24 迫る影と、揺れる地
――作戦室の報せ――
街の一角、ギルドの作戦室には重苦しい空気が漂っていた。
先日まで「ゴブリンが約2,000体ほど散発的に出没」という話だったが、最新の斥候報告では数万もの個体が集結しているらしい。
「……二千が数万……?」
受付嬢のレナは、信じられないものを見るような顔で報告書を読み返す。
「この短期間に、どうやってそんな膨大な数が集まったの? しかも“指揮官”と呼ばれる個体が何体も確認されているみたい……」
辺境伯閣下から届いた伝令も同じ見解だ。敵は単なる群れではない。統率と目的を持ち、各地に分散していたゴブリン部族を束ねている。
しかも、進軍速度が異様に速い。まるで“何者か”が奴らを一斉に呼び寄せ、ある地点へ向かわせているかのようだった。
「大げさじゃないのよ、これ……」
レナの声には焦りがにじむ。
「街だけじゃなく、砦や周辺の集落まで一気に呑み込まれるかもしれない、って……」
冒険者ギルドに登録されている戦力は、上位ランクでも数十名規模。とても数万のゴブリンを相手取れるようなバランスではなかった。
しかし、今や“あの存在”――9メートルの女戦士の噂が、希望として駆け巡っている。
「彼女がいなければ……」
レナは誰にともなくつぶやき、報告書を胸に抱えた。
戦力不足は否めないが、まだ諦めるわけにはいかない。これほどの大軍が動くのは、辺境の歴史でもほとんど例がない。誰かが、この未曾有の侵攻を食い止めなければならないのだから。
――夕暮れの丘と巨大な孤独――
夕暮れの空が、濃い橙色に染まっていた。
街の外、森の端にある広い丘――そこが、リアーネの“寝床”だった。
焚き火の上では、リアーネが丁寧に解体したゴブリンの肉が串に刺され、じゅうじゅうと音を立てている。
香ばしい匂いが辺りに漂い、小動物たちが警戒しつつも鼻をひくひく動かしていた。
「……昔はこんなの、正直ためらいもあったんだけどね。どうせ倒したゴブリン、無駄にしても仕方ないし……」
リアーネは、膝を立てて腰を下ろし、その焚き火をじっと見つめていた。
9メートルの身体でありながら、動作はどこまでも静かで丁寧だ。
やがて肉が焼け、指先でふわりと摘んで口に運ぶ。
――美味しい。悪くない。
どこか後ろめたさもあるが、“生き延びるための糧”として割り切るしかないのだ。
そして、心の中で小さく呟いた。
(カイ……強くなったなぁ)
つい先日まで、剣の握り方すら覚束なかった彼が、自分の武器でゴブリンジェネラルを仕留めた。彼は今、確かに“冒険者”として歩き出している。
(……でも、私の方は)
焼き立ての肉をもう一切れ口に運びながら、リアーネはゆっくりと自分の手のひらを見下ろした。
今の自分は、ほんの数年前の“普通の”リアーネとは比べものにならない。
(私の成長は、加減がないのよね。巨大化するたびに、桁が増えるように強くなっていく)
何十倍、何百倍――
彼がどれだけ努力しても、その差は埋まらないかもしれない。
でも――
(気持ちの上では、私と同じ場所にいようとしてる。そこが……嬉しいんだよね)
カイは恐れなかった。自分の隣に立とうと、まっすぐに進んでいる。
その心が、リアーネには何よりも“対等”だと感じられていた。
――ただ。
風が吹き、焚き火の炎が揺れる。
視線を街の方に向ければ、遠くに塔の影。誰も近づかないその場所に、自分だけが眠る。
(私は巨大化すればするほど、人の役には立てる。けど……同時に、ますます人に怖がられる)
子どもは泣き、大人は避け、誰も隣に立ちたがらない。
その矛盾に、何度も悩んできた。
けれど。
「……仕方ないよね。考えても、答えなんて出ないし」
リアーネは、焼けた肉をもう一口かじって、くすりと笑った。
「だったら――楽しむしかない、よね」
その言葉は、風に流れて誰にも届かない。
でも、その笑顔だけは、ほんの少しだけ寂しげに、そして確かに、強かった。
――邂逅:脳筋と巨体――
