第15話 心を決めて
眩い閃光と耳を劈く爆発音が鳴り響く、しかし異形の姿はそこには無かった。
遅れて肉が血を撒き散らしながら地面に叩きつけられ、彼女は恐怖に固まりながらも寛人の方を見て唖然としていた。
「なんで」
彼女のそんな振るえた声に、考えるよりも先に寛人は振り返った、そこには笑みを浮かべた異形が覗き込むように寛人の顔を見ていた、頬にはえぐれたような深い傷があり、確かに寛人の放った攻撃は命中していた事は明白だったが、それと同時に、この異形は異常に早い速度で移動していることもわかってしまった。
「この!」
寛人は再び銃口を向けて引き金を引くが、既に2発放ったが為に既に弾切れ、彼女もまた引き金を引くがカチカチと空虚な金属音を鳴らすのみで、弾がもう無いことは分かった。
心做しか煽るような笑顔をうかべた異形、楽しむようにゆっくりと寛人の方へと顔を近づけ、寛人がそれを見たまま固まる中、彼女は最後の勇気と力を振り絞り、割れた木材を手に走り出したが、寛人の目前に迫る口にもう間に合わないのは明白だった。
寛人ももうここまでかと強く瞼を閉じた時、火薬の炸裂する強い破裂音が1発鳴り響いた。
ゆっくりも目を開いた寛人、その視界にはその眉間から血を吹き出す異形と、音に怯んだ彼女がうつり、音の主がいるであろう門の方を見る。
そこには青く伸びた短い髭、漢気に満ちた面立ちをし、頭を丸めた、右足に半分に切った野球バットを義足代わりにはめた男が水平2連散弾銃を構え、その銃口からは硝煙を揺らめかせていた。
「ヒーローの参上だ!」
そう言ってもう1発、異形の脚に撃ち込むが、異形の脚部全体の筋肉が爆発しそうなほど膨張すると、まるで消えたようにその場から移動し、義足の男の元に走り出すが、到達の前にまた1発、義足の男の後ろから走って来た男がその足に向けてバールを、走ったままの勢いで振るうが、あまりの衝撃に異形だけでなく、その男もその場に背中から地面へ吹き飛ばされるように倒れるが、すぐさま起き上がり、手の痺れを振るう。
その男は、まさに勝治であった。
「やれ!」
その掛け声と共に、地面に倒れた異形の頭に向けて、義足の男と勝治を抜いた残り男女2人が、拳銃を異形の頭に向けて、何発も撃ち込む。
異形はそのまま動くことなく、ただ赤い血液を垂れ流すのみとなった。
「たっちゃん、先に行くなよ」
「悪かったよぉ」
義足の男、竜也は笑いながら明らかに不機嫌そうな勝治の肩を叩き、唯と派手な紫の髪色をしやせ細った色白の男が拳銃の残弾を補充しながら、彼女と寛人の元に歩み寄る。
「あららぁ、派手に怪我してるねぇ」
「大丈夫……じゃなさそうですね、敦さん、門の封鎖をお願いします」
唯は門の方を指さし指示を出すと、敦は口をとがらせて首を横に振りながら走っていった。
「その、なんとお呼びすれば?」
木片が軽くではあっても刺さって血を流す2人を見て一切崩れない敬語と声色に、不気味さを感じたが、寛人は自信に向けて伸ばされた手を掴み、立ち上がる。
名も知らない彼女もどうように立ち上がり、2人は倒れるように縁側に座る。
「毒島です」
「私は……凛子です」
この時に名前を知った彼女、凛子を見た寛人は、重い体を叩き起して自室へと走ろうとしたが、すぐに転んでしまう、それを見た勝治は、救急箱を手に苦笑いしていた。
「なにしてんだ」
「ぼっ、僕の部屋に、その、救急箱が、凛子さんすごい怪我で!」
「毒島さんも酷い怪我よ……ありがとう」
痛みを耐えながら優しい笑顔を寛人に向ける凛子に、寛人は頬を赤くして耳まで熱くなると、大きなトラックで門を塞いだ敦が冷やかすような笑顔で、スキップするように寛人の隣に座る。
「その感じ、いいよぉ、いいよねぇ、ブル春ブル春!」
「アオハルだよ馬鹿」
勝治はぶっきらぼうにそう言捨てると、2人の前に地面にもかかわらずあぐらをかき、救急箱の中を乱雑に何かを漁り始める。
