムに後れを取るわけだ。
次に俺は装備の方を確認した。
武器、頭装備、体上装備、体下装備、足装備、アクセサリー。すべてが未装備になっていた。今までメインに使っていた鉄シリーズ装備は、そのどれもが制限レベル8以上。レベル1の俺では装備することができないため強制的に外されてしまったのだ。
ちなみに、もう一度装備しようとしてもダメだった。制限レベルを満たしていない状態では装備することさえできないのだ。
そんなわけで。俺は今シャツ&パンツな初期インナー姿になっている。ベッド以外では装備を身に着けているのが常だったので、この姿を見るのもゲーム開始時以来だ。
VRゲームというのは単にアバターを動かしているわけではない。自分自身がゲームの主人公になるわけだ。つまり自分が下着姿になっているのである。……これは恥ずかしい。
こんなことなら服の一つでも持っていればよかった。服の場合、装備と違って制限レベルというものが設定されていない。レベルがいくら低かろうと着ることができるはずなのである。
ただ、装備できるものが一つもない以上。この姿で外に出るしかない。俺は非常に落ち着かない気分で部屋の扉を開け、宿屋の一階へと階段を降りていった。
「おはようございます、リンさん。昨晩はよく眠れましたか? あら……?」
俺が宿屋の一階に降りると、いつも声をかけてくれる女性NPC(ノンプレイヤーキャラクター)から話しかけられた。名前をメルンさんと言う。
なぜ、わざわざ「さん」付けをしているかというと、毎日のように会っているからだ。ログイン、ログアウトする時はもちろんのこと、戦闘で減ってしまった体力を回復する時にも宿屋に来ることになるため、頻繁に顔を合わせることになる。
ゲームのNPCとは思えないほど表情がコロコロ変わり、傷ついた冒険者を優しく迎えてくれる。愛着を持ってしまうのもしかたがないことではなかろうか。いや、まぁ、単純に美人だっていうのもあるけど。TAOプレイヤーの誰もがお世話になる宿屋の主、いや女神である。
そんな彼女だが、今日はいつもと違う調子の声になっていた。彼女だけはない。宿屋の一階は酒場が併設されているのだが、そこにいる他のプレイヤーもどこかざわざわとしており、こちらの方を見ている気がする。
……その理由は自分でもわかっていた。今の俺は装備を付けていないため最初に設定したアバターのままだ。つまり最低限のインナー装備しか身に付けていない裸装備。
TAOにはそういうプレイスタイルの人がいないこともない。いわゆる縛りプレイを己に課しているストイックなプレイヤーたちだ。もしくは変態的な嗜好を持っているプレイヤー。
TAO的には下着姿で歩き回る行為は禁止されてはいない。「なんでもあり」を謳っているため自由な格好をしていてもいいというのは事実だ。ただ、それでも白い目で見られることは間違いない。ある程度の公序良俗はプレイヤー同士の間で求められているのが現実だった。
「あの、服も装備も着ないでどうされたんですか? 最近着けていらっしゃった鉄の鎧は?」
驚くべきことに。俺がつい昨日まで装備していたものをメルンさんは把握していた。顧客というか、プレイヤー一人一人の身なりまで目を配らせそれを憶えている。まるで熟練のサービスマンだ。メルンさんに限ったことではないが、どんな会話プログラムを積めばこんなNPCが出来上がるんだか。
「えっと、その。実は事情があって装備できなくなりまして」
「まぁ……」
口に手を当てて驚いた様子のメルンさん。彼女に上から下まで見られると非常に恥ずかしい。なんだったら他のプレイヤーに見られるよりも恥ずかしい。一か月、毎日顔を合わせていた間だからこそ、そんな風に思ってしまった。
「それでしたら、アイテムの『だいじなもの』を開いてみるといいですよ。チュートリアルで獲得された初心者装備というものが入っているはずです」
NPCらしく、プレイヤーのメタ的なヘルプに答えてくれたメルンさん。その言葉を聞いて俺は思い出した。
(あぁ、そういえばあったな。初心者装備)
他の装備と違って、この装備だけは取引も売却も不可。チュートリアル突破の記念アイテムのような扱いになっており、「装備」ではなく、なぜか「だいじなもの」のアイテム欄に入っていた。
たしか能力値の低さからすぐに店売りの装備に付け替えてしまった気がする。それ以降一度も装備していなかったので、すっかりその存在を忘れていた。攻撃力も防御力も低いが、今の裸装備よりは随分マシだろう。
「ありがとうございますメルンさん。……部屋で着替えてきます」
「それがよろしいかと。そのままの姿ですと少しばかり目の毒……ごほんっ。他の方々の注意を引いてしまわれるので」
「えぇ、そうですよね。お見苦しいものをお見せしました……」
俺は宿屋の二階に向かう階段を、恥ずかしさで居たたまれない気持ちで上がって行った。
その様子をメルンさんがじっと目で追っていたことに。俺は全く気付かなかった。
部屋に戻った俺はアイテムウインドウを開き、「だいじなもの」を表示させた。
「ええと、マップ、図鑑……あった!」
メルンさんに教えてもらった通り。だいじなものアイテムの中には、最初から所持しているマップと図鑑に加え、チュートリアルで獲得した初心者装備が一通り揃っていた。
初心者の剣、初心者の帽子、初心者のシャツ、初心者のズボン、初心者の靴。懐かしい装備たちだ。アクセサリーだけは初心者シリーズがないので空欄になってしまうが、今はなくても問題ないだろう。
俺が初心者装備五つを装備すると、下着姿から簡素な衣服へと変わった。防御力は微々たるものだが、見た目が裸装備とは雲泥の差だ。初心者丸出しの格好ではあるが、やっと外を出歩ける格好になれた。
装備し終わるとシステムメッセージが表示された。
[初心者セット効果:経験値追加10%(レベル5まで)]
あったなぁ、セット効果。同系統の装備で全身を揃えると何らかの追加効果が得られるというシステムである。鉄装備の時も防御が上がるボーナスが付いていたはずだ。
初心者装備は経験値が増える効果。序盤はお世話になったけど、残念ながら今の俺には何のメリットもない。なんせ、レベルアップしないんだから。
宿屋は一階部分が酒場になっており、二階が寝室となっています。
メルンさんは大抵の場合一階の方にいて、酒場を切り盛りしながら宿屋の受付もしてくれる感じです。
おはようからおやすみまで見守ってくれる、プレイヤー間で非常に人気が高いNPCです。