その夜、リアーネは普段のように街外れの丘で野営していた。
ギルドの受付嬢が案内役としてやってくると聞いていたため、焚き火で肉を焼きながら待っていたのだ。
「……来たわね」
遠くの地面が微かに振動するのを、リアーネは肌で感じ取った。
複数の足音。しかし騎馬ほどの重さではない。歩いている。それでいて妙にリズミカル――しかも重量感がある。
やがて、木々の間から2人の姿が現れる。
1人はギルド受付嬢レナ。整った身なりで歩幅を小さくし、隣の大柄な男に合わせている。
そしてもう1人が、辺境伯アグラン。
身長220センチの巨体に軍服を纏い、銀の飾りが月光を弾いている。腕はまさに丸太のごとく膨れ上がり、顔には男の武勲を示すかのような傷跡が走る。
しかし、リアーネが座っている姿の前では――その“巨漢”でさえ、彼女の膝より小さい。
「辺境伯閣下、ようこそ。……こんな場所で失礼を――」
リアーネは立ち上がろうと腰を浮かせるが、アグランはズバッと手を振り、言葉を遮った。
「おい、やめろ。そんなの不敬だなんて馬鹿馬鹿しい」
その声は空気を震わすほど野太く、まるで戦場の雄叫びにも似ている。
「俺は“話を聞きに来た”んじゃねぇ。――お前と勝負しに来たんだ」
リアーネは目を瞬かせ、一瞬レナと視線を交わす。
レナは苦笑いを浮かべ、弁明しようと口を開く。
「閣下、それは……リアーネさんは“お客様”で……!」
だがアグランは意にも介さず一歩踏み出した。
その踏み込みだけで小さな砂埃が舞い、周囲の空気が震える。
まるで生粋の戦士が視界のすべてを奪いにくるような威圧感だ。
「でかい女がいるって聞いてな……あんたが9メートルの化物か。
噂じゃゴブリンの大群を踏み潰したんだと? 俺はこの辺境でいちばん強いと思ってたが……その俺を差し置いて“最強”気取りとは、聞き捨てならねぇ。
――だから一発だけ、勝負しろ。俺も頭だけは回るが、身体を動かす方が得意なんでな!」
彼の声は高揚感に満ちている。
リアーネは、しゃがんだままふっと笑った。
(……なんだか面白そうな人ね。脳筋だけど、目には知性の光がある)
「閣下。わかりました、そういうことなら――」
彼女が膝を伸ばし、立ち上がるだけで辺りが微かに揺れる。
アグランはそれを見上げ、何かを言おうとしたが、少し唇を引き結び、
「……でけえな。確かに噂通りだ」とだけ呟いた。
受付嬢はオロオロしながら止めようとするが、2人はにやりと笑い合う。
どこか「戦士同士の奇妙な共鳴」が生まれているかのようだった。
――急襲:突き刺さる本気――
「勝負って……ちょ、ちょっと待って――」
リアーネが困惑の声を漏らす。彼女の顔に浮かんだのは、珍しく“戸惑い”だった。
(な、なによこの人……。全身から脳筋って感じが溢れてるんだけど……でも、この気配、ただの脳筋じゃない)
アグランの全身からほとばしる戦気、重厚な筋肉と野生の勘。“本気”の一撃を放つ気配が漂っている。
過去に見たAやSランク冒険者とも違う、どこか荒々しいが研ぎ澄まされた闘気だ。
(……大剣? いや本命は斧か、両手持ち。リーチは短いけどパワー重視。あの腕から繰り出されたら、顎とか、目とか――うん、痛そう)
リアーネは悩むように少し口を開きかけた。
「でも……怪我させたら、ギルドから追放とかされるかも。適度に受けて、適度に……あの……って、ちょっと、えっ?」
その一瞬の隙をついて――
「おりゃあああああああああ!!!!!!」
アグランが助走をつけて突進!!
まるで砲弾のようなスピード。次の瞬間、リアーネの巨大な膝をジャンプ台代わりにして、
――シュッ!
彼の身体が、斜めに浮かぶ。
そして、
ゴォォン!!
全力で振り下ろされた巨大な斧が、リアーネの顎をクリーンヒットした。
レナが「ぎゃああああ!!」と絶叫し、鳥が一斉に空へ飛び立つ。
リアーネは口を閉じたまま目をぱちぱちと瞬かせ、まるで“蜂が鼻に止まった”かのような反応。
(え、ちょっと、ほんとにきた……今の、マジだった……?)
