第27話 博打
東は銃を持たずに背後の森をじっと見下ろしていた。風の中を潜む敵の気配、揺れる枝葉の一振れすら逃すまいと、目を凝らす。
「動くか?」
静かに問う東に、畑は首を横に振った。
「居場所が割れてた方が、誘い出しやすい」
声は低く、感情の温度が感じられない、まるで銃そのものが言葉を発したかのようだった。
畑はようやくライフルを構えると、辺りの空気をなめるように読み取り始めた。
風の流れ、葉の揺れ、空気の震え――それらが告げる異物を探す。
やがて、一枚の葉が風向きと逆に揺れるのを見逃さなかった。
銃声、乾いた破裂音が静寂を切り裂く。
命中――だが、それはゾンビだった。膝から崩れた屍体を見て、畑は目を細めた。
「殲滅が甘いな」
「報告案件だな」
東の声もまた、どこか他人事だった。
一方、勝治は身につけた装備を確認する。
拳銃、毒島の散弾銃に、ソードオフの散弾銃、ナイフ2本。そしてバール。街でかき集めた弾丸も残っている。だがスナイパー相手にこの武器では、距離を詰める他に勝機はない。しかも敵の正確な位置は、まだ掴めていない。
もう一発撃たせることはできない。
あの一発――左腕を抉った鋭い痛みと共に今も焼き付いている。
けれど、立ち止まるという選択肢は、初めからなかった。
「ここで待ってろ」そう萬に言い残した。
「……何処にいるかも分からないんでしょ?」
「だったら、ここで腐るか?」
萬の言葉を切り捨てると、勝治は散弾銃とバールを手にして、木々の幹を縫うように山を登り始める。
脳裏に焼き付いた、あの閃光の位置。それだけを頼りに、慎重に、しかし迷いなく進む。
「動かないよな、……動けないはずだ」
泥で身を隠し、ワン太の陽動にかけた第一作戦は成功した。だが、ここからは完全なる博打。踏み出すたびに、命を削っていく感覚がする。
――焚き火がまだ灯るキャンプ地。そこだけは未だ生の匂いが残っていた。
けれど、地面には異変があった。濡れた落ち葉、泥に沈んだ地形、勝治が仕掛けた罠の痕跡が微かに残っていた。
「本当に、まだ動かないんだな」
東のつぶやきに、畑はマスク越しにも明らかな嫌気を見せる。目を細め、軽くため息を吐いた。
「撃ち返してこない……つまり、感染者用の武器しか持っていない」
冷たい声が風に乗る。東も納得するように頷いた。
その時、赤外線スコープが熱源を捉える。
「11時方向……下だ」
畑がスコープをのぞき込む。勝治が、今まさに獣のように息を潜め、気配を殺していたその場所に照準が合う。
だが地形は最悪だった。地滑りの影響で木々はほとんどなく、遮蔽物がない。気づいた時には、頬をかすめる銃声。勝治は即座に藪へ飛び込み、腹ばいになって移動する。
汗と泥が混じり、額から流れ落ちる感触。
眉間にしわを寄せながら、勝治はつぶやいた。
「やるしかねぇな」
「次は仕留めろよ」
「もう外さない」
畑が目を光らせる。勝治の位置は、もうわかっている。
だが、その時だった、針葉樹の幹に、一瞬だけ反射する光。
畑が反射的に引き金を引く。
だが――それは陽動だった。
左側から飛び出した勝治が、吠えるようにショットガンを射撃、弾は東の左腕をかすめた。
「……掠めただけか、やるじゃん」
だが状況は厳しい、銃身の短い散弾銃では距離が足りない。
位置もバレた、だが勝治は止まらない。
むしろ、走る。
木と木の間、剥き出しになった地面を踏みしめ、ただ前に。
笑う東、苛立つ畑、空気が熱を帯びる。
「撃ち殺しちまえよ、あんなの」
返事はない、畑の視線は、勝治の動きに集中していた。
「もう少しやれると思ってたのに……ふざけんなよ」
一発、わざと外す、東が笑う。
そして畑は残り2発、照準を進行方向に合わせる。
「死ね」
その瞬間だった。
勝治がピタリと止まり、ゆっくりと彼らを見た。
表情は……笑っていた。
月明かりに照らされたその顔は、妙に満足げだった。
違和感――畑が何かに気づく、左側。
鋭い痛み。
「ッ――!」
腕に走る激痛、無理やり背をよじらされる、背後に回り込んでいたのは、漆黒の毛並み――ワン太だった。
軍用犬の本能と訓練が完璧に発揮されていた。仲間の誤射すら誘うように、腕を捻じり上げる。
「このッ……!」
東がナイフを振りかざす。
だが、その手が吹き飛ぶ。
銃声、爆音と共に、肉と骨が夜空に飛散する。
続けざまに腹部にもう一発。
東が呻きながら崩れ落ちる。
視界が暗くなる中、手を伸ばす。だがその先には、勝治の影。散弾銃がこちらを向いている。
「いつの間に……」
ワン太が畑の腕から離れた瞬間、勝治は東の頭に引導を渡し、すぐさま畑に銃口を向けた。
「新政府か」
「さあね」
静かに、冷ややかに返される。
勝治の指が引き金にかかる。
「そんなに、アイツを殺したいのか」
畑は静かに顔を上げた、マスクを外す。
現れたのは、剃り上げられた頭と、顔中に刻まれた傷。けれど、整った顔立ちがそこにはあった。女――それも、美しい。
背筋がぞくりとした。
「殺したい? 違う、わたしはただ……彼女が、わたしを見つけてくれた。あの日からずっと、彼女のためなら何でもできる」
それは信仰だった、神への、絶対への。
勝治は情報を引き出すのは無理だと悟ると、銃口を向けたまま警告する。
「動くな」
だが畑はナイフを抜き、刺しにかかる。
勝治は左手でバールを振り、ナイフを弾く。その隙に体当たりをかますと、畑の身体が崖を滑り落ちていく。
月明かりの向こう、森の闇に消えた。
勝治はその先を覗き込み、ひとつ息を吐いた。
「……来るなって言ったろ」
驚いたように跳ねた萬の肩に、ワン太が飛びつく。
嬉しそうに尻尾を振って、顔を舐め回す。
「よかった……生きてたんだ」
勝治は萬に歩み寄ると、バックパックを受け取り背負い直す。
左腕の包帯は、赤黒く滲んでいた。
「ここも長くはいられない、行くぞ」




