5. はじめての依頼 (挿絵あり)
リアーネはギルド内で、空いた壁際の空間を見つけると、ゆっくりと背をもたせかけた。
ドシン。
背をつけただけで空気が震えたように感じた。椅子など存在しない。ギルドには、6メートルの女性が座れるような家具などないからだ。
床に腰を下ろすスペースもなく、彼女は代わりに壁に背を預けて膝を軽く曲げた。その膝は、自然とカイの胸元あたりの高さにまで達する。まるで小さな丘がそこにあるかのようだった。
彼女の姿が壁際に収まった瞬間、その左右に広がる圧迫感はまるで移動式の壁のようだった。
膝を立てた姿勢のままでも、彼女の腿は長く分厚く、目の前にあるだけで空気の流れを変えてしまうほどだ。ブーツの甲だけで、カイの上半身ほどの面積があり、くるぶしの高さでさえ、カイの膝よりも高い。
周囲の視線が、一斉に注がれる。
誰もが、息を呑んでいた。いや、正確には「視界を圧迫された」のだ。
リアーネがそこに存在するだけで放たれる“存在感”は、明らかに周囲の冒険者たちの会話や行動を止めていた。数メートル離れていても、その気配は肌にびりびりと伝わる。
彼女は何も言わず、ただギルド内をじっと見渡す。
――あの片目の戦士、腰にさした短剣は飾り。体重移動の癖が未熟。 さしずめFランクかしら
――あの二人組、Aランクかしら。強そうね。私よりは弱いけど。
――受付に近づきすぎないように歩いたあの男、警戒心が強い。こちらの動きに対して意識が張り詰めている。
リアーネの視線は、全員を俯瞰していた。6メートルの位置からは、ホール全体がまるで戦場の俯瞰図のように見える。 彼女の目は美しく、そして鋭かった。
一方で、カイはその巨大な“膝”に向かって話しかけていた。
「なあ、姉ちゃん。俺たち、はじめて依頼受けるよなって……」
その姿はまるで、聖堂の石像に語りかける旅人のようだ。 カイが見上げた視線の先には、はるか上にリアーネの顔――いや、まずは腹、胸、喉元、ようやくその奥に彼女の瞳があった。 自分の全身よりも太い太腿を前にしながら、話すことの滑稽さと、同時にリアーネの圧倒的な存在への敬意が入り混じっていた。
リアーネは苦笑して言った。
「カイ。お願いだから、私の膝に向かって話しかけるの、なんとかしてもらえないかしら。ちょっと変よ」
「だってさぁ、顔の位置が高すぎんだよ……」
ぼやくカイに、リアーネは少しだけ身をかがめて目線を下げてやった。
「それなら、こっちから合わせるわ。対等な話し相手としてね」
と、リアーネは、カイを右手でひょいと持ち上げた。まるで人形を優しく持つかのように。そして、カイをギルド内の2階へと軽々と運んだ。
――そんな様子を見届けながら、受付から声がかかった。
「Gランクの新規登録者、リアーネさんとカイさんですね。初回依頼の選択はこちらになります」
タイミングを見計らったかのように呼び出すのは、ギルド受付嬢のレナだ。 カイは振り返り、リアーネはまた、カイをギルド内の1階へと軽々と運んだ。
カイがレナの元へと向かい、提示された板の一覧を眺める。
「……ゴブリン集落の掃討、三件……全部Gランク対応、か」
「すみません、人手が足りてなくて。複数掛け持ち歓迎なんです」
レナの声にはわずかに疲れが混じっていた。 魔物、特にゴブリンの出現が激増しているなか、ギルドは人材不足で悲鳴をあげている。しかも大きなダンジョンは上位ランク向け、Gランクの新米が入れるような小規模ダンジョンは少ないうえ、リアーネには入口問題がある。 必然的に、野外に巣を作る小集落の討伐が彼らに回されてきたのだ。
「受けます、三件とも」 カイは書類に迷わずサインするような勢いで答える。
レナはその声を聞いて顔を上げたが、その瞬間、再びリアーネの姿に気圧された。 彼女の背後に広がる肩の幅は、受付カウンターと同じくらいある。 思わずレナは、胸元に手を当て、深呼吸をして落ち着こうとした。
「わかりました。ご無理のないように、くれぐれも気をつけて……」
そう言葉を続けながらも、彼女はチラリとリアーネを見やった。 壁にもたれ、まるで柱のようにそびえ立つその姿。一体どんな戦闘をするのか、レナの想像を超えているのだろう。
依頼を受け取った後、二人でギルドを出た。 外の空気は冷たく、街の石畳には夕日が斜めに差し込んでいる。
「さて、じゃあ今日は宿を探すか」 カイがそう切り出すと、リアーネは静かに首を横に振った。
「あなたは宿に泊まりなさい、カイ。ちゃんとした布団で、ゆっくり体を休めて」
「えっ? じゃあ姉ちゃんは……?」
リアーネは街の外壁の方を指差した。 「ふふっ、私は、外で寝るわ。私はね、どんなに気をつけてもこの体の大きさでね。誰かを見下したり、威圧したりしてしまうわ。それを受け止めようとするとね、そうやって人を見下すことが楽しいって気持ちも少しは湧くんだけど。でも……私は、それ以上にみんなと対等になりたいのよね。だからなるべくそういうことはやらない。絶対無理なのはわかってるんだけど。おかしい?」
カイは、しばらく何も言えずにいた。 そして、小さく頷く。
「……わかった。でも明日の朝、ちゃんと迎えに来るからな。ギルドでの書類手続きもあるし」
「ええ、頼りにしてるわよ」
リアーネはそう言って、片膝を地面に落とし、ゆっくりとカイの頭を撫でた。 その手のひらは大きく、暖かく、まるで空から覆いかぶさる雲のようだった。
そして彼女は、またゆっくりと立ち上がる。夕日が、その大きな背に長い影を落とす。 彼女の旅は始まったばかり。 その背に、守るべきものと、見上げるべき空がある限り――巨大女戦士は、前へと進み続けるのだ。