53 南門への疾走、駆ける巨影
荒野には、まだ血と煙が残っていた。
砦を背に、リアーネは無言で立っていた。
両の拳を軽く握り、泥と血に汚れたブーツの裏に、いくつもの戦場の記憶が刻まれている。
だが、まだ終わりではなかった。
遥か南門の方角から、誰かの叫び声がかすかに風に乗って届いていた。
リアーネは、前を見た。
――そこに、まだ救われていない声がある。
次の瞬間、空気を切り裂くような音が鳴った。
彼女の巨体が、疾風のように走り出していた。
■ 踏み抜く、砕く、走る
「な、なんだこの音……!?」「地震か!? いや、ちが──ッ!」
砦の前で瓦礫を運んでいた兵士が、背後の風圧で尻もちをついた。
リアーネの走行が生む風が、砦の壁布を吹き上げ、乾いた地面を引き裂く。
遠巻きにいたホブゴブリンの一団が、それに気づいて槍を構えた。
が――意味はなかった。
彼女は減速しない。
わずかに右足を振り上げると、踵をそのまま地面に叩きつける。
突き上げた土と一緒に、槍と兵の上半身が弾け飛んだ。
左に滑り込むように旋回し、肩の一撃でオーク2体を薙ぎ払う。
飛ばされた魔物の巨体が木片の山に激突し、骨の砕ける音が響く。
飛びついてきた小型獣の魔物には、跳躍からの前蹴りを。
重力と体重を乗せた一撃が杭のように地面へ突き刺さり、地面が大きく陥没した。
「……邪魔」
短く言い捨て、彼女は再び走り出した。
■ 救出の瞬間
南門へ向かう途中――視界の隅で、炎に包まれた路地を駆ける人影が見えた。
避難中に迷い込んだ母子と、護衛の若い兵士だった。
その先で、斧を構えた大型オークが、今まさに振りかぶろうとしていた。
リアーネは走りながら腰を低く落とし、片手で瓦礫の塊を掴む。
そして、投げた。
砦の壁を砕く勢いで放たれた石が、オークの胴を抉った。
爆風のような破裂音と砂煙が一帯を覆い、母子が目を見開く。
リアーネは走りながら、片手を振った。
「もう大丈夫。後ろに下がって、走って」
振り返りざま、母親が何度も深く頷いた。
■ 跳躍、南門突破
黒煙の向こうに、ついに南門の瓦礫が見えた。
崩れた門の下では、冒険者と魔物が混戦していた。
リアーネは二歩、三歩と助走を取る。
地面が割れ、粉塵が舞い上がった。
跳んだ。
その巨体が空を割るのを、近くにいた冒険者が叫ぶ。
「跳んだぞ!? あの大きさで……!」
彼女の身体が、崩れた瓦礫の山を越えて、南門の内側に――
着地。
――ズドォン!!!
地面が爆ぜ、衝撃波が辺りを走った。
その音に、壁上で弓を構えていた冒険者たちが一斉に振り返る。
■ 巨影、到着す
「なっ……リアーネ!?」「来た……来たぞ!!」
敵も味方も、一瞬その巨体に呑まれた。
戦線が一気に動いた。
リアーネが視線を走らせたその先、剣を握るカイがいた。
汗に濡れた髪をかき上げ、彼女を見上げる。
フェイは泣き笑いの顔で笑い、マリナが叫ぶ。
「おっそ~い! もっと早く来なさいよー!」
ゾルドとリュカは、何も言わずに武器を構え直した。
その上方、瓦礫の上に立つミレナが小さく息を吐き、ドーガが肩を揺らす。
「……来たか。これでもう、崩れん」
リアーネは仲間たちの姿を一瞥し、そして、カイの方へ一歩踏み出した。
目を伏せていたカイの目の前に立ち、静かに、こうつぶやく。
「――遅れて、ごめんね」
その声に、カイが顔を上げる。
次の瞬間。
「ひっ……!」「あれが、あれが伝説の……!」
「化け物だ……逃げろッ!!」
敵の側から、恐慌の叫びが上がった。
ホブゴブリンジェネラルを中心に、ゴブリンやオークが一斉に後退を始める。
混乱したまま押し合い、逃げ場を求めて通路を奪い合い始めた。
それは、絶望の連鎖だった。
■ 終幕の余韻
リアーネの足元には、割れた瓦礫と砕けた武器。
その背後には、ついに街を踏み越えてきた“希望の巨影”。
朝日が、彼女の輪郭を金色に縁取った。
夜は終わりつつある。けれど、戦いはまだ――終わってはいない。




