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ぼくたちの黙示録  作者: 野蒜
新政府
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第25話 好きにしろ

「離してよ!!」


喉が裂けるような萬の叫びが、森の静寂を裂いた。


しばらく走った後、彼女は勝治の手を乱暴に振りほどき、肩で大きく息をしながら、唯が取り残された街の方へと踵を返す。


「行くな萬!!」


「なんでよ!! まだ──まだ間に合うかもしれないじゃん……!!」


涙に濡れた目で怒鳴る萬の声は、希望ではなく、願望だった。


分かっている、分かっているけど、止まれない。後悔が彼女の背を押す。


そのときだった。


地鳴りのような轟音が空を裂き、耳をつんざいた。


空が燃える、焼けた風が頬を叩く。


唯のいた街が──世界ごと消し飛ばされるような爆発だった。


「……そんな……っ」


目を見開いたまま萬はその場に崩れ落ちた、膝が、足が、もう支えてくれない。


地面に手をついて、嗚咽が漏れる、喉の奥から震えるように溢れる叫びは、涙と混じって、土に吸い込まれていった。


その空に、黒煙と炎が混じったキノコ雲が、重々しく立ち上る。


勝治は、ただそれを見上げていた。


唯の声が、姿が、ぬくもりが──雲の中に消えていった気がして、胸の奥が握りつぶされそうだった。


自分のせいで、とは言えなかった。ただ唇を噛み、萬のそばへと歩み寄る。


──それでも、立ち止まるわけにはいかない。


「……!」


そっと肩に手を置こうとした瞬間、萬はその手をはねのけ、顔を上げた。


「触らないでよ!!」


涙でぐしゃぐしゃになった顔には、怒りでも憎しみでもない、どうしようもない哀しみがこびりついていた。


勝治は何も言わない、ただもう一度、彼女の手首を掴み、歩き出す。


福井の海岸線の中間地点、まだ京都までの道のりは遠い、けれど止まってしまえば、唯の死さえも意味がなくなる気がした。


夕陽が沈む、赤く、あまりにも綺麗で、残酷なほどに平和だった。


2人の影が長く伸びる。

万の足取りは重いが、勝治の背中を追っていた。


──唯を背負って、彼女の分まで、生きなければ。





死にものぐるいでゾンビたちを撒き、望まない撤退を選んだ真壁たちは、星空の下、通信機器の復旧を待っていた。


焚き火の火は小さく、風に煽られては消えそうになり、その明かりの中で彼らは無言のまま、じっと夜の気配に身を沈めていた。


かつては精鋭と呼ばれた小隊。しかし今、半数以上の仲間が地に倒れ、誰もがその姿を──焼け焦げ、喰い荒らされた死体を──思い出すたび、唇を噛みしめた。


真壁もまた、何度も目を閉じ、まぶたの裏に浮かぶ仲間の顔を振り払おうとした。


「……繋がりました」


通信兵がようやく、満身創痍の手で修理を終える。


真壁はそれに頷くと、受話器を手に取った。


「北条」


「撤退、したのでしょう?」


受話器の向こう、耳に届いたのは、あまりにも優しすぎる女の声だった。


まるで、最初からすべてを見ていたかのように。


それでも、真壁は驚きもせず、ただ苦笑を浮かべる。


「……ああ。あの地獄で、正解なんてなかった」


声が少しだけ震えた、負けを認めた男の声だった。


「彼女だったの?」


その問いに、真壁はポケットから一枚の写真を取り出した。

子どものように笑う少女、その面影が、今日見たあの女と重なる。


年齢は違えど──何かが引っかかる、確信めいた“何か”が、胸に居座る。


「……あぁ、そうだ、俺らが探してた“答え”が、あそこにあった」


沈黙の後、北条が息を吐くように呟く。


「そう……よろしく頼むわね」


通信が切れる。

その場に残ったのは、妙な余韻だけだった。


無言で機銃を抱えた兵士が、真壁に尋ねる。


「……計画は?」


真壁はしばらく、唸るように考え込む。

