閑話:とあるD級冒険者達の救出
夜の冷気が、骨の芯まで染み込んでいた。
街へ戻る道の途中、俺――ゾルドは、木々がそよぐ音の向こうにかすかな光を見つけた。
小さな村の明かりだろう。そこから、淡い煙が夜空に昇っている。少し胸騒ぎを覚える。
後ろを歩いていたリュカ(弓使い)が、口元を引き締めて言った。
「……なんか、妙に赤い煙じゃないか? まさか火事じゃあるまいな」
「厄介な予感がするわね」
鼻を鳴らしたのはマリナ(軽戦士)。依頼帰りでみんなヘトヘトだが、放っておけるわけがない。
「フェイ、体力は大丈夫か?」
「う、うん……回復魔法の残量も、まだ少しなら…」
フェイ(癒し手)は疲れた声を漏らしながらも、しっかりと頷いた。
俺たちはD級の冒険者チーム。本来なら、もうとっくに宿で休んでいる時間だ。
けれど、この光景を見てしまった以上、素通りはできない。
「行くぞ。場合によっては救助が必要かもしれない」
そう言って、俺は盾を抱え直す。体に鉛のような疲労感が広がっていたが、仲間の顔を見ると自然と足が進んだ。
村は半壊状態だった。
夜の静寂を突き破るように、木製の家屋が燃えている。悲鳴こそ聞こえないが、人気がないのが逆に怖い。
わずかに息を呑んだリュカが、弓を構えた。
「……いたぞ。ゴブリンだ」
ちらつく炎の影から、十数体のゴブリンが這い出してくるのが見えた。
しかも、そのうち数体は普通のゴブリンより頭ひとつ大きい。武装も鎧をまとい、棍棒や錆びた剣を持っていた。
「これ、下手するとホブゴブリン級か……!?」
マリナが吐き捨てるように言う。
「どうする? やるのか? こっちはまともに休んでないぞ」
リュカが急ぎ足で後退しながら言った。
「……やるしかないだろ。村がこんな状態なのに、引き返せるわけがない」
胸を押さえ、フェイが震える声で呼応する。
「同感だ。やるぞ」
俺は盾を構え直した。足元が若干ふらつくが、気力だけはまだ残っている。
ゴブリンたちが血走った眼でこちらをにらむ。こいつら、既に村の住民を殺したか攫ったか……考えれば考えるほど、胸糞が悪い。
「行くぞ、リーダー」
マリナが声を掛けてくれる。
俺は頷き、足を踏み出した。
ゴブリンが突っ込む。
瞬時に、俺が盾で受ける。衝撃がズシリと右腕に伝わり、歯を食いしばる。
リュカが横から矢を射るが、狙いが外れ、棍棒を持ったゴブリンにかすめるだけだった。
「くそ、暗いと狙いにくい!」
リュカが焦る声を上げる。マリナが前線に回り込み、素早い動きでゴブリンの脇腹を斬りつけた。
刃が骨に当たった音がして、ゴブリンが絶叫する。
しかし、敵の数が多い。
次々と襲いかかるゴブリンの群れ。俺たちは4人で踏ん張っているが、疲労の蓄積が厳しい。
フェイの癒し魔法も残量が少なく、致命傷は防ぎきれないかもしれない。
いっぽう、ホブゴブリン級と思しき個体が2体もいる。
そのうち1体は錆びた剣を握りしめ、低い声で唸りながらこちらをうかがっている。
もう1体は、まるで指揮官のように他のゴブリンを指示し、包囲の布陣を崩さない。
「まずい。これ、ガチでリーダー格だ……!」
マリナが血を拭いながら叫ぶ。息が上がっている。
リュカは矢をつがえるが、その腕も震えていた。
俺の足元にゴブリンの刃がかすり、火花が散る。
盾で何とか弾くが、俺ももう限界が近い。ふと、遠巻きのリュカと視線が合う。
(このままじゃ、押し潰される――?)
そのときだった。
ドォン…… と、地鳴りのような音が聞こえた。
振り返ると、闇の向こうに大きな影が動いているのが見えた。こちらへ近づいてくる……いや、地形が揺れているように感じるほど、大きい。
何かの魔物か? それとも、さらに厄介な敵?
俺は咄嗟に盾を構え直そうとしたが、体が動かないほど疲れていた。
「な、なんだ……あれ……」
マリナの声が驚きに染まる。リュカも矢を放つのを忘れ、口を開けていた。
その“影”は近づくと、ゴブリンたちの後列を一瞬で薙ぎ払った。
いや、厳密には触れただけかもしれない。けれど、ゴブリンが数体吹き飛び、地面に転がる。
沈黙。
この場にいる全員が、何が起きたかわからなかった。
そして――月明かりの中、その正体が見えた。
7メートルはあろうかという巨大な人型のシルエット。
ショートボブの金髪が、闇夜の中でほのかに光を反射している。女性……? まさか、人間なのか?
