第20話 結末
「よせ!!」
聞き覚えのあるその大声に、萬は飛び起きる、冷や汗を拭いながら辺りを見回すと、すぐ横には唯が穏やかな顔で眠りにつき、出入口にはバールを手に持った勝治が、壁に背をつけうつむいている。
どうやら夢であったと安心し、萬は2人を起こさないようにゆっくりと布団から出ると、寝汗でベタついた体を流そうと縁側からサンダルを履いて、外へと出る。
空は日が登り始めたのかほのかに明るくなっていたが雲行きが怪しい、空気は珍しく冷え、ほんの僅かに塩素の様な匂いが萬の鼻を横切っていく。
「雨でも降るのかな」
小さく呟いたあと、ふと違和感に気づく、畑の土を一掴み手のひらに乗せて砕くと、畑と自身の手に乗った土を見る。
双方どちらも乾き切っていた、水やりをサボったのかと萬が首を傾げた時、納屋から物音が響く。
初めてここに来た時から納屋が気になっていた萬、物音もそうだが、畑の状態の事を毒島に問いたいのもあり、萬は納屋の扉に手をかけた。
大きく木の軋む音と共に開かれた扉、薄暗い中をゆっくりとぶつからないように歩いていく、進むと共に、萬が何か音をたてると呼応するように鳴る物音は大きくなっていく。
恐怖で音を立てないように、それに優る好奇心によって更にまで進み、様々な農具や箱が山積みになっている突き当たりまで来る、物音の正体はどうやらその奥だと踏んだ萬は、冷や汗を顎の下から滴らせるほどの集中力を見せていた時、突然その肩を何者かに掴まれる。
焦って振り返るとそこには、バールを肩に掛けて持った勝治が、呆れた顔で立っていた。
「何してんだ?」
なんの気もなく勝治が問うと、それに呼応するように、今まで聞いたことがない程大きな物音が奥から響く。
勝治はすぐさまバールを両手で握り、前に持つと、それを見た萬もすぐ横にあった熊手を掴む、そして勝治が物音のする方と萬の間に立とうと1歩踏み出した時だった。
木が割れる音共に積み上げられた物が崩れ、それに気づいた勝治が前に出ながら萬を背後へと突き飛ばす。
砂埃にやられた目を擦りながら、下敷きになった勝治を引っ張りだそうとした時、萬に何者かが飛びかかり、馬乗りの状態になる。
「ひロドグンンン」
窓から差し込んた陽の光でその顔が見える、顔の左半分がキノコ類に犯され、黄色く固くなった肌を静脈痕が隆起させていたが、萬がみた写真の人物、凛子なのは確かだった。
名前を呼ぼうと萬は口を開いたが、すぐに喰らおうと大きく口を開いた凛子を見た萬は熊手の柄を横に持ちそれを防ぐ。
感染してから日が浅いからなのか力は凄まじく、萬の力を持ってそれを跳ね除けるのは叶わない、ひたすら耐えるのみで、柄も木製で余程脆いのか軋み、今にも折れてしまいそうだった。
食らいついた柄と凛子の口の隙間から、萬の方へと菌糸が揺らめいて伸びていき、それを避けようと顔を逸らす。
勝治もなんとか物の山から這い出でると、バールを強く握り直し、誰かも分からないまま、凛子の頭を強く叩く、割れた頭蓋骨から赤と黄色の液体が流れ出したが、それでも構うことなく萬を見ている凛子を退かすため、その横っ腹に前蹴りを入れようとした時だった。
納屋の扉が開かれた、一気に眩しくなる視界に咄嗟に手で光を塞ぎながらその人影を見る、そこには猟銃を構えた寛人が立っていた。
「毒島!!」
勝治は慌ててそう叫ぶが、その銃口が目の前のゾンビには向けられず、ゆっくりと勝治のほうへ向いていくのに気付き、崩れた荷物の後ろに隠れる、すると密室により反響した銃声が萬と勝治の耳をつんざき、所詮荷物の集まりであるが故、弾丸は遮蔽物をそのまま貫き、這いつくばっていた勝治の背中を少し掠めていく。
「俺だ!!毒島!!」
寛人は震えながらもう1発を撃ち、素早く装填、この1発で勝治は間違いでは無いことを理解した。
「分かってる」
寛人のそんな一言は、震えてか細い物だった。
「なんで!!」
萬もそう叫ぶ、しかし萬の中で答えはいとも容易く導き出されていた、それは情、その中でも悲しみと喪失感だと。
萬の目の前には、目と歯を剥き、美しかったであろう肌は土気色に薄汚れ、面影は目の下の泣きぼくろのみとなっている。
しかしそんな姿でも大切な存在なのだと、寛人の話をしている時の表情から、萬は感じていた。
「銃を下ろしてください」
そんな中、音を聞き付けた唯が、寛人の後ろに立ち、その後ろ姿に向けて拳銃を構えそう呟く。
しかし寛人もこんな世界をここまで生き残ってきた男、それに臆することなく続けた
「それより前に、どっちかを撃ち殺す自信はあるよ」
2人の額には汗が滲み、必死に耐える萬のうめき声だけが納屋に響く。
「合理的に動くんじゃなかったか?」