辺境伯は彼女の足元に着地し、煙の中でドヤ顔している。
「どうだ! 俺の全力だ!! ちゃんと受け止められたか!?」
リアーネは、顎を片手で軽くさすりながら、静かに呟いた。
「……ちょっと痺れたかも。あごに“ピリッ”ときたの、久しぶりかも」
思ったより、嬉しそうだ。
――デコピン一閃――
アグランが地面にドンと着地し、豪快に両腕を広げて胸を張る。
「どうだ! 俺の全力だ!! ちゃんと受け止められたか!?」
リアーネは顎を片手でさすりながら、穏やかな笑みを浮かべる。
「……ちょっと痺れたかも。あごに“ピリッ”ときたの、4年ぶりかも」
そしてゆっくりと、右手の人差し指を立てて、辺境伯の前へ差し出す。
表情は柔らかく、まるで子どもにおやつを渡すような雰囲気だ。
「じゃあ……これくらいだったら、平気かなぁ……?」
そのまま、彼女は立てた指をくいっと動かし、ぽん、と辺境伯の腹部にデコピンを飛ばした。
その瞬間。
「ぬわあああああああああああ!!!!」
空気が爆ぜ、辺境伯の巨体が弾丸のように宙を舞う!
ごうん!と風を切り、木々を飛び越え、100メートル先の丘の斜面にドンッ!と突き刺さるように着地。
砂煙が巻き上がり、鳥がまたしても逃げ出す。
「ぎゃああああああああああああっ!!」
レナの絶叫がこだまする。
しかし――
「……うっはあああああっ、効いたァァ!!」
辺境伯の声は、風に乗って元気に響いた。
土の中から半身を起こし、興奮気味に腕をぶんぶん振っている。顔は泥だらけだが、全身にほとんど傷はない。
「すっげえええ……! 俺、吹っ飛んだ! けど、骨は無事だ!!」
リアーネはその様子を見てほっと息をつきながら、レナの方に軽く振り向いた。
「……うん。やっぱりあの人、脳まで筋肉ね」
――大軍の情報――
土煙がまだ空に漂う中――辺境伯は土まみれの顔で立ち上がり、大きく息を吐いた。
「……っし、満足だ」
さっきまでの興奮とは違う、どこか落ち着いた響きを持つ声。
アグランは拳をぐっと握りしめ、真剣な表情で言う。
「――ホブゴブリンを率いるゴブリン軍団、12万。現在、こちらへ進軍中だ。到着は……一週間後と見ている」
リアーネの眉がわずかに動く。数万という数字はここでも確定的となり、驚きというより不穏な確信が漂う空気。
「10万は辺境の砦へ、そして2万がこの街へ回る予定だ」
「“主”の位置は?」
リアーネが低い声で尋ねる。
「……砦側だ。ホブゴブリン以上の、何か。やつらの動きには統率がありすぎる。明らかに上がいる」
「なるほど……主も“壁”の正面に来るってわけね」
「そういうことだ」
アグランは、少し言いにくそうに付け加えた。
「街側にも、強いのが数体いる可能性がある。バラけてるが、情報では特殊な魔法や、強化された個体が混ざってるらしい」
レナが続ける。
「だから街にも防衛力は必要です。Sランク2名、Aランク10、Bランク25……CからEランクで約50名。残りはF以下……正直、足りません」
リアーネは黙って、その数字と配置を頭に入れる。
歴史的にも例のない規模。大量の犠牲が出かねない戦いになるだろう。
そして静かに辺境伯の目を見つめた。
「砦側に向かう……それが、私への依頼ね」
「ああ。あんたの力があっても、正直、10万を抑えるのは楽じゃねぇ。だが、やってくれると信じてる。……頼む」
リアーネはふっと息を吐き、わずかに視線を落とす。
街のためになるのは分かっているが、どれほどの犠牲を出さずに済むのか――自分にも分からない。
「……条件があるわ」
辺境伯の目が鋭くなり、レナが小さく息を飲む。
「条件……?」
アグランは泥をぬぐいながら、軽く首をひねった。
「言ってみろ。砦で用意できるもんなら、俺も手を尽くすが……」
リアーネの瞳には、静かだが確かな意志が宿っている。
今ここから、さらに大きな戦いへ足を踏み入れる――そんな気配を漂わせながら、彼女はゆっくりと口を開こうとしていた。




