34 指揮官狩りと通信の秘具、そして砦の巨躯
■前半:ギルドにて、出撃準備と通信の秘具
ゴブリン軍が押し寄せる日は近い。
街の外壁は強化され、武器も整備されたが、それでも数十万という敵の規模を考えれば、持ちこたえられる保証などどこにもなかった。
そこで出された一つの答えは――
リアーネが単独で街を離れ、敵の“指揮官”を優先的に討つことで、進撃速度を落とすという作戦だった。
敵軍の統制を崩すことができれば、膨大な数のゴブリンたちは散発的に動かざるを得ず、街へ到達する前に疲弊する可能性がある。
ただし、その間リアーネは街を離れる。
当然、カイとは別行動になる。そして彼女の巨体では、簡単に街へ引き返すこともできない。
そこで、ギルドが手配したのが――
通信の秘具と呼ばれる、古代魔法の力を借りた一対のクリスタルだった。
「これが……」
カイはギルドの受付嬢から渡された木箱を開け、小さな水晶球を見つめる。
手のひらに収まるほどの球は、わずかに淡い光を宿し、冷たく指先に馴染んだ。
「はい。これが“通信の秘具”です。片方をカイさん、もう片方をリアーネさんに。緊急時には、魔力を込めて……握り潰してください」
「割る、んじゃなくて?」
「いえ、握って“砕く”というイメージで。そうすると、対になる球から“パリン”という音が発せられ、割れたことを知らせます」
魔法の原理としては単純な“感応式双方向共鳴”。だが、リアーネの手にかかれば、冗談抜きでうっかり握っただけで壊してしまうだろう。
「ありがたいね。これ、ちゃんと保護材で包んでおくよ。リアーネの鞄の中で粉々にならないように」
「……それ、冗談にならないので、こちらでもクッション材を用意します」
そんなやり取りの最中、ギルド広場に巨大な影が差した。
リアーネが、門を静かに跨いで現れたのだ。
鋭い足音が石畳を軽く打ち、彼女のブーツが通った場所の空気が、重く沈む。
「これ、渡されたわ。通信の玉、らしいわね」
リアーネは小さな水晶をつまみ上げ、細い眉を寄せた。
「……随分と繊細。でも、要は“壊せば伝わる”でいいのよね。了解。気をつける」
「作戦、伝えるね。君は街を離れて、敵軍の本隊に先回り。できるだけ中隊長、隊長格を潰して、連携を乱してくれ」
「了解。大軍でも、指揮が崩れればただの群れ。私の役目はそこ」
リアーネは淡々と告げる。すでに彼女の目は、遥か東の戦野に向いていた。
「でも、街が危なくなったら……すぐ戻ってきてくれるよな?」
「呼ばれなくても、ある程度は見ているつもり。けれど、呼んでもらえれば確実。カイ、あなたは街を頼む」
「……ああ」
リアーネの巨背を見送りながら、カイはそっと手の中の水晶玉を握りしめた。
小さなその一点が、戦局全体の命綱になるかもしれないと、彼は知っていた。
■後半:砦との接触、指揮官レイナとの対話
そしてリアーネは、街から離れ、砦へと向かった。
この防衛線の最前線を預かる場所であり、街とは異なる戦場の“最も薄い壁”だった。
砦の外壁は八メートル。リアーネには「またぐにはやや高いが、腰かけるにはちょうどいい」サイズだ。
外壁の前で足を止めた彼女は、手のひらで上端を確かめると、軽く膝を曲げて腰を下ろした。
石畳がきしむ音が小さく鳴り、ブーツの裏が砦の前庭に沈む。兵たちは驚きながらも距離を保ち、武器を構える様子はない。
やがて、その場に現れたのは――
砦の実質的な指揮官。辺境伯の次女にして銀鎧の戦士、レイナ・フォン・エーギル。
彼女の身長は二百三十センチ。その巨体と筋肉は、常人の二倍近い体重を支えるために鍛え抜かれていた。
「……あなたがリアーネね」
その声は、静かで澄んでいた。驚きや畏れではなく、確認のための声色。
「十二メートルと聞いた時は、にわかには信じられなかったけど……実際に見ると納得する」
「そちらも、印象に違わず“戦士”ね。服装や表情で分かる」
リアーネの視線が、レイナの鎧と姿勢を見定めている。
レイナは表情を崩さぬまま、ゆっくりと続ける。
「私はこの砦の防衛を任されている。ここが抜かれれば、背後の村や本街道が丸裸になる。……だから、どんな戦力でも必要よ。あなたの力、期待している」
「敵の主力がこちらにも流れていると聞いたわ」
「十万規模。それにホブゴブリン将級、ミノタウロス、ダークトロールも混じってる。飛行部隊も多数。かなり厄介」
言葉の端々に、現場を見てきた者だけが持つ冷静な重みがあった。
「私は正面の防衛ではなく、各所を回って“指揮官狩り”をするつもり。隊長格を潰せば、大軍でも鈍る」
「正しい選択だと思う。雑兵より、頭を落とすほうが早い」
レイナは頷き、その場で一歩前に出る。リアーネの膝下にも届かない位置だが、視線はぶれない。
「一度でいい、機会があれば――あなたと、手合わせをしてみたい」
その言葉は、軽口ではなかった。戦士としての願いであり、真剣な評価だった。
リアーネは、ほんのわずか口元を緩めた。
「いつか、お互い手が空いたときにでも。……全力で、ではなくてよ」
「それで十分」
その短いやりとりのあと、リアーネは砦の壁から静かに立ち上がった。
足元が低く唸り、石畳の隙間にたまった砂がこぼれ落ちる。
その背には、兵たちの注視があったが、誰も口を挟まなかった。
──こうして、街と砦にまたがる広大な戦線の布石が一つ、静かに置かれた。
リアーネの視線は、すでに遠く――敵軍の中央指揮官が潜むであろう、暗き地平の向こうへと向けられていた。




