20 夜の語らい、静かなる影 (挿絵あり)
太陽が山の端に沈むと、辺境の街には夜の帳が落ちた。
その外れにある小高い丘――草の波が風に揺れる静かな場所で、リアーネは横たわっている。
彼女がいつも眠る場所だ。街の人々を驚かせないために、遠くから見守るように過ごす場所。
カイは、なだらかな斜面を踏みしめながら、ゆっくりと丘を登ってきた。
「姉ちゃん、来たよ。……って、やっぱりデカッ……」
目の前には、闇に浮かぶ金髪の女戦士のシルエット。
月明かりでさえ、彼女の全身を照らすには足りないほど大きい。木々より遙かに高く、まるで丘そのものが息づいているかのようだ。
「姉ちゃん?」
カイが呼びかけた、その瞬間。
――ドンッ!
空気が震え、巨大な足がカイのすぐ隣に降ろされた。
ブーツの厚底だけで10センチ。体重は10トン近い。
踏み下ろされた衝撃で草と土が舞い上がり、カイは思わずバランスを崩す。
「うわっ! お、おいっ!」
上げかけた声にかぶるように、リアーネの柔らかな笑い声が聞こえた。
「ふふ、びっくりした? ……でも、揺れなかったでしょ? この丘、地盤が強いみたい。助かるわね」
カイは、かすかにふらつく足元を落ち着けながら、思わずブーツを見上げる。
くるぶしの高さだけで50cm、膝が2.6メートル――彼の頭上よりはるかに高い。
「……ブーツの上まで俺の胸くらい、膝なんか顔よりずっと上……
ていうか、ジャンプしてもハーフパンツに届かないんだが……」
軽く跳んでみても、指先がまるで届かない。
横幅1.2メートルもある太腿は、まるで岩の壁のように堂々としている。
「……縮んだ?」
リアーネが冗談めかして言うと、カイは思わず苦笑いした。
「いやいや、俺が縮んだわけじゃないから……!」
それでも小さく拳を作り、リアーネの膝裏やブーツにトントンと十発ほどパンチを返す。
「よくもさっき隣にドスンって踏み下ろしてくれたな!」
リアーネは痛がる様子もなく、楽しげに笑ったまま首をかしげる。
「冗談よ。でも……膝に話しかけられるのは、ちょっと疲れるわね」
そう言いながら、彼女は巨大な右手をそっと伸ばす。
指の長さ46センチ、手の幅約1メートル。人ひとりを優に抱えられるほどのサイズだ。
リアーネは、カイの脇の下を軽く支えて持ち上げる。
「……こっちの方が話しやすいわ」
ふわりと宙に浮いたカイは思わず息をのむ。
9メートルの目線まで上げられれば、月と夜風が一層肌に感じられるような気さえした。
「……ねえ、カイ。今日の手合わせ、どうだった?」
リアーネは穏やかな声で尋ねる。
「うん。B級の人たち、連携も動きもすごかった。でも……」
「でも?」
「姉ちゃんには、まったく届かなかった。あれ見てて、レベルが違いすぎるって痛感した」
リアーネはわずかに笑みを深める。
「そっか……私の推定戦闘力、たぶんSランクのトップクラスくらいだと思うの」
「……それ、言っちゃって大丈夫なの?」
「いいの。あなただから」
そう言って、リアーネは星々を映すように夜空を見上げた。
ひんやりとした風が丘を撫で、金髪が月光の下できらりと揺れる。
「最近、ゴブリンたちの動きがおかしいの。普通じゃない。
早くも……街に直接攻めてくるかもしれない」
カイがごくりと唾を飲む。
「昔話じゃなくて……本当に……?」
リアーネはゆっくりと頷いた。
「……あの話が現実になるかもしれない。
もしそうなったら、私たちは……別々に動くこともあるかもしれないの」
その言葉に、カイは黙る。
リアーネの瞳は金色の夜闇に溶け込みながら、静かに彼を見つめていた。
どこか、言葉を探すように唇を震わせている。
「……でも、その時は安心して。信頼できるギルドメンバーを紹介するし、私はちゃんとあなたを見てる。
どこにいても、きっと支えてあげる」
「……姉ちゃん」
「あとは、ひとつお願い。今後の依頼報告は、あなたに任せたいの。
私が行くと……建物が、もたないから」
カイは思わず吹き出す。
「はは……まぁ、そうだな。正直ギルドの扉もドアも姉ちゃんには狭すぎるから」
リアーネは少し安堵したように微笑むと、カイをそっと草の上へ戻す。
起き上がっていた巨体を再び横たえ、丘いっぱいに広がっていく。
「おやすみなさい、カイ」
「おやすみ、姉ちゃん」
そのままリアーネは深い呼吸をつき、仰向けになって空を見つめる。
木々さえ覆い尽くす巨体の輪郭を、月明かりがぼんやりと照らしていた。
――あまりにも大きな背中。それでいて、圧倒的な安心感もなぜか感じる。
カイは静かにリアーネを見上げて、そっと目を閉じた。
(いつか、この丘の夜空を、同じ高さで見られるだろうか)
そう思いながら、カイは暗い闇に沈んでゆく。
夜風がそよぎ、丘には静かなる影だけが横たわっていた。




