閑話:鍛錬の日
風の穏やかな午後、街から少し離れた草地の広場に、どこか楽しげな声が響いていた。
「いくわよ、カイ。次は警告なしで踏み込むわ」
その言葉に、カイは反射的に跳ね起きた。
「ちょ、ちょっと待て! 心の準備が!」
リアーネの巨大な右足が、ぐう、と持ち上がる。7メートルの彼女の脚、それだけで建物一つ分の迫力だ。影だけでカイの全身を余裕で覆い尽くす。
だがこれは訓練。リアーネが提案した、“踏み潰しを避ける”実戦形式の回避練習だった。
「……来るよ」
ブーツが、唸るような風をまとって振り下ろされる。
カイは跳ねるように転がる。直後に**ズドォン!**と地響きが広がり、草が吹き飛んだ。
「ギリギリね。影から逃げ切る判断が良かったわ」
リアーネはゆっくりと足を引き、わずかに笑う。
カイは地面に手をつき、呼吸を整えながら叫んだ。
「スピード早すぎ! 風で目が開けられねぇよ!」
「まだ本気の半分。草原だから優しくしてるつもりだけど?」
そんな会話を挟みながら、カイは何度も跳び、転がり、反応を磨いていった。
そして迎えた最終回。
「……はい、これは――真上よ」
一瞬にして、世界が暗くなった。頭上の光が奪われる。影がすべてを覆い、風が体を押しつける。
カイは、迷わなかった。
回転――地面に体を預け、重力を使って前転する。
ズゥゥン!
そのすぐ後ろ、巨大なブーツが地面を揺らし、草が大きく波打った。
「……よし、成功!」
リアーネは、微笑んだ。
「合格、ね」
休憩中。ふたりは並んで腰を下ろし、水筒を分け合っていた。
リアーネは、座っていてもカイの目線より高い位置にいる。
「なあ、そういえばさ。腕相撲って、やったことないよな」
カイが言った。
リアーネは目を瞬かせる。
「この体格差で?」
「俺の全力と、姉ちゃんの“小指一本”で勝負だ」
リアーネは笑った。
「ふふ……面白いわ。いいわよ」
カイは構える。リアーネは膝を立てて座り、小指一本を差し出す。
「いくぞ……!」
「始めて」
カイの全力の押しに、リアーネの小指はびくともしなかった。
「……うぅぅぅ……!」
「ごめんね、力、入れてないの」
10秒後、カイの腕はぺたりと地面に倒れた。
「……完敗……!」
リアーネは彼の頭を軽くぽんぽんと撫でた。
「じゃあ、次は“両腕で本気”で挑めるように、鍛えておきなさい」
夕暮れの風が、ふたりの間をやさしく吹き抜ける。
「俺、いつか勝てるかな……?」
「本気の私に? ……十年後かしら」
「おい、笑うなよ!」
「ごめんごめん。でも、その時が来たら、ちゃんと“全力で”勝負してあげる」
その日、リアーネは成長しなかった。
けれど――絆だけは、確かに強くなっていた。