しばらくして引き抜かれた手にはピンセットと消毒液が握られており、それを手に凛子と寛人の前に立つと、右手でカチカチとピンセットを鳴らす。
「ちょっとばかし痛いだろうけど、我慢するんだな」
影の刺した勝治の表情に思わず固まる寛人と凛子を見て、竜也と唯、そして敦は気の毒そうな顔で笑った。
「その様子だと、天井のシミ数えてても終わりそうにありませんね」
そう言って唯は手の土埃をはらい、凛子の隣に座る。
「何の道具もないじゃん」
今だにピンセットを鳴らし続ける勝治、それに対して、ピースサインをカニのように指を開いたり閉じたりを繰り返しながら、無表情で勝治を見る。
「こっちの方が手っ取り早いですよ」
こうして寛人と凛子の痛みに耐え続けるだけの治療が始まった。
最初は木片を引き抜く小さな痛みで我慢は容易であったが、それが繰り返され、徐々に本当に治療なのかと思う程の激痛へと変わる中、なんとか気を紛らわせようと、凛子と寛人は、勝治と唯に外の世界は今どうなっているかなどの話題を振っていた。
その中で、生存者が集まりコロニーを日本中に作り生き残っているということ、勝治たちはそのコロニー間を物資を運んで行き来する運び屋をしていること、先程の異形の事など、色々と教えてくれた。
「アイツは動きが早い、でも早いだけだ、動き自体はどの変種も単調だった」
木片を引き抜きながら、腰にぶら下げたバールをコツンと叩き、そう呟く勝治に、痛みを耐えながら寛人は苦笑いをうかべる。
ふと凛子を見る寛人、脂汗を垂らしながら痛みを耐え、彼女もまた寛人のほうを見た。
「どこから来たんですか」
寛人にしては珍しく、まっすぐと目を見て、しっかりとした口調でそう問うと、凛子は少し戸惑い、間を開けて答えた。
「ここよりずっと南、大丈夫、すぐに出ていく」
その暗い声色にたじろいだ寛人は、ふと痛みに仰け反った時に、彼女の背中を見ると、痛々しい太い線状の傷がいくつかついているのを知るが、それに対しては深入りはしなかった。
「どこに向かってるんですか、遠くまで行くような装備には見えないですけど」
寛人のそんな疑問に、凛子は悲しみと恐怖に充ちた表情を一瞬見せて、不格好な笑みを浮かべる。
「居場所を探してるの、北に行けばきっと見つかるかもって……助けてくれて、本当にありがとう」
その言葉の意味など知らない寛人だったが、あまりに悲しい表情に、寛人も思わず涙ぐむが、すぐに目線を外す。
「見つかるといいですね、居場所」
それを見ていた勝治と唯も、深入りはせず、ただ無心で木片を引き抜き、アルコールと包帯で傷の手当てをしていた。
しばらく時間が経った、空は茜色に染まり、その元で惨劇が繰り広げられてるとは思えないほど美しい空に、ひぐらしの鳴き声がこだましている。
門は簡易的にではあるが、街で手に入れた金網や支柱、番線を使い、ある程度は補修され、大型の武装トラックはいつでも出発が出来る準備は整っていた。
「こんなの悪いぞ、受け取れない」
少ないが、カゴに入った野菜と卵を押し付けるように渡す寛人と、必死に拒否する竜也。
「助けてもらった例です、貰ってください」
そういうが、やはり受け取らない竜也の問答を、敦と唯はトラックに乗り込んでいて分からなかったが、すぐそばに居た勝治は見兼ねて、心底面倒そうに後頭部を掻きながら、二人の間に割って入る。
「こんなの貰う程のことはしてない、さっさと戻って、いつも通り生きていけ、もうこれっきりだ」
そう言って勝治はトラックに乗りこみ、竜也も申し訳なさそうな顔をしながらトラックへと向かう。
するとそれを追うように、寛人の隣にいた凛子もトラックへと歩き出す、一時的にではあるが、勝治のいる栃木の駐屯地へと向かい、しばらくしたら更に北を目指すとの事だった。
凛子は振り向きたい衝動を抑えゆっくりと歩く、助けられたのは、善意を向けてくれたのは、死なずに、意味もわからないはずなのに悲しみを共有し、涙を堪えてくれた人に出会ったのは、凛子にとって初めての事だった。
