58 揺れる地、広がる背 (挿絵あり)
【草原:リアーネの巨大化直後】
大気が震え、地が波打つ音が止んだ。
重苦しい風が吹き抜け、森の一部は倒壊し、遠くの街にまでその余波は届いていた。
草原の中央、かつての静かな丘は削れ、リアーネがその場に静かに座っていた。
身長二十二メートル。風に金髪がなびくたび、近くの木々が揺れる。
両腕を膝に乗せて項垂れるその姿は、威容であると同時に、どこか哀しくも見えた。
「……まだ止まる気配がない。次があったら、きっと……」
低く響く呟きは風に溶け、誰の耳にも届かない。
リアーネは、成長のたびに起きた“痛みのない異変”を、分析していた。
その体が強くなっていくのに比例して、何か大切なものが手のひらから零れ落ちていくような――そんな予感が胸を締め付けていた。
【街:復興の始まり】
一方、街では――
かつて火に包まれた家々の間を、騎士団とギルドの面々が走り回っていた。
壊れた家の梁を運び出す者、崩れた塀を補強する者。子どもを背負い、瓦礫の下から物資を掘り出す者。
あちこちに、疲労と希望が混ざった光景が広がっていた。
ギルド受付のレナは、帳簿を持って飛び回りながら指示を出していた。
「炊き出しは中央広場に変更! あの空き家、避難所に転用して! フェイさん、怪我人は東区の広場へ誘導を!」
鳥足歩兵隊の面々も、全員無事だった。
ゾルドは子どもを背負い、リュカは壊れた家屋の中を静かに調査する。
マリナは張り裂けそうな笑顔で、元気づけの言葉をかけながら作業を続けていた。
「あたしたち、なんとか持ちこたえたんだ。だから、ここからは――笑っていこう!」
その一方で、Sランクのドーガとミレナは、砦から戻ってきたばかりの兵士と共に、負傷者の確認と街の構造評価を行っていた。
「……城壁は、次の一撃に耐えられないだろう。外郭の強化が急務だな」
【草原奥、湖畔】
太陽は天頂を過ぎ、空には風の筋がひとつ流れていた。
草原の奥、静かな湖のほとりに、水を湛えた鏡のような光景が広がっている。
かつては村人たちが水を汲み、家畜を連れてきた場所。
今はただ、ひとりの巨人が、沈黙のままそこにいた。
湖面の端、木々を薙ぎ倒すように座ったのは――身長二十二メートルの女戦士。
リアーネの肌は、返り血や煤、剥がれた肉片の跡で赤黒く染まっていた。
「……ひどいね。こんな姿、見られたら怖がられるだけだよ」
右手の指先を水に浸し、ゆっくりとこすり落とす。
汚れはぬるりと滑り、水面に黒い筋を描いて沈んでいく。
肘までを湖に差し入れた瞬間、水が大きく波打ち、
遠くの対岸まで届くような波が広がり、水鳥が一斉に飛び立った。
肩を丸めて、左腕を洗いながら彼女は思う。
この巨大な体は、戦場では道具になる。だが日常では、ただの“異物”に過ぎない。
傷ひとつない肌は、敵の血と破片で彩られ、人の営みとは遠く離れていく。
【カイ、接近】
そのとき――草むらを分ける音が聞こえた。
「……姉ちゃん!!」
振り返る。
視線を下げた先に、あの小さな剣士がいた。
カイは、泥のついたブーツのまま草をかき分けて、湖岸に立っていた。
見上げる彼の目には、夕陽を浴びて濡れた髪をかき上げる巨大な女戦士の姿が、
まるで神話の彫像のように映っていた。
「……汚れてたから、洗ってたの」
「……そっか。でも、街のみんな……リアーネに感謝してたよ」
リアーネは無言のまま手を止め、水を滴らせながらそっと膝を曲げ、カイの方へ体を傾ける。
わずかな身じろぎで、水面がざわめき、岸の草が倒れた。
【対話:試すように、しかし信じて】
「……どう思う? カイ。私、こんなに“化け物じみた”姿になってるけど」
リアーネが、一歩――草原へと足を踏み出す。
ズシィンッ、と地が鳴り、土煙が舞い上がる。
草が押し倒され、鳥が逃げる。
次の一歩で、地面の傾斜がわずかにずれ、倒木が転がった。
リアーネは唇の端をかすかに上げた。
挑むような目。けれど、その奥にほんの少しの不安が揺れていたのも、カイは見逃さなかった。
「歩けば地響き。踏み込めば森が崩れる。
私の手はもう、人を抱くには大きすぎるし、
街の門も、もうまともに通れない」
「それでも……君は、隣にいられるの?」
その問いは、試すように、冷たくすら響く。
だがリアーネの目は真っ直ぐだった。
カイは、ふっと息を吐いた。
「……姉ちゃん。姉ちゃんが“何になって”も、僕の隣にいるのは姉ちゃんだ。
姉ちゃんが誰より強くても、誰より巨大でも――
僕は、その背中の横に立ちたいんだよ」
リアーネは一瞬だけ目を細め、そして――
「……ふふ、よく言った」
片膝をつき、巨大な手のひらを差し出す。
先ほどまでの冷たい表情は消え、ほんの少しだけ、優しい風が戻っていた。
「……そっか。じゃあ、確かめて。私の“隣”が、どういう場所か」
カイはその手のひらに飛び乗る。
彼女の指は、確かに巨大だったが、何よりも暖かかった。
【草原を歩むふたり】
リアーネの手のひらに乗ったカイは、微かに揺れる指の節に身を預けながら、空を見上げた。
今や、彼女の顔は二階建ての屋根より高い位置にある。だがその表情は、以前と変わらない。
――冷静で、どこか試すようで、それでいて、どこまでも信じてくれている目だった。
「姉ちゃんの“隣”は、きっと風も強いし、地面も揺れる」
「そうだね。時々、空気が薄くなるかもしれない」
「でも、それでもいいよ。――ずっとそこにいたいから」
リアーネの唇がわずかに弧を描いた。
「……なら、ついてきて。私は、止まらないよ。
きっとまだ、“もっと大きくなる”から」
「うん。大きくなっても、姉ちゃんは僕の姉ちゃんだよ」
彼女は立ち上がる。草原が震え、風が巻き、足元の湖面がわずかにさざめく。
膝を伸ばすたびに、骨の音すら空気を震わせ、森の鳥が枝から飛び立った。
だが、恐怖ではない。
その背に乗る影は、リアーネの肩に手を置き、視線を前へ向けていた。
太陽は西へ傾き、草原にはふたつの長い影が伸びていた。
ひとつは空に届くほど大きく、ひとつは人の大きさで。
けれど、その距離は、ぴたりと並んでいた。