ゴブリンどもが一斉に動揺する。先ほど指揮官じみた動きをしていたホブゴブリンが、喉を鳴らして後退しようとした。
そのとき――巨人の脚が、静かに地面を踏んだ。
ズゥン……
それだけで空気が震え、地面がわずかに沈む。
リーダー格が一瞬にして体勢を崩し、ゴブリンどもが悲鳴を上げて左右に散る。圧倒的な質量差。もはや相手にならない。
「……どうやら、間に合ったわね」
女性の声が聞こえた。落ち着いた、低めのトーン。
俺たちは、その声にぼう然としていた。まさか“人の言葉”を話す巨人がいるなんて。
彼女は、手を伸ばした。
ホブゴブリンが恐慌状態で振りかぶるが、その巨腕(いや、人間の腕?)にぴたりと掴まれる。
ゴブリンの巨躯が、おもちゃのように宙づりになり――次の瞬間、地面に落下させられ、そのまま気絶した。
残りのゴブリンたちは、この瞬間を見て一斉に逃走を図る。
彼女は追いかけない。むしろちらりと村の様子を見回し、俺たちの方にゆっくりと向き直った。
そこに立っていたのは、紛れもなく人間の女性だった。
……規格外に、巨大すぎるだけだ。
足元には大きなブーツ、鍛え上げられた胴体や腕がはっきり見える。けれど、その顔立ちは整いすぎていて、まるで夢の中のように感じられた。
俺たちは言葉も出せずに立ち尽くす。
疲労と衝撃と、まさかの光景……全部が一度に襲ってきて、思考が止まる。
女性が、すっとしゃがみ込んだ。
7メートルの体躯が地面に近づくと、普通なら考えられないほどの威圧感がある。だけど、不思議と怖さ以上に“安心”があった。
「怪我は……大丈夫?」
その声は静かで、どこか優しげだった。
マリナが膝から崩れ落ち、笑うように呼吸を整えた。
「……なんとか、まだ生きてる……」
フェイは必死にみんなの傷を確認している。
リュカは矢筒を抱えたまま放心状態。口が開いて閉じない。
俺はようやく言葉を振り絞る。
「……あ、ありがとう……助かった……」
「気にしないで。私も、たまたま通りかかっただけ」
そう言って、彼女はゆっくりと立ち上がる。
頭上の月明かりに、彼女の金色のショートボブと穏やかな瞳が照らされる。
「ここは、もう危ないから……もし力が残っているなら、明かりのある場所で休んだほうがいいわ。村の状況も、私が確認してみる」
俺たちは声も出せず頷いた。
リュカがようやく口を開きかけるが、うまく声にならない。
すると彼女は小さく微笑み、そっと背を向けた。
夜風が吹き、草が彼女の足元でわずかに揺れる。大きな足跡が地面に残り、まだかすかに熱を帯びていた炎の光が、その輪郭を浮かび上がらせる。
「……本当に、何者だ……?」
マリナが呆然とした声を漏らす。
フェイは、怪我をした腕に回復魔法を当てながら、か細い声で言った。
「……人……だよね? でも、あんな大きさ……」
「俺たちよりも、ずっと……」
リュカが言葉を続けようとしたが、出てこない。代わりに、沈黙が降りる。
不思議なほど、敵が消えた村は静かだった。
遠くで倒れたホブゴブリンの呻き声が聞こえる。そこまで確認してくれたのか、彼女の姿はもう見えない。
やがて俺たちは、全員の生存と軽い負傷だけで済んだのを確認すると、村のまだ無事な一角に身を寄せ合った。
まるで嵐が過ぎ去った後みたいだ。ゴブリンの一団を蹴散らした“あの人”――
「一体、なんだったんだ……」
その疑問だけが、頭の中を巡る。
巨大なシルエット、優しい声、ゴブリンをほんの一瞬で屈服させる圧倒的な力。
リュカがようやく落ち着きを取り戻し、ぽつりと言った。
「……噂、聞いたことがあるんだよ。辺境に“巨人の女戦士”が出没するって。こりゃ本当だったんだな」
「そんなん……誰が信じると思う?」
マリナは苦笑まじりに返す。フェイは静かに目を伏せていた。
俺は、立ち上がろうとするが、足に力が入らなかった。
「明日になったら、改めて村の人を捜してみよう……今は動けん。けど……あの人……何者なんだろうな、本当に」
脳裏に焼き付いた“巨人”が、夜の暗闇の向こうに消えていくイメージを反芻する。
ゴブリンよりも、遥かに得体の知れない存在。
けれど不思議と、俺たちには“敵”だとは思えなかった。むしろ、その大きさに救われたのだ、と心が強く実感している。
こうして、俺たちD級4人は、謎の巨女に救われた。
次に会うとき、俺たちはちゃんと礼を言いたい。
あの巨大な目を、今度はまっすぐ見上げて――“ありがとう”と伝えたい。
そう思いながら、俺は夜の空にかすかな星を探した。
炎はだんだんと落ち着き、闇が深くなるにつれて、俺たちは小さな、けれど確かな希望を胸に眠りに落ちていった。