命を張って、叫んでくれた寛人の姿が頭から離れない、出会ってまだ一日もたっていないのに、何故こんな不思議な気持ちになるのか、凛子自身まったく分からず、この感情が何なのかすら分からず、ただ戸惑うのみ。
でもここで、心の奥底にある言葉を、秘密を吐き出すことは、寛人にとって害にしかならない、そう思い、重い足取りを早めようとした時、寛人が叫んだ。
「あの!こうならどうですか!!」
竜也と凛子は歩みを止めて、振り返る、そこには相当な勇気を振り絞ったせいか顔を真っ赤に染めた寛人が、食料を手に、肩でいきをしてたっていた。
「この野菜を受け取る代わりに、僕に情報をください、行く先々で手に入れた情報、資料でも言伝でも、なんでもいい!!」
寛人は歩き出す、まっすぐに。
「見たところあなたがたは相当な長距離を走る、コロニーが集中するのは人口の多い南側、途中の休憩を必要でしょう、その時は僕のこの家を使っていい!食事も医薬品も、提供します!!」
その目には戸惑などなく、真っ直ぐな目で、まっすぐな言葉を投げかけ、凛子の前に立つ。
「でも僕一人では無理です、それで、その、凛子さん、協力して欲しい、畑作業とか、鶏の世話……然るべき時が来たら、ここに立ち寄った運び屋の人と一緒に北を目指せばいい」
寛人は無意識に、前に結んだ凛子の手を掴んで、自身の胸の辺りに持っていく。
凛子は不思議だった、今まで触れた男の手とは違う、直感で、寒気や気持ちの悪い下心の数々、しかし寛人にはそれを感じなかった。
「本当の居場所を見つけるための、一時的な居場所に、ここを選んでくれませんか」
寛人のまっすぐなその問いに、凛子はゆっくりと、目を見開いたまま、首を縦に振る。
「分かった」
すると敦と唯がトラックのドアを開いて身を乗り出し、口笛を吹いて狂喜乱舞しだし、竜也も自分のことでは無いはずなのに首を縦に振って喜んでいた。
「これがブル春かぁ」
「だからアオハルだって言ってんだろうが……うるせぇよ!!」
竜也の頭を叩いてツッコミを入れつつ、敦と唯のバカ騒ぎを注意した勝治は、寛人から食料を受け取ると、トラックに向かいながら話し出す。
「確かに魅力的だな、乗ったよ、よろしくな」
「ありがとう、勝治さん、皆さん」
竜也と勝治はトラックの荷台に乗り込むと、その口調に違和感を持った勝治は、扉を閉める前に首を傾げながら呟いた。
「その勝治【さん】てのやめろよな、今日から友達だ、また会おうな」
そう言って4人を乗せたトラックは走り去っていった。
「またなか、ありがとう勝治」
門をくぐり、2人きりになった寛人と凛子の間に沈黙が流れ、とりあえず縁側に座り、空を眺める。
凛子は何か話そうと、ふと隣に座る寛人を見ると、先程の凛子に対する自分の発言を思い出したのか、顔を真っ赤にして今にも爆発しそうに下唇を噛み締めた表情を浮かべてるのを見て、思わず吹き出していまう凛子。
「えっえっ、なっなんですか!」
なにかしてしまったかと慌てふためく寛人の姿で更に煽られ涙を流して笑う凛子は、しばらくして息を整える。
「その、かしこまったの辞めない?しばらく一緒に居るんだし?」
「えっ、あっそうで……そっそうだね?」
「凛子さんってのもなし、凛ちゃん!でもいいよ?」
思った以上にガツガツ来る凛子に対して、恥ずかしがっている方が恥ずかしいのではと思った寛人は、深呼吸をした後に、凛子を見つめる。
「その……凛子、よろしく」
それを聞いた凛子は、急に恥ずかしくなり、寛人のように顔を真っ赤にして顔をそらせると、寛人は覗き込もうとするが、凛子はひたすら顔を逸らしつづける。
「え?赤くなってない?なんで?僕のこと笑ったのに?」
「夕焼けよ!夕焼けだって!」
そんなふたりの楽しげな会話が、家に響き、今に置かれた寛人の母親の写真、優しい笑みが、より一層優しい笑みに変わっていくような気がした。