そして──ふいに笑った。


それはどこか楽しげで、戦場の男らしさが滲む笑みだった。


「もし……あの子が“ヨコヤマカオル”なら、岡山の連中は黙っちゃいねぇだろうな」


その言葉に、周囲の兵士たちの目が鋭くなる。


情報がつながった。渡し屋の死も把握済み。

──すべてのピースが、今、真壁の頭の中で噛み合った。


「このまま俺たちは基地に戻る、あいつらが危険を避けるつもりなら、真っ直ぐ進むはずだ」


そして、通信兵へと鋭く命じた。


「滋賀と三重の偵察部隊に伝えろ、ターゲットは“女二人と男一人”、警戒は怠るな」


返事を待たず、真壁はバギーに乗り込む。


星空の下、バギーの唸りが響いた。

沈黙の夜に、再び殺気が灯る。





新政府本部の一室、金網と鉄板むき出しの部屋には、場違いなほど繊細な空気が流れていた。


ベッドに腰掛ける薄衣の女、北条。


彼女はスポットライトが照らす地面を見下ろしながら、手元の一枚の紙に目を落とす、兵庫中央──赤丸で囲われた「泉」の場所。


その視線に、わずかな怒りと焦りが滲んでいた。


ふいに咳き込む、激しく、止まらない。


手の甲を見れば、皺が消え、若返ったかのような滑らかな肌が現れていた。


「……もう、時間がないのね」


吐き出すような声は、どこか安堵にも似た諦めを孕んでいる。


窓の外には、三日月が浮かんでいた。青白い光をたたえながら、ただ静かに──


この世界の終わりを、見下ろしていた。





しばらくのあいだ、勝治たちは視界の悪い森の中を慎重に進んでいた。


高く伸びた針葉樹は、夜風に揺られて呻くような唸り声を上げ、不安を煽るように頭上を包む。


葉擦れの音、揺れる影。

闇が深まるにつれて、何かが潜んでいるような気配が肌を撫でていく。


──その時だった。


どこからか、乾いた土を蹴るような軽やかな足音が響いた。


最初は風かと思ったが、すぐにそれが“何か”の接近音だと分かる。


足音は、こちらへ向かって真っ直ぐに近づいてきていた。


勝治はすぐに察し、無言で銃のトリガーに指をかけ、萬の前へと立った。

その背中には静かな決意と、迫る危機への覚悟がにじむ。


──しかし。


月光の差す小さな隙間に現れたその影を見て、勝治はゆっくりと息を吐いた。


黒いシルエットが木々の間から現れ、月の光を浴びてその姿をあらわにする。


それは──

あのコンビニの廃屋で別れた、あのジャーマン・シェパードだった。


「……お前、追ってきたのか」


思わずこぼれた勝治の言葉。


萬は、張りつめていた糸が一瞬で切れたように、そろそろと歩み寄り、犬の顔を見た。

その目が潤んだかと思うと、ぽろぽろと大粒の涙が頬を伝い落ちていく。


「……来てくれたの……」


その声は震え、かすれ、けれども確かに感情で満ちていた。


萬はしゃがみ込み、ジャーマン・シェパードの首元に腕をまわして抱きしめた。

犬は何も言わず、ただ静かにその身体を萬に預けた。


勝治は銃を下ろし、微笑みながら傍に腰を下ろす。


責める言葉も、問いただす声もなく、ただ静かにその情景を見守った。


「……ワン太にする」


萬は涙を拭いもせず、そう呟いた。

声は弱々しかったが、その言葉にはしっかりとした意思がこもっていた。


勝治の脳裏には、これからの道のりやリスクが一瞬で駆け巡った。

犬を連れていくという選択、それが意味するもの。


だが。


萬の小さな背中と、その腕に抱かれた犬の穏やかな瞳を見た時、何かが静かに崩れた。


「……好きにしろ」


それだけを言い、勝治は立ち上がった。

萬も頷き、小さく「うん」と返す。


こうして、二人と一匹は再び歩き出す。

喪ったものも、得たものも、それぞれに胸の奥で抱えながら。


森を抜けた先に何があるか分からない。

けれど、今はこの静かな絆だけが、彼らの足を前へと進ませていた。

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