第16話 再会
更に3年がたった、凛子はいまだ寛人の家に住み、2人は協力して畑作業や、鶏の世話、たまに街に出て物資を漁ったりと、年月がたって二人の関係は違和感のないものになっていた。
勿論ゾンビたちの脅威は未だ忌まわしいほどに健在、何度も死にかけることはあったが、それでも何とか生きてきた。
寛人の体はすっかり筋肉質になり、昔の面影は赤髪と、ほんの少しまだ顔に残る脂肪のみ、すっかり逞しい男になっていた。
凛子もまた影のある暗い見た目から、キツネ顔ではあるが、口元のホクロが良く似合う、明るい女性になり、2人は今日も、畑に実る野菜たちに水を与え、鶏小屋の糞の除去や床材交換、卵の回収などを行い過ごしていた。
すっかり太陽はそらの1番高いところまで上り、2人を焼こうとばかりに照らし、寛人は汗を拭いながら、凛子の方を見る、すると凛子も鶏を撫でながら寛人のほうをみて、明るい笑顔を向けて手を振る。
「凛子〜、ちょっと休もうか」
「は〜い」
汗を手ぬぐいで拭き取りつつ、縁側に座り、いつもの調子で麦茶をヤカンでコップに注ぐと、2人はほぼ同じタイミングで一気に飲み干す。
長い時が経ち、勝治たち以外にも運び屋を受け入れ、更に効率的に情報を手に入れることが可能になった、勿論凛子が危険な目にあう事がないように人を選んではいる、盗賊のような輩はそれ相応の出で立ちで、慣れれば普通の運び屋に変装していても歩きかたや、武器の持ち方で分かるものだ。
情報を知れば知るほど、世界の今の在り方を知ることが出来た、船を使った移動をする渡し屋や、コロニー総出で武器や弾薬を作る所だってある、如何に自分の視野が狭いのか、嫌でも分かるものだった。
「水汲んでくるよ」
そう言って立ち上がり、蔵の裏手にある井戸へと歩き出した凛子の後ろ姿を見ながら、寛人は暗い表情をうかべた。
彼女と一緒にいるのは幸せだ、しかしいつかは居なくなってしまう、そしてこの日々が重なっていくごとに、過去に自身がしたこと、突発的な怒りに身を任せてしまった殺人、それは今となっては後悔に変わっていた。
やってしまったことに対する後悔ではない、他の道を見ることを放棄したそんな自分に対する後悔だった、そんな自分が幸せを噛みしめていのか、そしてまた1人になった時、自分はそれを耐えることができるのか、自信が無かった。
いっそのこと全て彼女に打ち明けるか、しかし彼女にはなんの関係もないどころか、そこまで話せるまでに至っていないという考えでそれは阻まれてしまう。
寛人はひとしきり考え、答えが見つからないまま、深いため息をついた時、蔵の裏から凛子の悲鳴が鳴り響いた。
「どうしたの!!」
いそいで井戸へと走った寛人が見たのは、ずぶ濡れになった凛子だった。
「ちょっと手を滑らせちゃって」
「怪我はないの!?」
すぐに駆け寄った寛人は、腰に下げたタオルで凛子を拭くと、思いがけずに、手が彼女の胸にあたり、驚いた凛子が思わず声を上げると、寛人もそれに気づいて顔を赤くして謝った。
「大丈夫、怪我はない」
凛子は恥じらいながらもはにかむと、寛人も安心したのかため息を漏らし、2人とも笑いあった。
その時だった、凛子は蔵よりももっと崖側、その端にある大きく積まれた石の墓標を目にする、寛人がたまにそれの前で暗い顔で押し黙る姿を見続け、この3年間、ずっと見て見ぬふりしていたそれについて問う。
「あれは、なんなの?」
寛人は凛子の目線の先を見て、少しの間口を閉ざすと、話し出した。
「母さんの墓だよ、5年前のあの時に死んだんだ」
「そっか」
凛子は濡れた服を脱ぎさり、汗で汚れたキャミソールをさらけ出すと、首にタオルをかけて歩き出し、墓標の前で立ち止まると、しゃがんで手を合わせ、しばらく目を瞑る。
その横へ寛人もしゃがみ、祈る事はしなかったが、そんな凛子の姿を見ていた。
しばらくして目を開いた凛子は寛人を見ると、悲しげな笑みを浮かべて軽く頷き、立ち上がった。
「やっと聞けた、なんで教えてくれなかったの?」
そんな問いに寛人は答えることが出来ずに、ただ押し黙り、凛子はため息をついて井戸の方へと歩き出すと、寛人はその後ろ姿に向かって、悲しげな声色で一言呟いた。
「心の、準備が出来たら話したい」
凛子はそんな寛人の答えに、優しい笑みを向けると。
「もう、随分長い間一緒に居るよね……隠し事は無しにしよ、お互い、私も、私の事話したい」
そう言ってピースサインを笑顔で突き出すと、井戸にまた歩いていき、水を汲み出した。
そんな凛子をよそに、ふと何かを思いたった寛人は、居室のひとつであった、今は新聞の切り抜きや写真のファイルを置いた部屋に、縁側で下駄を脱ぎ捨てるようにし、駆け足で廊下を走って向かう。
部屋に着くやいなや、部屋に入って右奥の隅の棚の下にある引き戸を開いて手に取ったのは、ひとつの古びてボロボロなポラロイドカメラだった。
