30 追いつかれたら、空の上 (挿絵あり)
呼吸が喉の奥で渇き、肺が焼けつくようだった。
それでも、カイは草原をひたすらに駆けていた。
背後から迫るのは、獣でも風でもない。
ズン……ズン……ズン……。
一歩ごとに、大地がわずかに揺れる。
それだけで、巨大な質量が確実に“近づいている”ことを、全身で理解させられる。
「っは、は……! まだ、逃げられる……!」
息を吐きながら叫び、岩を跳び越え、木陰を縫って走る。
速度は落ちていない。だが、体力には限界がある。
リアーネの歩幅は、自分の八倍。
カイが八歩で稼いだ距離を、彼女は一歩で踏み越える。
「……これ、やっぱり無理なんじゃないか!?」
そう叫んだ瞬間だった。
背後の足音が、わずかに変化した。
ズン……ズン……ズンッ……。
音の間隔が短くなる。空気が揺れ、影が迫る。
「っ、あ、あああああああ!!」
カイが悲鳴を上げた直後、視界がふわりと浮かんだ。
巨大な指が、雛を拾うように、そっと彼の身体をすくい上げたのだ。
「アウト。はい、十メートルの枝ね」
リアーネの声とともに、カイの身体はゆっくりと上昇していく。
あっという間に地上が遠ざかり、彼は空の上へ――。
そして、ゆるやかに降ろされ、十メートルほどの高さにある木の枝に“ぽん”と乗せられた。
「十分、そこで反省しててね」
リアーネは笑顔のまま、手を引いた。
身をかがめ、巨大な顔が枝越しに近づいてくる。月のような微笑みが空に浮かぶ。
「……やっぱ、でかすぎるって……」
カイはぼそっと呟き、空を仰いだ。
十分の反省タイムが過ぎる頃、リアーネはそっとその枝に手を伸ばした。
「はい、終わり。降りていいわよ」
カイの脇を巨大な指が支え、ふわりと持ち上げられる。
数秒の浮遊感のあと、柔らかな草地にそっと降ろされた。
「……助かった。今度こそ、ちゃんと逃げ切る……」
リアーネはまたカイの前に現れ、今度は少しだけ真剣な声音になった。
「……カイ、ほんとに逃げきれなかったら、死ぬかもしれないのよ?」
「え……あれで“手加減してる”の……?」
リアーネは小さく笑い、姿勢を整えた。
「じゃあ、見せてあげる」
彼女は地面に目を向け、すっと片足を引いた。
長さ二メートルを超える足が、空へ向かってゆっくりと持ち上がる。
「そこに立って、動かないでね」
リアーネは言い終えると、カイのすぐ横――地面に向かってその足を振り下ろした。
ズドォンッ!!
衝撃音とともに、地面が波打ち、砂が爆ぜる。
空気が衝撃で押し出され、耳の奥に痛みが残った。
「うわっ――!」
カイは尻餅をつき、後ろにのけぞった。
「……な、なんだよ今の……! 地面が跳ね返ったっていうか……めくれたぞ!?」
リアーネは軽く肩をすくめた。
「私、また重くなってるの。さすがに二十六トン超えて全力で踏みつけると、地面のほうが限界みたい」
「いやいや、そんな軽く言う!?」
カイは呆れながら顔を上げた。
そこに立っていたのは、十二メートルの巨体――リアーネだった。
彼の視線は、自然と足元から順に、ゆっくりと上へと移動していく。
地面に深くめり込んだ巨大なブーツ。
足だけで、自分の胴体がすっぽり隠れそうだった。
膝の高さは、およそ三・八メートル。自分が立っても、腹あたりまでしか届かない。
太ももの幅は一メートルを超える。抱きついたら、自分の身体ごと飲み込まれそうだ。
腰の位置は七メートルを超え、ジャンプしたところで到底届かない。
腕の長さは六メートル。手のひらはカイの肩幅の倍。
先ほど持ち上げられた指は一本あたり十六センチの幅、長さは六十五センチ。
「……これ、人差し指だけで、俺の前腕と同じくらいあるじゃん……」
胸元も壁のようだった。見上げれば、まさに“天井”だった。
そして――顔。
直径百二十センチ。自分の上半身と変わらないサイズのその顔が、微笑みながらこちらを覗き込んでいた。
「あ〜……これ、もう……俺って虫じゃね?」
訓練が終わり、ふたりは森の木陰で昼食を取っていた。
カイは草の上に腰を下ろしながら、必死で息を整えていた。
「……はぁ……今日は殺されるかと思った……」
「殺さないわよ」
リアーネは笑いながら、空間収納から干し肉を取り出して齧った。
やがて食べ終えた彼女が、ふと真顔になった。
「カイ」
「ん?」
「……持久力、Fランク並」
「ぶっ……!」
「筋力もEランクくらい。でも、反射神経はいい。Bランクに近い。判断力も上がってきた。
速さは――Aランクに届くかもしれない」
「……マジで?」
「マジよ。でも、どれだけ速くても、すぐにバテるなら意味がないの」
リアーネはぴしりと指を立てる。
「持久力は、一朝一夕じゃ身につかない。でも、訓練すれば必ず伸びるわ。
……だから、今日のうちに、もう一回走るわよ」
「うぇえええ……!」




