17 壁を超えて、影を落とす
夜が明けた。
ギルドのホールには、不自然な静寂が漂っている。
石造りの床、崩れかけた柱、そして――その奥に身長9メートルの女戦士が横たわっていた。
リアーネ。
昨日、ギルド内で突如成長し、ついに天井に届きそうなほど大きくなった。
しかし彼女の体は、そのまま外へ出られる状態ではなく、やむを得ずホールの端に身を丸めて朝を迎えたのだ。
朝日が吹き抜け構造の上部窓から差し込み、巨体を照らす。
体重は10トンを超え、体の各所がすでに街の建物サイズを凌駕している。
肩幅は2.3メートル――扉枠を並べても通れない広さ。
腕は4.5メートルの長さがあり、人間の前腕のように扱える“指”も、その1本1本が46センチ近くある。
太腿の幅は1.2メートル、股下は4.8メートル。膝の位置だけで2.6メートルに達し、街の1階建て屋根より高い。
横たわったままでも、ホールの半分を埋め尽くしていた。
リアーネは目を開き、ゆっくりと上半身を起こす。
それだけで床がわずかにきしみ、柱が軽く軋んだ。
「……おはよう、カイ」
傍で毛布をかぶって寝ていたカイが、半ば飛び起きるように目を覚ました。
「ああ……おはよう。どう、加減は……?」
リアーネは静かに首を振る。
夜の間に追加の成長はなかったようだ。
だが、このままでは、外に出るのも一苦労だろうと、ふたりの目は物語っていた。
ギルドの受付では、朝一番の手続きが始まっていた。
受付嬢は、崩れかけた壁と折れた家具を見て、溜め息をこぼす。
夜中に少しずつ補修しようとしたが、全く追いつかない。
とはいえ、リアーネ本人に悪意がないのは分かっているからこそ、苦笑しかできないのだ。
「お二人、今日の任務が入っておりますね。リアーネさんは……」
受付嬢レナが視線を上げる。
そこには巨体を少しでも縮めようと、ホールの隅で膝を抱えたリアーネの姿があった。
「ええ、初回のゴブリン集落の再討伐。殲滅依頼ですね」
カイが淡々と書類を受け取りながら、横目でリアーネを見やる。
「……外に出られるのかな」
その問いに、リアーネは大きく息をついた。
9メートルもの身体で、肩幅は2.3メートル――一度ギルドの床に横たわれば、出入口を通り抜けるのは至難だ。
「……行くしかないわね。壊さないように、できるだけ気をつけるけど……ごめんなさい」
ホール内の冒険者たちが固唾を飲む。
リアーネが壁際に手をつき、体をゆっくり起こした。
ブーツの足先(1.4メートル)を慎重に動かし、少しずつ正面扉へ近づく。
けれど、出口は高さ5メートル程度――彼女の胸元あたりしかない。
「……よいしょ」
誰の耳にも軽い掛け声に聞こえるが、床と梁が即座に悲鳴を上げた。
ゴウン……バキィ……!
「ひっ……!」
冒険者が思わず悲鳴を漏らす。
リアーネは肩をすぼめ、上体を斜めに倒しながら、なんとか扉の枠をくぐり抜けようとする。
しかし2.3メートルの肩幅は、壁や柱を押し広げ、掲示板をひしゃげさせた。
「……すみません、本当に」
謝罪を言いながら、彼女は身体を滑らせるように前へ進む。
無理に力を入れたわけでもなく、ただ“そこを通る”だけ――それなのに石と木の折れる音が止まらない。
ようやく彼女の上半身が外へ抜けたところで、
思わずギルド内部の全員がホッと息をつく。
だがまだ、腰や脚が残っている。
「あと少し……!」
カイが小声で声援を送る。
ゴギッ……メキッ……
最後に梁が一つ、派手に歪んだ音を立てた。
次の瞬間――リアーネはようやく、外に姿を現した。
彼女が向き直って軽く頭を下げると、ホール内にいる者たちのランプが揺れ、空気が一瞬凍りつく。
「……お騒がせしました」
そう言い残して、リアーネは何事もなかったかのように歩き出す。
ギルドの建物から続く石畳を進むたび、足元(1.4メートルの靴先)が街路に微かな振動を与える。
人々が目を丸くし、通りの片隅へと身を寄せる。
彼女は申し訳なさそうに微笑むが、すれ違うことすらままならない。
やがて街の正門が見えてきた。
門の高さは3.5メートル、塀の高さは4メートル。
膝の位置が2.6メートルもある彼女にとって、門は**“腰より下”**どころか“股下にも届かない”程の高さ。
リアーネは、門の前で立ち止まる。
門番が思わず見上げると、金髪が空に揺れていた。
「……跨いでもいいかしら? 壊さないように、気をつけるから」
門番は呆然としつつも、首を縦に振る。
「い、いいとも……ッ! 壊れないように……いや、壊しても仕方ないか……」
内心でため息をつきながらも、声には出さない。
目の前には1.4メートルの足先、太腿幅1.2メートルの巨大な脚。どうしようもない。
リアーネは膝を軽く曲げ、1歩ずつまたいで門の外へと抜け出す。
その度に地面がわずかに揺れ、塀がギシッと音を立てるが、倒壊までは至らない。
門番は、自分が肩で息をしていることに気づく。
「……あれで“そっと”か。 本気で踏まれたら、ひとたまりもないな……」
街の外。
リアーネは丘の上で、朝日を浴びていた。
金髪が風に遊ばれ、腰に手を当てると――その姿は、まるで小さな城壁を超える“歩く要塞”のように映る。
9メートルの高さから見下ろす街並みは、すでに“彼女の体の一部”よりも低い位置にあった。
「よし、それじゃあ……行ってくるよ」
カイがギルドの方を振り返り、受付嬢に書類を渡す。
「気をつけて」
受付嬢は、崩れた出入口や壁を横目に見ながら、苦笑まじりにそう告げた。
リアーネは街を振り返った後、ゆっくりと外へと歩みを進める。
大きすぎる背中が、朝の光を受けて巨大な影を落としながら、
“街の中”ではなく“外側”に生きる存在として、その第一歩を踏み出した。
膝や腰の高さより低い建物群が、後ろに遠ざかっていく。
風がさらりと吹き抜け、10トンの体を揺らしてもびくともしない。
けれど彼女は、細心の注意を払いながら、一歩ずつ地面を踏みしめるのだった。




