33 不安渦巻く街の内側
街の中央、議事堂の広間に重苦しい空気が満ちていた。
ギルドの幹部、有力な商人、防衛を担う衛兵隊長、そして辺境伯の家令代理――この街の舵取りを託された者たちが集い、急きょ招集された会合が静かに始まろうとしていた。
広間の奥には長机が据えられ、家令とギルドの受付嬢が並んで座っている。ふたりの表情には、隠しきれない疲労と、かすかな焦燥がにじんでいた。
「諸君、まずは現状を確認しよう」
家令が低い声で口火を切る。
「魔物の大軍――特にゴブリンの集団が、街の近くまで迫っていることは確かだ。ただし、正確な数を公にすることについて、辺境伯は否定的である。“民心の混乱を避けよ”というお達しだ」
静かなざわめきが広間に広がる。
衛兵隊長が腕を組み、真剣な面持ちでうなずいた。
「防衛線の強化は進んでいます。とりわけ門周辺には魔物の集中が予想されるため、周辺住民を“中央寄りの区画”へ避難させる計画を進めています」
「避難ルートの誘導は? 混乱が起きれば、壁も守備隊も意味を失うぞ」
商人のひとりが苛立ちを押し殺して問いかける。
彼らにとってこの非常事態は死活問題でありながら、人脈を駆使して物資や輸送を支える役割も担っていた。
一方、受付嬢レナは両手を机の上で組みながら、神妙な面持ちで口を開いた。
「……皆さんもご存じのはずです。外壁を“あの巨大な戦士”が強化したことを」
その言葉に、空気が再び揺れる。
「あれほどの規模の作業を、あの短時間で、あのひとりで。正直、最初に見たときは……怖かった。あんな存在が味方じゃなかったらと思うと」
広間の隅々で、うなずきと視線の交差が起こる。
圧倒的な力――それが“味方”でなければ、という背筋の冷たさは、誰もが共有していた。
だが、家令が重々しい口調で言葉を継ぐ。
「……あれが本当に脅威だったなら、とっくにこの街は崩れている。だが彼女は、我々を壊していない。むしろ、守ろうとしている」
レナが息を吐き、小さくうなずく。
「はい。ですから、住民への説明は『非常に強力な助っ人がいる』とだけ伝えます。姿も力も規格外ですけど……それでも、私たちの側に立っている。それだけを信じてほしい」
一部の冒険者が同席していたが、誰ひとり口を開かなかった。
市民の多くがリアーネの姿をすでに目撃している。混乱と恐怖は、既に広がっていた。
そこに「敵は数万規模」と伝えるのは、火に油を注ぐようなものだ。
「避難に関しては、門周辺を完全に空けるのが最優先です」
衛兵隊長の言葉に、地図が広げられる。
リアーネが積み上げた防壁や瓦礫の山は、地図にはまだ描かれていないが、現実の風景はすでに大きく変わっていた。
「住民は北側と中央ブロックに分散して誘導します。突発的な襲撃にも、ある程度の余地は作れるはずです」
「……時間を稼げれば、それで十分。逃げ道があれば犠牲は減る」
ある者がぽつりとつぶやいた。
しばらくして、別の声が会議の熱を変える。
「でも……あの巨女戦士がいれば、本当に壁も街も守れるんじゃないか?」
それを皮切りに、他の者も不安と期待を口にし始める。
「あの大きさなら、一人で百どころか千、いや、二千のゴブリンも相手できるかもしれない」
その声に、安堵の吐息も混ざる。
だがそれは同時に、“彼女がいなければ終わる”という裏返しでもあった。
家令が、最後のまとめに入るように口を開く。
「――民には、“必ず守り抜く”と、はっきり伝えるべきだ。勝利を疑う空気は、誰の心にも入り込ませてはならない」
レナも、少し強い声でそれに応えた。
「ええ。壁は高く、厚く、投石台も整っています。市民には、私たちの覚悟と安心を届けなければなりません。……敵の正体も、数も、すべては伏せるとしても」
そして一瞬の間を置き、少しだけ震えのある声で言った。
「それでも……勝てると、信じてもらわなきゃ」
その言葉とともに、会合は形式的に締めくくられた。
一見前向きな空気に包まれて。
だが、議事堂を出る背中には、ひとりひとり異なる重さがにじんでいた。
誰もが理解していたのだ。
――もし、あの巨大な戦士が倒れたら。
――もし、敵がそれ以上の手を使ってきたら。
そんな不安を言葉にする者はいなかった。
いまはただ、全員が一丸となって備えるしかない。
そのとき、外の空気がかすかに震えた。
“ドン”
遠く、重く、空気を押し出すような低い音が届く。
リアーネが外壁の仕上げを続けているのだろう。大地が、石畳が、わずかに鳴った。
静かな議事堂の壁の向こうで響くその一音は、彼女がそこにいる証だった。
守るために存在する力――だが、同時にこの街が最も恐れる存在でもある。
──こうして街は、希望と畏れを背中合わせに抱えたまま、静かに戦の足音を聞いていた。
誰もが、胸の奥で“次の一歩”を予感していた。