街に物資を取りに行った時に見つけたそれに、電池とカートリッジが入っていることを確認した後に、それを持って凛子の元にまた走る寛人。
目の前にまで来て息を整えているその姿を見た凛子は、呆れたように笑ったあと、その背中をさする。
「どうしたの?」
寛人はそんな彼女の目を見たあとに、後ろ手に持ったカメラを見せて提案した。
「写真撮らない?僕たち2人の」
そんな提案に凛子は恥ずかしそうに笑うと、首を縦に振って、凛子自ら、寛人に肩を寄せる。
「これ動くの?」
「もちろん!1枚試したから大丈夫だよ」
そんな会話の後、2人はレンズ横についた鏡を頼りに画角に入ると、シャッターを押した。
その日は誰も来なかった、久しぶりの静けさに、2人は心穏やかに過ごし、ゾンビたちのことも忘れ、その日の作業で起きたアクシデントや、成果を語らい、オイルランプの揺らめく明かりの中で、2人は笑いあった。
そんな日々が続き、更に3年後、すっかり2人の生活も当たり前のものとなり、仕事にも心の余裕が出来ていた頃。
土砂降りの雨で作業は中止にし、2人はいつもの場所、縁側であぐらをかいて、降り止まない雨の音と庭を見つつ、今日も来るであろう運び屋を待ちながら、昼の食事を行っていた。
「竜也さんたち、しばらく来てないね」
凛子のそんな一言に、寛人は静かに頷く。
「今来てもぶどう酒もあまり無いから、寂しくなっちゃうかもね」
「会えるだけでも嬉しそうじゃない?貴方」
また凛子の言葉で恥ずかしそうに笑う寛人を見て、凛子も軽く笑う、確かに、2ヶ月に1~2回の頻度で竜也たち4人は、寛人と凛子の元に訪れていたが、ここ半年以上はあっていなかった。
こんな世界になってしまったからこその、最悪のケースを考えてしまうこともあったが、不思議とすぐにあの4人なら大丈夫、死ぬわけないと思えた。
竜也、敦、唯の話は、他の運び屋からも聞く、お人好しなくせに、敵に回せば容赦がない、仕事も、運び屋から殺しまで確実にこなす、しかし寛人が気になるのは勝治の事だった。
あの3人は度を越したお人好し、情け容赦ない事や非情な判断が出来るとは、長い間の友達として思えない。
それが出来るとしたら、勝治の他に居ないと、確信めいたものが寛人の中にはあった。
皮肉の籠った口ぶりや、その中にある確かな人間味は本物で、優しさも持ち得ているが、時折見せる徹底的な殺意と怒り、そして冷たさを、寛人はもちろん、凛子も感じているようで、恐怖を感じる事もある。
しかしそんな勝治を、寛人は一番の友達と固く信じていた、だからこそ、今日こそ来るのでは無いかと、恐怖からではなく、恋い焦がれる少女のように、2人はあの4人を待っていた。
そんな時、大型トラックの腹に響くようなエンジン音が山道の下から鳴り響き、それは徐々に近づいてきていた。
それを聞き付けた凛子はすぐに立ち上がると、門に向かって寛人の方を見ながら走り出す。
「来たかもよ!」
ここ2年間は略奪者やならず者共、ゾンビたちにはこの拠点では会っていない、そんな油断から寛人はゆっくりと立ち上がって凛子の後ろを追いかけるように歩き出した。
この日常は崩れるわけがないと、なんの根拠もない楽観が、2人の心の奥底に焼けてこべりついてしまっていた。
トラックは拠点の前に止まり、何人かの水溜まりを踏みしめる足音が聞こえ、凛子は閂を外し、1つ目の門を開いた。
そして電気の流れる金網越しに凛子が見たのは、竜也たちの姿ではなかった。
3人の男、スキンヘッドで上半身は裸、迷彩色のカーゴパンツに黒の半長靴を履いた者たちがそこに立っていた。
そしてそんななりよりも、もっと印象付いたのが、見える肌に所狭しと刻まれた、焼かれ、斬られ、打たれたと思われる、生々しい傷跡だった。
その目の瞳孔は3人とも極限まで開かれ、曇天の元であるにしても、その瞳には一切の光がなかった。
3人の手には、斧やナイフ、ナタがあり、忙しなく小刻みに動かしつづけていた。
凛子がそれを見て固まっていると、その前に凛子を背後に回して守るように、寛人が割って入る。
「なんだお前ら、何しに来た」
完全なる油断、確認と危機管理不足、後悔あとに立たずはこのこと、まともな相手では無いことは目に見えていた。
しばらく無言の睨み合いが続く、しかしその3人組の真ん中、特に傷が深い男が、電流の流れる金網にめいいっぱい近付くと、寛人の顔を舐めるように見る。
しばらくそうした後に、男は指をさして、狂ったように笑いだし、後ろの2人もわざとらしく声は出さずにニタニタと笑う。
「毒島だ、毒島だよほら!!痩せたから間違えたかと思ったぁ」
寛人はその声と喋り方に聞き覚えがあった、思い出すため、雨に濡れながらその顔を凝視した時、気づいてしまった。
目の前にいる男の正体に。