8 揺れるギルド、伸びる影 (挿絵あり)
依頼完了の報告は、午後のギルドホールで行われた。
数件のゴブリン掃討を成功させたことで、ギルド内はささやかな安堵と賑わいに包まれていた。
だが、その空気は、彼女の足音とともに変わっていく。
ズゥン…… ズゥン……
ギルドの床が、微かに唸った。
リアーネがゆっくりと歩み入るたび、板張りの床がきしみ、天井の梁がわずかに震える。
彼女のブーツがギルドの石床に着地するごとに、小さな衝撃波が伝わった。
受付で報告を済ませ、カイが書類を提出している横で、リアーネは静かに立っていた。
その時――彼女はふと、体に微かな違和感を覚えた。
「……また、来るかも」
カイがちらりと彼女を見上げた。
「成長?」
「ええ。予感だけど、そんな感じがするの」
彼女は姿勢を正し、何事もなかったように静かに立ち続けた。
だが、突然――彼女の体に異変が起こった。
ミシ……
ギルドホールの床が、かすかに沈む音。 リアーネの足元にあった木の床が、ぎし、と歪んだ。本人は気づいていないように見えたが、背筋がわずかに伸びる。…いや、伸びたのではない。伸び“始めた”のだ。
「……え?」 カイが、思わず見上げた。
リアーネの肩の位置が、ほんの少し高くなっていた。彼の視線が、先ほどよりもリアーネの胸下にずれている。
10センチ。 明らかに、成長していた。
ズンッ
ホール全体に揺れが走る。水の入ったコップが揺れ、天井のランプがきらりと光を反射した。
周囲の冒険者たちが、戸惑いの声を上げる。
「……な、なに、今の……?」 「地震か? いや、でも……」
再び、ミシミシ……という音。 リアーネの腕、脚、腰、首――すべてが、ほんの少しずつ、長くなっていく。
また10センチ。身長6.2メートル。
それだけで、彼女の肩が手すりのすぐ下に迫り、立っているだけでギルドの2階構造が低く感じ始める。 その場にいた者たちは、言葉を失って彼女を見上げていた。
「ああ……また来たわね……」 リアーネが、ぽつりと呟く。
カイが驚いて声を上げる。
「これって、巨大化? ギルドの中で……!?」 「成長のタイミングは、制御できないの。体が、求めてるだけ」
その言葉とともに、また10センチ。6.3メートル。
ドン! 今度は床全体が震えた。遠くの書棚がかすかに揺れ、壁のランプが軋む。
誰かが椅子を引く音が聞こえた。それは逃げるための動きだった。 受付嬢レナが顔を青くしながら椅子から立ち上がる。
「こ……この建物、大丈夫……なの……?」
リアーネは静かに目を閉じた。 その場を動かず、ただ真っ直ぐに立ち続けていた。呼吸は一定、心拍も落ち着いている。だが、その体は確実に――10センチごとに、大きくなっていく。
6.4メートル。揺れ。6.5メートル。衝撃。6.6メートル――天井が近づく。
ギルドの2階通路にいた冒険者たちが、手すりを掴みながら後ずさった。 リアーネのベルトが、2階の床の高さに並ぶ。まるで彼女が建物そのものを内側から支配しているかのような圧迫感。
「で……でかい……でかすぎる……!」 「近寄るな!揺れが……っ!」
リアーネは、クールな表情をほんの少しだけ曇らせた。
「……ごめんなさい。怖がらせるつもりはないの」
6.7メートル。 腰の高さが机を越え、立っているだけで部屋が狭くなる。
天井に手を伸ばせば、今や容易く届く距離だった。
ズゥン…… そのたびに、地面が唸るような震えを起こす。
カイは、2階の通路から彼女を見ていた。 目線がすでにリアーネの肩ほどにしかない。 それでも彼は逃げなかった。皆が恐怖で距離を取るなか、彼だけは――ただ見つめていた。
「姉ちゃん。。。」
その言葉に、リアーネはふと彼を見た。 金髪がさらりと揺れる。大きくなっても、変わらない――いや、彼女の中で唯一変わらない“信頼の視線”だった。
6.8メートル。6.9メートル。
まわりの誰も、もはや近づけない。誰もが一歩下がり、壁際に寄っていた。
最後の10センチ。空気が止まる。 リアーネの体が、もう一段階大きくなる――
7.0メートル。
その瞬間、ズズンッ!!という重い衝撃がホール全体を走った。 水差しが倒れ、棚から本が落ち、壁がわずかにきしむ。だが、崩れはしない。
静けさが戻った。
リアーネは、そっと息を吐いた。 その姿は――威圧感を極めながらも、どこか寂しげで、美しかった。
誰も言葉を発せない中、カイがゆっくりと手すりの上から叫んだ。
「姉ちゃん!!大丈夫!?」
沈黙の中に、その言葉だけが響いた。
リアーネは、わずかに微笑んだ。 そして――その巨大な身体で、ほんの少しだけ背を屈めた。
「ありがとう、カイ」
その声は、地を揺るがさなかった。だが、確かに彼の胸を打った。