勝治が皮肉交じりにそう叫ぶと、寛人はそれに返答せず、後ろからゆっくりと近づく唯に向けて叫んだ。
「動くな!!」
唯がもう生かすのは不可能と、意を決して後ろから撃とうとした時だった、萬は涙を流しながら言葉をひねりだす。
「助けてなんて、言ってもしょうがない、よね」
そんな弱々しい言葉に寛人の引き金に掛けた指の力が少し弱まる。
「大切な人なんだもんね、これから楽しくなってくはずだったんだよね」
「萬ちゃん……ごめ」
寛人の謝罪を、萬は遮った。
「でもこんなの、凛子さんじゃない!!毒島が」
萬は夜中にこっそり見た新聞のアルバムに書かれた、毒島の名前を思い出す。
「寛人が大切に思えた凛子さんじゃない!凛子さんも、寛人だってこんなの望んじゃいないでしょ!!」
「君に何がわかる!!」
「毒島さん!!」
寛人が引き金を絞る直前にまで力を込め、唯もまた叫びながら撃とうとする中、萬は力みながらも優しい声で呟いた。
「分かるよ、話してる時の寛人とは、顔が違う」
萬の力も、熊手の強度も限界を迎えるその時、寛人の視界は涙に揺らいでいた。
そんな中、1発の銃声が鳴り響き、寛人のその表情は、悲しみに歪みきっていた。
萬は首筋を手で抑えながらうつ伏せに身をよじらせる。
そんなすぐ横に、頭部の大半をそこらじゅうに飛び散らせた凛子であった者が、血を吹き出しながら横たわっている。
慌てて唯が萬の元に駆け寄り、勝治が今だに銃を構える寛人との間に立ち、落ち着くようにと声をかけ続けながら距離をつめる。
「毒島、俺の目を見ろ、凛子のことは残念に思う」
しかし寛人は目を泳がせ、苦しむ萬の姿を見て歯をカチカチと鳴らす。
「僕はなんて事を」
寛人はそう呟き、唯と勝治を交互に見ると、最後に手にした散弾銃の銃口を口にくわえた。
そんな姿を見た勝治は、血の気が引いて冷や汗が背中を流れ落ちていく感覚をおぼえ、右手を寛人の方へと突き出す。
「よせ!!」
そんな勝治の必死の訴えは意味もなく、引かれた引き金によって出た散弾は、無情にも寛人の頭部、顎部から上を開花した花のように破裂させ、力を失った体がゆっくりとうつ伏せに倒れ、血と肉が地面に散らばる。
唯も勝治も、その光景に言葉を失うしかなかったが、勝治はすぐに振り返り、萬の状態を見る、すると首を抑える手の指の隙間から血が滲んでいることに気づく。
「私のせいだ、私のせいでこんな、ごめんなさい、ごめんなさい!!」
「萬、その手どけろ」
その言葉に萬はうずくまる中動きが一瞬止まり、見かねた唯がその手をどける。
そこには本来なら致命傷であるはずの噛みちぎられた跡があり、しかもその傷口を菌糸が蠢きみるみるうちに塞いでいく。
見たことの無いその光景に2人は各々武器を構えて、左手を前に突き出しつつ距離をとると、萬はゆっくりと立ち上がり、2人を見る。
「感染してるのか?」
勝治は息を荒らげながらそう問うが、萬は言葉を出さず、ゆっくりとうなずいた。
ため息をついて頭を掻き毟り、すぐにバールで殴りかかろうとする勝治を、唯は防ぎ、萬はすぐにズボンを軽く下げて、左脇腹からそけい部にかけて出来た歯型のような傷跡を見せる。
その傷口は既にふさがってから時間が経っているからか、蚯蚓脹れのように膨れてケロイド状になっている、それが意味することは、全く知識のない2人でも分かる事だった。
「発症してないんですか」
「それどころじゃ、ないよ……死にたくても、死ねないんだ」
安心しきった唯とは正反対に、警戒心を解かない勝治はバールを握ったまま口を開く。
「なんで黙ってた」
「今聞くことなの?寛人の事とか凛子さんの事!!襲われて辛かっただろうとかない訳!?」
「なんで!!黙ってた?」
勝治の頑なな態度に、萬はため息をついて答えた。
「高岸に言われたの、余程のことがない限り言うなって」
「こんな得体の知れないやつの運搬なら受け入れるべきじゃなかったかもな」
その返答に憤る萬の言葉を遮るように唯が大声をあげた。
「いや待ってください」
唯は寛人の亡骸をみて、ひとつの事を思い出す。
「新政府の言っていた、ワクチンの為に誰かを探してるって、もしかして萬ちゃん」
萬は首を横に振る。
「分からないよ、でもその人たちのとこじゃないってのは分かってる」
「何でそう言いきれる」
「新政府にあの人はいない、2人の友達なんでしょ?竜也って人は」
しばらく沈黙が流れたあと、唯が勝治に向けて静かにうなずくと、ようやくバールを下げた。
「行くぞ」
「待ってください」
唯は寛人と凛子を交互に見る、そしてその行動で察した勝治は、踵を返すと。
「埋葬だな、まったく」
3人はゆっくりと埋葬の準備を始めた。




